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まち/まち暮らし

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まちが好きだなと思う。「まち」こそが居心地だ。
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これからの「集まって暮らす」

NHKプレミアムドラマ「団地のふたり」 ノエチと奈津子は、同じ団地で育った幼馴染、保育園からの親友だ。 ふたりとも五十代。 ノエチは神童的に勉強ができて、名門の都立高校から大学院へ。博士号取得。今は大学の非常勤講師。いっときは准教授を目前にしたが、恩師との男女の仲を疑われ、その大学は追われることに。一度は結婚するが3年ほどで離婚、この団地にある「実家」に帰ってきている。 奈津子は、イラストレーター。いっときは一世を風靡する売れっ子となるが今は滅多に注文もなく、一時は事実婚状

ブレーメン通りで「食べる」ということ

元住吉・ブレーメン通り商店街「鉄重」 このお店の魅力を、いわゆるグルメ・リポート的な感じに伝えるのは難しいことだ。「溢れ出る肉汁が…」的な描写は、もうそれだけでこのお店の魅力を矮小化して語ることになり、語っている僕が残念だ。 「鉄重」さんの魅力は、まずお店の中に漂っている「美味そうな匂い」だ。肉を焼く匂い。上質な油の匂い…それでいて店外には、ほとんど匂いはもれていないから、ドアを開けたとたんのワクワク感がたまらない。 そして、このお店に集まっているお客さんたちの雰囲気。カ

「農」は嗜み/私小説のような公共政策

その是非はともかく 「行政」つまり役所が心許ない。 自治体が行う、ごみ収集やバスなどの公共交通機関の運営など、直接的な「行政サービス」だけでなく、政府は、この国の「社会」のあり方、農林水産業、工業などの「産業」のあり方をコントロールしている。 「教育」だってそうだ。 その役所がダッチロール状態に入って久しい。 実は政治家っていうのは「大いなる素人」で、立法の内容だって、お役人やお役人のOBが担っている。たまに号令をかける政治家さんもいるけれど、法律をつくれるほどの知識を

東京ローカル

ときどき 現在の感心に合わせて、本棚を再整理する。 寄り道して、難波功士さんの「人はなぜ<上京>するのか」(日経プレミアシリーズ:日本経済新聞出版社/2012年)を久々に手にした。 ぱらぱらとめくりながら、そうか…そうだよな。やっぱり高校までをどこで育ったのかっていうことは、個人にとって大きいよな。育まれちゃうよな、と。 そんなことを思った。 東京で生まれて育った人と、18歳になって東京に出てきて、それで頑張ってきた人、頑張ろうとしている人… それぞれの「東京」があ

管理される「市(いち)」

都市 「都」と「市」で都市だ。 「都」は政庁。「市」は文字どおり「市(いち)」のことだ。 「市(いち)」は都市の母だ。 だから「市」だけは、原義を「新聞ダネになるような大事件」に由来し それゆえに正確には「擬似イベント」といわれる非日常なイリュージョンとは別して考えた方がいい。 「市」はまちの日常だ。 だから「四日市」「五日市」「十日市場」など、各地に「市」が地名になった場所がある。 だから、再開発地のインドアな「メッセ会場」などで行われるマルシェなどには抵抗があ

そもそも「まちづくり」は「群」でケアするものではないからな。「組織力」は「無力」ってことだろう。安定させてマニュアル化して、単純な「維持管理」で済むってことは「まちづくり」にはありえないから。「ベンチ」なら、それも可能かもしれないけれど。

役所は、短期間に人事異動が繰り返される限り「まちづくり」には無力だろうな。

神戸/ヨコハマ

今にして思えば、すでにあの頃からヨコハマは港町に乏しくて 1970年代末から80年代のはじめ 僕はしばしば「神戸」を訪れていた。 神戸には街かどの「発信源」が豊富だった。 古本屋さん、レコード(当時)ショップや雑貨屋さん…など ライブハウスや、今っぽく言えば「クラブ」。 それぞれに個性的な店主がいて、彼らに会うのがご馳走だった。 ヨコハマにも、そういう店が無くはなかったが 神戸は、見事なまでに選択肢が豊富だった。 Barや喫茶店もそうだったし、街かどの食堂や、いまでいう「ま

函館とヨコハマ

横浜市の総人口は372万人ほど(2015年)、市役所の一般会計も1兆9、156億円(令和6年度/2024年度)くらい。 対して函館市は総人口27万人弱(2015年)。市役所の一般会計は1432億円くらい(令和6年度/2024年度)。 この数字だけを見れば函館市は横浜市の10分の一以下の都市ということになる。でも、これは、あくまでも「量」的な比較であって、それ以上でも、それ以下でもない。 五島軒の創業は1879(明治12)年、つまり創業145年。その間、継ぎ足し継ぎ足し、継

システムが主役

個人店が生き残っているのは、ごく一部。全国津々浦々、どこへ行っても全国区なフランチャイズ・チェーンやコンビニばっかり。それも地方へ行けば行くほど選択肢が少なくなる感じ。三浦展さんの「ファスト風土」という警告もはるかに昔のこと。今た忘却の彼方。 今もこのファスト風土は確実に増殖していっている。 ドトールやスタバなどのカフェ、マックやモスバーガーみたいなバーガーショップ。吉野家、松屋などの牛丼チェーン。ローソンやセブンイレブンみたいなコンビニ。「ファスト風土」の主役たちは「シ

そんなに易しい状況にはない

考えてみれば当然のことなんだけど 今、元気がない、これからも、さらに元気がなくなっていきそうだという「まち」を持ち上げようとするなら、よほどアグレッシブで、創造力に富んだ人を呼べなきゃダメなんだろうなと思っている。 だから「地域おこし協力隊」といった選択肢が明確になってから、その選択肢を選ぶ(応募する)ような人で、現状の地域を持ちあげようというのは、よほどの「至難」だと思う。 できたとしても「地域」に持続的にエコーするものではないイベントや店舗の経営までで、超高齢化、若者の流

かつての喫茶店時間

再び 永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)からに引用。 線路ぎわはそんな常連客にとっては都合のいい場所で、いつも顔見知りが誰かしらいるので時間も潰せたし、みんなでああだこうだと様々な夢を語ることもできた。みんな湘南育ちだから、そのイメージや結束力は固く、湘南から何かを発信していきたいという願望がいつも気持ちの中にあった。それはたいてい海に関連していて、砂浜のゴミをみんなで拾い集めるようなイベントを開催しようとか、ドラム缶にメッセ

あの頃の自由が丘

永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)には、1970年代中頃、「ロック喫茶」といわれていたお店を中心に、永井さんの「喫茶店時間」が綴られている。学生時代から雑誌記者として就職した頃の話が中心だ。 「ロック喫茶」とはいっても、この本に登場するのは「デス・メタル」な感じの店ではない、もっとやわらかい「ウエストコースト・ロック」や、人によっては「フォークソング」にカウントしそうな「シンガー&ソングライター」の楽曲が流れる、つまり「陽の光

サイトシーイングな観光客のためのイベントや事業を重ねても、旅人にとって居心地の良い場所をメイキングしていくことはできない。むしろ逆だったりする。