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愛なんか、知らない。 第4章 ⑩暖かな食卓

 私はひたすら戸惑っていた。
 仏壇に挨拶してくれたし、なんか、悪い子じゃなさそうな気がする。ってか、私、友達の家に行った時に仏壇にお参りしたいなんて言ったことないし。すごい礼儀正しいんじゃない? おばあちゃんもきっと喜んで

「えっと、それで、住めるんだとしたら、いつから住んでいいんですか?」
 心さんは体の向きを変えて、私を見上げた。そこで初めて目が茶色いことに気づいた。
「あ、そそそうですね、仏壇はこのままでいいんだったら、そんなに時間は」
「じゃ、今日からでもいいですか?」
「えっ、今日? 今日から?」

 心さんはじっと私を見つめる。えっ、なんだろなんだろ。 まだ住んでいいとか決めてないよ? 何かよからぬことをたくらんでるとか?
 
「えーと、私、今、別のところで暮らしてて。お世話になってる人たちに挨拶してからじゃないと」
「じゃあ、僕だけここにいてもいいですか? ここ以外の部屋は絶対に使わないので。鍵を貸してもらえれば」
「えっ、えっ、それはちょっと」

 初めて会った人をいきなり家に泊めるわけにはいかない。それも、私がいない間に使ってもらうなんて、さすがにできないよ。
 ってか、いつの間にか、住んでいいって前提になってるし。
 そういえば、見学するのも急いでたみたいだった。週末にしようかと思ったら、「できれば、すぐにでも見学させてほしい」って言ったから、講義の入ってない水曜日の午後にしたんだ。

「あの、あの、こんなことを聞いていいのか、分からないけど……どうしてそんなに急いでるんですか?」
 心さんは気まずそうにうつむいた。
「……住む場所がなくて」
「えっ、えっ!?」

「えと、バイト先が倒産しちゃって、寮に入ってたんだけど、出ることになっちゃって。今、友達の家に泊まってて……でも、僕がいると彼氏を呼べないみたいだし、友達のとこはワンルームだから、二人でいると狭すぎるし。友達も段々ギスギスしてくるし。僕が悪いからなんだけど。この前、僕のシャンプーが切れちゃったから友達のを使ったら、不機嫌になっちゃって。もう限界かなって」
「そ、そうなんですか」
「だから、友達にこれ以上迷惑かけないためにも、一日でも早く、家を出てったほうがいいかなって」

「え、えーと、その、ご家族は」
「いないです。母は僕が小学校の時に亡くなっちゃったし、父は一度も会ったことないし。僕、高校卒業するまで養護施設で暮らしてて。親戚もいないし、どこにも行くところなくて」

 サラッと語ってるけど、なんて壮絶な人生なんだろう。
 あの大きなボストンバッグには、荷物が全部入ってるのかな、もしかして。
 でも、どうしよう。そういう事情が分かっても、会ったばかりの人だし。

「ちょ、ちょっと待っててください。今お世話になってる人に相談してみるので」
 私は純子さんに電話で相談するために、廊下に出た。
 私のつたない説明を聞いて、純子さんはすぐに、「じゃあ、その子を今日はうちに連れて来なさい。一人にしておくわけにはいかないでしょ」と言ってくれた。

「え、でも、会ったばかりの人だし」
「その子、泊まる場所がなくて困ってるんでしょ?」
「そうなんですけど」
「じゃあ、とりあえずうちに来ればいいんじゃない? 私と信さんで、その子がどんな子か、様子を見てあげられるし。お近づきにならないほうがよさそうな子だったら、断るでしょ? 葵ちゃん家に一泊でも泊まらせたら、断りづらくなるんじゃない?」
 確かに、それはそうだ。

「うちは娘が3人いたんだから、部屋もあるし、大丈夫よ」と純子さんは言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
 純子さんの言葉を伝えるために、ふすまを開けた。
 薄暗いなか、心さんは部屋の隅で膝を抱えて座っていた。まるで叱られてしょげている子供のように。

 この人を、一人にするわけにはいかない。
 急に、私の中に謎の使命感が芽生えた。
 純子さんの言葉を伝えて、「今晩は純子さんのところに行きましょう」と言うと、心さんはホッとした顔になった。

 純子さんも信彦さんも、心さんの姿を見ても少しも眉をひそめたり、動揺したりしなかった。
「ようこそ、葵ちゃんから話は聞いてるわよ」
「ここまで遠かったでしょ? さあ、どうぞ」
 二人のウェルカムな様子を見て、心さんは戸惑ってるみたいだ。
「えと、こんにちは。二宮心です」
 ようやく聞き取れる声は、明らかに震えてる。
「心さん、いい名前だな」
「ねえ、ホント。心って漢字で書くの?」
「えと、そうです」
「素敵ねえ。さ、手を洗って来て」

 ちょうど夕飯の時間で、食卓には4人分の食事が並べてあった。
「お腹すいたでしょ? とりあえず、夕飯を食べてから、今後のことは話し合いましょ。さあ、座って座って!」
 心さんは勧められるまま、おずおずと席に着く。
「今日は、僕も一緒に夕飯作ったんだよ。牛肉がいい感じに焼けたんだよね」
「うちは、肉を焼くのは私より信さんのほうが上手なの」

 今晩のメニューはローストビーフ、ポテトグラタン、リンゴのサラダ、ニンジンのポタージュ、フランスパン。ごちそうなのは、心さんを迎えるためだろう。
「こんなごちそう、うちで食べたことないです」
 私が言うと、「うちもめったには食べないわよお。今日は若い女の子が二人もいるから、張りきって作ったの」と、純子さんはコロコロと笑う。

「お口に合うか分からないけど、どうぞ」
「ワインもあるよ」
「二人ともまだ未成年でしょ」
「ちょっとぐらいは、構わないでしょ。料理酒でもワインは使うんだから」

 心さんはためらいながらも、「いただきます」とスプーンを手に取った。
 ニンジンのポタージュを一口食べると、「……おいしい!」とビックリした顔になる。
「そうなの。純子さんも信彦さんも、料理が上手なんだよ。私、ここに住まわせてもらってから、2キロ太っちゃったぐらいだし」
「葵ちゃんは痩せてるんだから、2キロ増えるぐらいがちょうどいいわよ」
「葵ちゃんはここに来てから、ホントに元気になったよねえ」

 私たちが話してる横で、心さんはすごい勢いでポタージュを飲んでいる。
「お口にあってよかった。よかったら、お代わりもしてね。ハイ、ジャガイモのグラタン」
 純子さんが取り皿に取ってあげる。グラタンを一口食べると、心さんは目を輝かせた。
「おいしい?」
 コクコクと無言でうなずく。

「あら、嬉しい。サラダもどうぞ」
「牛肉はこの辺がおいしいよ」
 心さんはほとんど話さずに、すごい勢いで食べてる。
「もしかして、お昼を食べてないの?」
 心さんはうなずいた。
「えと、今日は、何も食べてなくて」
「えっ、そうなの? お代わりはあるから、好きなだけ食べてね」
「すきっ腹にそんなに勢いよく詰め込んだら、気持ち悪くなるよ。落ち着いて、落ち着いて」

 二人が世話を焼いているのを見ながら、私もポテトグラタンを頬張った。
 心さんをここに連れてきてよかった。うん。よかった。なんだか、私の心はポカポカしてきた。

 デザートのイチジクのコンポートまでしっかりと食べて、心さんは満足そうに紅茶を飲んでいる。
「僕、こんなにおいしい料理食べたの、初めてです」
 ポツリと言う。
「あら、そうなの? 嬉しい」
「うちのお母さん、料理をあんまり作らなくて。スーパーのお惣菜とかカップ麺とか、いつも食べてたから」
「そうなの」
「お母さんは忙しかったの?」
「うちはシングルマザーで、朝から晩まで働いてたから。いつも疲れてて、料理作る元気がないって言うか」
「そうなの……」
「お母さんは偉いね、一人であなたを育てて」

「地元はどこ?」
「えと、地元は神奈川です」
「寮に入ってたって聞いたけど」
「えと、施設にいた先輩にバイトを紹介してもらって、そこの寮に入ってたんです。社長さんも施設の出身だったみたいで、僕のような子にも親切にしてくれて。だけど、そこの会社、先月、倒産しちゃって。寮も出なきゃいけなくなって、友達のところに泊まってて」
「そうなの。それは大変ね」

「大学の学費はどうしてるの?」
「えと、奨学金で通ってます」
「そうなの」
 純子さんは、ふうと軽くため息をついた。信彦さんは穏やかな瞳で心さんを見つめている。
 部屋の隅でうずくまってた心さん。私とは比べ物にならないぐらい、つらい人生だったんだろうな。

 ふと、「仏壇のある部屋で寝起きしてた」って心さんの言葉を思い出した。もしかして、それって、お母さんの仏壇のことだったりして。
「だったら、ここで暮らして、ここから学校に通えばいいんじゃないの?」
 信彦さんが言うと、純子さんも「そうね、そうすればいい」とうなずいた。
 心さんはしばらく目を丸くしていた。

「えと、それって」
「ここに下宿すればいいってこと。家賃はいいから。うちは部屋がいくつか余ってるから、そこで生活すればいい。奨学金を返すためにバイトをしなきゃいけないんだろうけど、働きながら学校に通うのは大変でしょ? だから、ムリのない範囲内でバイトすればいい。どう? 悪くない話だと思うけど」
 信彦さんの提案に、心さんの顔はみるみる赤くなっていった。喜んでいるのが分かる。

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