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じゃあインドなんか来なけりゃいい

森まゆみさんの著作「用事のない旅」(産業編集センター・わたしの旅ブックス/2019年)からの一節。森さんのインド旅行からの雑感が綴られたところから。

オランダやドイツやさまざまな国の人がいて、もちろん日本人も。    これがどういうわけか、女の子たちはみな腰布を巻いてリュックを背負い、さっそうとして格好いいのに、男の子たちは気弱そうなのが多い。ついでにいうと私のような中年の日本人はいなくて、ほとんど沢木耕太郎の「深夜特急」か藤原新也「インド放浪」のどちらかを携えている若者、多くは学生である。                               英語で話す気もなく、ミネラルウォーターのびんを手に、こんなとこ来るんじゃなかったとボヤく。それ、おいしいですかと私に聞く。三十ルピー(百二十円)だよ自分で試してみればいいでしょ。生水飲んで大丈夫ですか。そんなにビクビクしてどうするの、じゃあインドなんか来なけりゃいい、とだんだん腹が立ってきた。

この手のじれったさの経験、外国での経験ではないけれど、僕にも何度かある。学生さんを相手にしたワークショップとか。僕の場合、女子も男子もなかったけれど。

生水飲んで大丈夫ですか。そんなにビクビクしてどうするの、じゃあインドなんか来なけりゃいい…
総じて、こんな感じのもどかしさです。

知らないことも多すぎる。社会学の専攻で「アイドル論」で卒論を書くといっていた学生が、小泉今日子さんが80年代はアイドルだったことを知らなかったり。ヨコハマの馬車道の「ガス灯」を案内したところ、「じゃあ、今も、時間になると点灯夫が灯りをつけて回るのか」とかのたまう。…そんなわきゃない。

何が彼らをそうさせたのか。

ただね。

彼らだって、彼らだけで彼らになったわけではない。学校教育、親御さんたちが提供する「家」という環境、世の中に溢れる情報なども。そういうことになんらかの影響を受けて彼らは彼らになったんだと思う。

つまり、オトナが彼らを創った。

だからね。

僕らは彼らの行いや言動に目くじらをたてる前に
いい大人であるところの、僕ら自身の考え方やライフコンセプトを再検証してみる必要があるのかもしれない。

むしろ、ね。

彼らより年齢を重ねてきた分、症状を拗らせているのかもしれないし。

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