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読書と

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最近の読書。あらためて、また読んでみた読書。思い出した読書。
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記事一覧

少女がいない

この本が実際にベストセラーとなった頃には、たかがタレント本と見向きもしなかった記憶がある。山口百恵さんの自伝本。1980年9月の初版。文庫化されてからでさえ、もう40年近くたっている本だ。僕が、この本を読んだのもしばらくたってからのことだ。 不可思議な読後感がある本だ。 たぶん編集を担当された方が手を入れていらっしゃるんだとは思。でも、この本、いわゆるゴースト・ライターの手に拠るものだとは思えない。妙に細部がリアルだ。だからといって、ホントにこれ、20歳そこそこの女の子が

じゃあインドなんか来なけりゃいい

森まゆみさんの著作「用事のない旅」(産業編集センター・わたしの旅ブックス/2019年)からの一節。森さんのインド旅行からの雑感が綴られたところから。 この手のじれったさの経験、外国での経験ではないけれど、僕にも何度かある。学生さんを相手にしたワークショップとか。僕の場合、女子も男子もなかったけれど。 知らないことも多すぎる。社会学の専攻で「アイドル論」で卒論を書くといっていた学生が、小泉今日子さんが80年代はアイドルだったことを知らなかったり。ヨコハマの馬車道の「ガス灯」

津波てんでんこ

僕はジョン・ダワー博士のように、この国の戦前と戦後を地続きのものだと考えている。 1920年代に現れた岸信介氏を中心とする、いわゆる革新官僚といわれた勢力が絵を描いた「統制経済」つまり戦時体制は、岸信介氏がA級戦犯から生還したことに象徴されるように、今度は合衆国という後ろ盾を得て、表向きにのイメージとしては「刷新された戦後」を描きながら、その実、変わらぬ「行政主導」の「統制経済」な体制を維持して、波風はあったにせよ、勢力を維持して、岸氏の孫であるところの安倍晋三氏まで、この

ご一読をお勧めします

かつての喫茶店時間

再び 永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)からに引用。 線路ぎわはそんな常連客にとっては都合のいい場所で、いつも顔見知りが誰かしらいるので時間も潰せたし、みんなでああだこうだと様々な夢を語ることもできた。みんな湘南育ちだから、そのイメージや結束力は固く、湘南から何かを発信していきたいという願望がいつも気持ちの中にあった。それはたいてい海に関連していて、砂浜のゴミをみんなで拾い集めるようなイベントを開催しようとか、ドラム缶にメッセ

義務

種村 弘さんの著作「もうおうちへかえりましょう」に出てくる一節。 この世に生まれてきただけで自分には人間としての権利があるとか、 お互いに話せばわかるとか、いわゆる戦後民主主義的な理念に 私たちは首まで浸かっていた。 この本が最初に出版されたのが2004年4月。 文庫本化されたのも2010年の8月(小学館文庫)。 つまり、もう、ずいぶん前の「本」ないんだけれど、僕がこの「本」に出会ったのは最近のこと。知らなかった。 特にこの世に生まれてきただけでの部分。「ああ、そうだな

あの頃の自由が丘

永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)には、1970年代中頃、「ロック喫茶」といわれていたお店を中心に、永井さんの「喫茶店時間」が綴られている。学生時代から雑誌記者として就職した頃の話が中心だ。 「ロック喫茶」とはいっても、この本に登場するのは「デス・メタル」な感じの店ではない、もっとやわらかい「ウエストコースト・ロック」や、人によっては「フォークソング」にカウントしそうな「シンガー&ソングライター」の楽曲が流れる、つまり「陽の光

新自由主義者

タテノカズヒロさんの著作「コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし【マンガ】」(中公新書ラクレ)。その例示マンガの中に彼女に靴をプレゼントしたいのだが、彼女の靴のサイズがわからずに思案する彼氏が登場するものがある。 彼は、彼女の身長については154cmと知っていたので、身長170cm、靴の大きさ26cmの女性の友だちがいたことから26cm×(170cm分の154cm)の式で彼女の靴のサイズを割り出そうとする。 でも、この公式は「身長が170cmの女の子の靴

そんなもんなんだ

川本三郎さんの著作「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書/新潮社)に、こんな一節がある。序章が始まってすぐのところ。 しばらくあって… と。 うちのオヤジも「東京を壊したのは空襲じゃぁねえ、オリンピックだ」が持論だったけど(ここでいう「オリンピック」はもちろん1964年開催の東京オリンピック)、この国に継がれてきた生活文化を殺したのは、やっぱり「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」を「三種の神器」などと呼んだ、あの高度成長期だったんだと思っている。 僕は1961(昭和36)年の生まれ

本屋さん

ある大型書店で会員になって、今月1万円以上の買い物をすると来月は「ゴールド会員」。でも、今月の買い物増額が9999円なら翌月も「一般会員」。 この「1円」の差って何なんだろう。 常連になることが不可能な「組織」の店舗。今、レジを打ってるスタッフさんも「本」が好きな人なのか。それとも、ひたすら「賃金」が目的で、そこにいるのか、わからない。もちろん軽口を叩くこともできない。 店員さんにとっての僕は、レジに表示される「ゴールド会員」か「一般会員」かの種別だけ。それ以上でもそれ

せめて作品と生きていく

片岡たまきさんの著作「あの頃、忌野清志郎と ボスと私の40年」(ちくま文庫)を読んだ。 知らないRCが書いてあった。 RCサクセションというか。忌野清志郎さんというべきなんだろうか。 今更ながら「ふつうに修羅があったんだなぁ、そうだよなぁ」と思った。そうでなければRCが三人になってしまったり、なんども所属事務所が変わったりはしなかったはずだ。スタッフさんだって去っていった人は少なくない。 その只中に、忌野さんが、RCが、スタッフさんが、胸を痛めながら現実を生きていた。

小麦と僕ら

塩崎省吾さんの著作「ソース焼きそばの謎」(ハヤカワ新書/2023年7月)に、以下のような記述が出てくる。  昭和二八年(一九五三年)頃から、アメリカで小麦が大量に余り始めた。  要因は第二次世界大戦にまで遡る。当時、連合国を支援する目的で、アメリカは農業の生産力を大幅に増大させた。本来の需要だけでは手に余る、戦争の大量消費を前提とした過剰な生産力だった。  一九四五年に戦争が終結した当初は、世界的な食糧不足だったので、過剰な生産力はプラスに働いた。また、一九五〇年の朝鮮戦争

1964

これは「小説」だ。 初版は2016年の2月。 作者が会社を辞めて、最初の小説を出版する1974年まで。1960年かから1973年までを年毎にいくつかの短編で綴り、それをオムニバスにまとめたものだ。 主人公は「僕」。実際に内容は「自伝的」ともいえるものだ。 1964年の一作に、こんなことが記されている。 (1964年といえば東京五輪2020の前の東京五輪が開催された年だ) 雑誌のライターだった「僕」が、喫茶店で原稿を書く。200字詰め原稿用紙に鉛筆で書く。で、芯が太くなっ

財政ファイナンス

以下は、集英社新書「戦後80年はあるか ー『本と新聞の大学』講義録3」(一色 清/姜 尚中/内田 樹/東 浩紀/木村 草太/山室 信一 /上野 千鶴子 / 河村 小百合 著:2016年)からの引用。 日銀はデフレ脱却のために国債を買っていると言っていますが、やっていることはほとんど「財政ファイナンス」です。財政ファイナンスとは、中央銀行が政府から国債を直接引き受けることで、歴史的経験から、財政ファイナンスをやってはいけない、というのが世界の各国共通の常識になっています。国が