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江戸時代というLegacy

「江戸は,特に後期になると、かなり近代社会の実質を持っていたといえると思う。だとすれば、明治国家は近代市民社会ができている上に国家をつくったということになるので成功する条件に恵まれていた事になる。これは結論を先取りすることになるが、今の日本で起きている事は,近代社会の遺産、つまり江戸の重要な遺産をほとんど全部食いつぶしてしまったことに拠るものではないかと思う。」

この文章は、もう40年近くも前のことになるが、大蔵省(当時)の財政金融研究所に設置されていた21世紀の経済・社会システムを考える研究会のある日の会議録に、水谷三公東京都立大学教授(当時)の発言として記録されているものだ。
確かに、社会システムだけでなく、産業面でも、例えば、富岡製糸場に代表される絹糸生産という、明治以降の貿易の切り札も、蚕を効率的に飼育するなどの方法は江戸時代までに確立されていたノウハウを用いて、それで、あの生産量を確保していたこと拠るもの。欧米から移入した産業機械が果たした役割は「部分的なもの」に過ぎず、むしろ、お手柄は、すでに「江戸時代」に開発されていた工業技術による。

そのあたりを、明治政府は欧米の技術を積極的に移入した、自分たちのお手柄に描き替えちゃったんだろうな。

あの鬼平が創始したという「罪を犯した人を再び教育して世に送り出そうという人足寄場」のようなシステムも、欧米に比較して200年は早く起動しさせている。しかも江戸時代には市井の国民に兵役はなく、大店でもない限り都市の庶民に納税義務もない。農民が貧しさに苦しめられるのは、むしろ、明治政府が納税を「お金で」に切り替えてから。

そういえば「酒税」だって、明治政府の台所事情に起因する「理由なき創税」。江戸時代までは無税。だから、庄屋さんあたりが造り酒屋になって、村人みんなの共有財産みたいなもんだった。

火山噴火、洪水などの災害にも武士たち(つまりお役人)は、真面目に取り組んだ。被災地の人たちと一緒になって、当面の生活を確保し、復興計画を練り、実際に人々の生活にメドが立つまで長期に渡って支援を続けた。

飢えに苦しむ農民のイメージは明治政府のプロパガンダに拠る。映画とかテレビ・ドラマででっち上げちゃった。むしろ「上から目線」のお役所仕事は明治以降に顕著だ。

僕らは明治以降の政府によるプロパガンダにまんまと乗せられている。

(まぁ、学校教育からして政府の掌中にあるわけだから)

立ち止まって勉強して、少し考えてみた方がよさそうだ。

明治が「文明開花」だったかどうか。
ひょっとしたら「文明退化」だったりするのかもしれない。

少なくとも、江戸時代の方が風通しがよさそうなんだ。
市井の人々は幸福そうでね。

(江戸の長屋の跡を発掘すると、結構いいもの食ってるんだ。子どもたちの玩具なんかも豊かでね)