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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多…

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

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小さなスナック

L字のカウンターだけの店だから扉を開けた途端、常連が揃ってこちらを一瞥…という店もある。 その「圧」は生半じゃない。 ここはお店なんだけど。 でも居心地はいいから…

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6か月前
35

「商品」を買いたいだけなら「通販」でいいのかもしれないけれど、そのお店で過ごす「時間」については「通販」不可能なんだ。

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13時間前
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GWも終わり

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18時間前
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これ 自由が丘だな

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1日前
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「カタカタ」

福助湯を出ると、隣の日の出パンでコロッケパンを二つ買う。おじちゃんは、二つ買ったコロッケパンの一つにだけ包丁を入れてくれる。タケシが一つと半分を食べる。 おじち…

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1日前
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じゃあインドなんか来なけりゃいい

森まゆみさんの著作「用事のない旅」(産業編集センター・わたしの旅ブックス/2019年)からの一節。森さんのインド旅行からの雑感が綴られたところから。 この手のじ…

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1日前
7

少女がいない

この本が実際にベストセラーとなった頃には、たかがタレント本と見向きもしなかった記憶がある。山口百恵さんの自伝本。1980年9月の初版。文庫化されてからでさえ、も…

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2日前
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休憩

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3日前
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職人気質

蕎麦をたぐる。改めてそういう季節かな。 「せいろ」が似合う季節になってきた。 丘の上に二軒の蕎麦屋さん。 そのうちの一軒。 テーブル席が3つ、小上がり席が2つ。小…

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4日前
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江戸時代というLegacy

「江戸は,特に後期になると、かなり近代社会の実質を持っていたといえると思う。だとすれば、明治国家は近代市民社会ができている上に国家をつくったということになるので…

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4日前
7

コミュニケーション

僕は、「言ってくれなきゃ解らないじゃない」などといわれると「言わなきゃ解んない人には、言っても解らないから、言わない」と言って、友人などからウケをとる。 でも、…

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4日前
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ある五月

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5日前
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「ぼーっと生きてんじゃないよ」 か

できるだけ「楽(らく)」に働き、日々の買い物は便利に済ませ(つまり楽で)、水を飲むにもトイレに入るにもノーストレスで自動制御がいい。 (井戸まで水を汲みに行かな…

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5日前
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無意識/生まれ

古谷経衡さんは、彼の著作「『意識高い系』の研究」(文春新書/2017年)の中で「リア充」を以下のように説明されている。 「リア充」を「土着」か否かで考えるのか。…

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6日前
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コンビニ、スタバなど、吉野家やマック。こういうお店が頻度高く登場する生活は、孤独への入口だ。でも、流れを変えるのも難しいのが現実だ。かといって、イマドキは誰も助けてくれない。勇気を出して「街」に出るしかない。

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7日前
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カウンター

最低限の注文のやり取りしかせず、毎日のように通っても、毎回「dポイントカードはお持ちですか」と尋ねられるような、キャッシュ・オン・ディリバリーのコーヒーショップ…

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8日前
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小さなスナック

L字のカウンターだけの店だから扉を開けた途端、常連が揃ってこちらを一瞥…という店もある。 その「圧」は生半じゃない。 ここはお店なんだけど。 でも居心地はいいからそうなるんだろうな。スタバじゃこうはならない。ありえない。チェーン店の居酒屋でもそう。システム上、ありえない。 そう。 あたたかい「ゆりかご」のようなコミュニティほど、外から見れば、高い壁に覆われているものだ。 それも見えない「壁」。 だから厄介だ。 内側にいる人は気が付かない。ただ新参者だけが感じる 「

「商品」を買いたいだけなら「通販」でいいのかもしれないけれど、そのお店で過ごす「時間」については「通販」不可能なんだ。

これ 自由が丘だな

「カタカタ」

福助湯を出ると、隣の日の出パンでコロッケパンを二つ買う。おじちゃんは、二つ買ったコロッケパンの一つにだけ包丁を入れてくれる。タケシが一つと半分を食べる。 おじちゃんの店では懐かしい瓶牛乳が飲める。 店先のベンチでハムカツパンをアテに、その牛乳を飲む。僕たちの夏の醍醐味だ。ここから我が家までは一直線に坂道。だらだらとした、でも長い坂。左手には電車の高架橋。街灯もまばらで薄暗く、それ故か人通りは少ない。二人には好都合な道だ。 ゆっくりと登ってく。 タケシはタオルを首に回して

じゃあインドなんか来なけりゃいい

森まゆみさんの著作「用事のない旅」(産業編集センター・わたしの旅ブックス/2019年)からの一節。森さんのインド旅行からの雑感が綴られたところから。 この手のじれったさの経験、外国での経験ではないけれど、僕にも何度かある。学生さんを相手にしたワークショップとか。僕の場合、女子も男子もなかったけれど。 知らないことも多すぎる。社会学の専攻で「アイドル論」で卒論を書くといっていた学生が、小泉今日子さんが80年代はアイドルだったことを知らなかったり。ヨコハマの馬車道の「ガス灯」

少女がいない

この本が実際にベストセラーとなった頃には、たかがタレント本と見向きもしなかった記憶がある。山口百恵さんの自伝本。1980年9月の初版。文庫化されてからでさえ、もう40年近くたっている本だ。僕が、この本を読んだのもしばらくたってからのことだ。 不可思議な読後感がある本だ。 たぶん編集を担当された方が手を入れていらっしゃるんだとは思。でも、この本、いわゆるゴースト・ライターの手に拠るものだとは思えない。妙に細部がリアルだ。だからといって、ホントにこれ、20歳そこそこの女の子が

職人気質

蕎麦をたぐる。改めてそういう季節かな。 「せいろ」が似合う季節になってきた。 丘の上に二軒の蕎麦屋さん。 そのうちの一軒。 テーブル席が3つ、小上がり席が2つ。小さなお店です。すぐいっぱいになってしまうので、だいたい開店にあわせて行く。 この近くにある、もう一軒の蕎麦屋さんの方が美味しいという人もいる。曰く。この店は練りわさびではないと。でも、僕は、申し訳ないけれど、その蕎麦は、本を読んで打った蕎麦だなというのが感想。奥さんは、もっと直感的に、ただ残念な顔をする。 確

江戸時代というLegacy

「江戸は,特に後期になると、かなり近代社会の実質を持っていたといえると思う。だとすれば、明治国家は近代市民社会ができている上に国家をつくったということになるので成功する条件に恵まれていた事になる。これは結論を先取りすることになるが、今の日本で起きている事は,近代社会の遺産、つまり江戸の重要な遺産をほとんど全部食いつぶしてしまったことに拠るものではないかと思う。」 この文章は、もう40年近くも前のことになるが、大蔵省(当時)の財政金融研究所に設置されていた21世紀の経済・社会

コミュニケーション

僕は、「言ってくれなきゃ解らないじゃない」などといわれると「言わなきゃ解んない人には、言っても解らないから、言わない」と言って、友人などからウケをとる。 でも、これ、スケッチとしては、案外、正確なんじゃないかと思っている。 人間関係において、わが国は永く「お互いに察し合う」文化でやってきた。だから「言葉にされたら終わり」みたいな文化があって、正確に「察する」能力が求められた。 だから、相手に、言葉での明確な回答を求めて尋ねてもダメ。今は、そういうコミュニケーションのあり方

「ぼーっと生きてんじゃないよ」 か

できるだけ「楽(らく)」に働き、日々の買い物は便利に済ませ(つまり楽で)、水を飲むにもトイレに入るにもノーストレスで自動制御がいい。 (井戸まで水を汲みに行かなければならないのがスタンダードだったんだし、僕が生まれた頃はヨコハマの都心でも定期的に「汲み取り」をしなければならないトイレは残っていた) 仕事だって、するべきことがマニュアルに書いてあって、そのとおりに業務を処理すればいい。目の前にお客さんが来れば、誰かがつくった選択肢の中から商品を選ばせて、マニュアルどおりに商

無意識/生まれ

古谷経衡さんは、彼の著作「『意識高い系』の研究」(文春新書/2017年)の中で「リア充」を以下のように説明されている。 「リア充」を「土着」か否かで考えるのか。 で。「リア充」は「家」がある都市民であり、初代の「よそ者」は、その時点で「非リア充」だと。へぇー。 我田引水だな感じ。「リア充」と「意識高い系」とをくっつけちゃってもいるし。でも、さらに「土着」=「本当のリア充」だと強調する。 確かに「もともと家がある」か「よそ者の初代」であるかの違いは「よそ者」だらけのはずの

コンビニ、スタバなど、吉野家やマック。こういうお店が頻度高く登場する生活は、孤独への入口だ。でも、流れを変えるのも難しいのが現実だ。かといって、イマドキは誰も助けてくれない。勇気を出して「街」に出るしかない。

カウンター

最低限の注文のやり取りしかせず、毎日のように通っても、毎回「dポイントカードはお持ちですか」と尋ねられるような、キャッシュ・オン・ディリバリーのコーヒーショップは、そもそも「喫茶店」であることを拒否したようなお店だ。フルサービスか、セルフサービスか、の違いではなく、お客さんとの「人間関係」を拒否したようなお店。こんなお店は、都市、特に大都市に「孤独」を蔓延させる。 モバイルをひろげて仕事をする。自分の家に空間的なゆとりを持っていないから、ここで勉強をする。友だちとおしゃべる