これからの「集まって暮らす」
NHKプレミアムドラマ「団地のふたり」
ノエチと奈津子は、同じ団地で育った幼馴染、保育園からの親友だ。
ふたりとも五十代。
ノエチは神童的に勉強ができて、名門の都立高校から大学院へ。博士号取得。今は大学の非常勤講師。いっときは准教授を目前にしたが、恩師との男女の仲を疑われ、その大学は追われることに。一度は結婚するが3年ほどで離婚、この団地にある「実家」に帰ってきている。
奈津子は、イラストレーター。いっときは一世を風靡する売れっ子となるが今は滅多に注文もなく、一時は事実婚状態にあったが、やはり別れて、この団地にある「実家」で暮らす。お母さんは介護で故郷に帰っているので、今は一人暮らし。料理が上手で、毎日のようにノエチがご飯を食べにくる。
ふたりはゲイのカップルが同性愛カップルと勘違いするくらい仲がいい。
この物語に描かれる「団地の人々」は、それぞれに個性的だ。自由を感じる。それぞれに困った面を持ちながらも「集まって暮らす」かたちは保たれている。
ノエチのお父さんは、団地の管理組合の理事長さんだ。日々、クレームなども持ち込まれて、ご苦労もありそうだが、縛りのキツいコミュニティではなく「帰ってきたくなる団地」のつながりを、よく維持していらっしゃる。
「規則」に拠るのではなく「人間力」で、やわらかい管理…なんだろうな。ときに間に入る人が疲れる対立も生まれるが、その調整を「規則」に任せて面倒くさがることがない。
そもそも、この物語に登場する団地の住人は新参のLGBTQの人にさえ偏見がなく、まっすぐに話を聞き、彼の悩みにアドバイスを送り、彼と別れて傷心の彼を団地の「教室」の講師に推薦する。
五十代のノエチと奈津子が子どもの頃から知る人々が多く暮らしている団地だが、LGBTQの彼でなくても、色眼鏡でみることがない。だから小学生の女の子を連れて引っ越してきたシングルのお父さんも、ときどき徘徊してしまうお母さんを抱えて、この団地に帰ってきた息子さんも、安心して暮らせているようだ。すぐ、仲間に加えてもらえる。
この旧い団地に暮らす人々の多くが年金生活者であるようだ。独居の方も少なくない。でも、だからこそ、団地内の緑も、ゴミ出しも、業者任せではなく、空間はきれいに維持管理されている。だから荒れていない。業者さんとのコミュニケーションも上手くいっているようだ。
ふと思った。
「ああそうか。一日も早くベーシック・インカムが実現して、こんな暮らしがフツウになればいい」
それぞれに孤立した「一戸建て」より集合住宅。それだけで、少なくとも、「すれ違い」の機会は増え、あいさつから「縁」が始まっていくのかもしれない。開催される各種の「教室」なども集合住宅ならではの「コミュニケーションの始まり」になるだろう。住民を出演者にした舞台と縁日的屋台を中心にした「お祭り」も、ふだんの活動があれば、そうした機会になる。
でも、「道具立て」としては同じでも「誰がどのように、そのシステムを運用しているのか」によって、結果には大きな違いが出るのだろう。教室をやって、祭りをやって、だけで、幸福の団地ができるとは思えない。日頃のクレームをどう処理するかにも拠るだろうし、暮らしている人々の考え方に拠る部分も少なくないのだろう。
つまり、みんなの努力なんだろうな。力まずに、でも「公衆」としての役割を果たす。
その努力を引き出すリーダーシップなきリーダーシップ。
ノエチのお父さんを思い出しながら、
でも、この「物語の団地」。あしたのこの国に絶対必要な「集まって暮らす」かたちだなと思って、ちょっと考えてみようかなと思っている。