マガジン

  • いいはなし

  • 学び続けるために

  • 英語を楽しく学ぶ記事

  • 身体を健やかにする記事

最近の記事

  • 固定された記事

何を書いてもいいし、何を書かなくてもいい

SNSの類いとの適切な距離を取るコツは、「誰もそんなにあなたの生活や意見を気にしていないよ」という適切な感覚を持つことだと思う。(いい意味で。) 興味の湧く人の投稿を意識して読むこともあるだろうけれども、だからといって仕事で投稿しているわけではないのだ。内容に一貫性が無くても問題ない。網羅性が無くてもいい。きのう書いたことと今日書いていることが矛盾していてもいい。書いている人が良いと思っているならそれでいい。 にんげんだもの。 ・一般的な常識をわきまえていれば、何を書い

    • Popper No. 27

      C major, Allegro (126, 96) ポッパーはこのエチュードを「全体をa springing bow:跳ね弓、 (spiccato) (スピッカート)で」演奏するようにという指示で始めている。第一の目的は余計な雑音の無い心地よいスピッカートを鳴らすことであり、次の目的は、手を縮めて再び素早く開くことですべてのポジションにおけるシフトの練習をすることである。その際、次のハンド・ポジションのために音程を損なってはならない。これらの目的のため、また弓と左手の協調性

      • 破黙

        挨拶に特別な意味は無いけれど、挨拶をする人間になってしまうと、挨拶しない人は非常識に見える。挨拶は言わば潤滑油のような役割を果たしていて、世間話にならない程度の会話なのだ。 こういう時にはこういうことを言うものですよねという決まり文句にすこしアレンジを加えて、お互いの調子を合わせる。決まり事を守っていると一体感が生まれるのだ。 でもそういういろんな決まり文句が決まったとおりに流れているとたまに全部壊してみたくなる。 みんなが神妙な顔をして静かに座っていると、ここで大声で

        • 今ぼんやりと思ったけど、母親には受け入れてもらいたくて、父親には認めてもらいたいというもののような気がする。(今更?笑) 幻想でもなんでもいいんだけどね。

        • 固定された記事

        何を書いてもいいし、何を書かなくてもいい

        • Popper No. 27

        • 破黙

        • 今ぼんやりと思ったけど、母親には受け入れてもらいたくて、父親には認めてもらいたいというもののような気がする。(今更?笑) 幻想でもなんでもいいんだけどね。

        マガジン

        • いいはなし
          76本
        • 学び続けるために
          21本
        • 英語を楽しく学ぶ記事
          8本
        • 身体を健やかにする記事
          4本

        記事

          ゆっくりと街とその不確かな壁を読了。あまりにゆっくり過ぎて前半の話を忘れかけているし、特に後半のスピードが落ちたのは自分の生活のせいか物語のせいか。 だが、世界の終わりと―と合わせてこれで一応の完結なんだなという納得感はあった。いくつかのキーセンテンスがあったけど…忘れそう再読か

          ゆっくりと街とその不確かな壁を読了。あまりにゆっくり過ぎて前半の話を忘れかけているし、特に後半のスピードが落ちたのは自分の生活のせいか物語のせいか。 だが、世界の終わりと―と合わせてこれで一応の完結なんだなという納得感はあった。いくつかのキーセンテンスがあったけど…忘れそう再読か

          甘える

          甘えることはとても大事。その感覚のルーツは母胎の中で完全に守られて、すやすやぷかぷか浮いている状態にあるのだと思う。 外界には不快な刺激が沢山ある。動けば疲れるし、栄養も自分で取らなくちゃいけない。暑いし寒いし、痛いし怖いし、明るいし暗いし、排泄も大仕事だ。そういう様々な適応のための疲労から心身を休ませ回復するための方法が甘えることだ。 泣くのもそう。怒るのもそう。抱きつくのも、おねだりするのも、見て見ても、聞いて聞いても、全部そう。甘えること。「この気持ちを満たして!」

          甘える

          でんしゃ

          ふみきり かんかんかんかん(『じゃあじゃあびりびり』まついのりこ) がたんごとんがたんごとん(『がたんごとんがたんごとん』安西水丸) 絵本でお気に入りのページ。 道で見かけるといつもじぃっと見つめる視線の先。その乗り物に、今日初めて乗ってみた。大はしゃぎであった。 行きは普通列車の各駅停車でのんびり45分くらい揺られて行く。ガラガラで、景色を見ながらあー!あー!と歓喜の声をあげる。初電車ということで、彼を抱く彼女の写真を撮る。(他に乗客はいない。) 無事下車。駅近くのチ

          でんしゃ

          Popper "High school of violoncello playing" op. 73

          ポッパー作品番号73「チェロ演奏の高等課程への練習曲」と訳される全40曲からなる練習曲集である。「高等課程」とか「上級教本」とか訳されるけれど、「チェロ弾き高等学校」くらいに訳せば気軽に取り組めるかもしれない(冗談)。適切な順序で取り組んでいけば、その先にある多くのレパートリーを演奏するための良い準備になることは間違いない。 ーーー David Popperは"High school of violoncello playing"のなかに40曲の練習曲を集めた。これらは今

          Popper "High school of violoncello playing" op. 73

          Popper No. 19

          E-flat major, Allegro (116, 84)  このエチュードは「Lohengrin Study (ローエングリン・スタディ)」として良く知られてきた。ポッパーは以下の脚注を書き加えている。「この曲の最初の小節のみがローエングリンの第三幕におけるチェロの一節から取られている。この節は、特に要求される早いテンポにおいて、チェリストにいくつかの難しさを与えている。」このエチュードは、ある程度、No. 1エチュードのより難しいレベルの続編になっている。No. 1で

          Popper No. 19

          Popper No. 16

          C major, Allegro Moderato (84, 50) この曲においても、難しいポイントは異なるポジションやトライアド(三和音)において同じ高さの音を演奏することである。(最初の小節においても、二つのEで始まっている)再び、目的は三連符を演奏する時の弓のスピド感を保つことである。明確にスタッカートと書かれている音以外は、11番同様、デタシェの研究である。弾かない弦をジャンプする時、跳躍を無音で行うためにはその弦に触れてはいけない。短三度の音程はこの研究のもう一つ

          Popper No. 16

          楽器を楽しく弾き続けるには

          楽器を楽しく弾き続けるには ①その楽器をひくのが(上手くなくてもともかく)楽しい ②少しづつテクニックを身につけて上達するのが楽しい ③音楽を表現するのが楽しい という3種類の楽しみが上手くブレンドされていると良い (他にもアンサンブルが楽しいとか、先生が好きとか、打ち上げの飲み会が好きとか、まあ動機はいくつあってもいい) ①は憧れとか本能的な喜びとかだ。 ②については、基礎やエチュードを使って、漸進的に階段を登っていくような息長いアプローチが必要だ。 楽譜の読み方や練

          楽器を楽しく弾き続けるには

          ぴったりの言葉

          昨日の記事を書きながら、何かこれではないもう少し別の感覚を書きたいと思っている感じがあった。それが今日、散歩していたらふっと浮かんできた。 私が心に引っかかっていた言葉は、親バカじゃなくて、子煩悩だ。まあ似たようなものだと思う人もいるかもしれないが、私の中には異なるイメージがある。子煩悩という言葉には、ニコニコしている父親のイメージがある。 子煩悩な父親は、子どもと過ごしている時に楽しそうなのだ。それは、子どもと過ごしていることが楽しいからだ。 そう。楽しいから、楽しそう

          ぴったりの言葉

          ちかれた

          こんばんは。今日もおつかれさまです。 と、夜のnoteは語りかけてくれる。おつかれさまを平仮名で書くところがnoteらしい心遣いだ。文字から受ける印象というものを大切にしている。 仕事の種類と量が増えたので寝ても起きてもどこか疲れている日が増えた。でも日によって、充実した疲れと虚しくなるような疲れとがある。 違いは、自分で納得して引き受けている大変さかどうか。あるいは、そこに自分なりの喜びを見いだせる苦労であるかどうか。もうひとつは、感謝したり労りあったりできる仲間がいる

          ちかれた

          泣く

          泣くというのは自我を他人にさらけ出すことだと表現した人がいた 私はそれを感情や感覚が高まった時のひとつの表出の仕方というくらいにしか思っていなかったので、もしかしたらどこかで捨ててきた感覚なのかもしれないと感じた 彼はご飯を食べていると泣く 大好きな豆腐を食べ終わると泣く バナナが無くなると泣く パンケーキが無くなると泣く 貰って喜んだのが嘘かのように全力で泣く そんなに悲しいなら最初からあげない方がいいかなと悩むほどに泣く 確かに泣くことは自我を他者にさらけ出すこと

          雨の音が描くのは 遠い昔の滲んだ記憶 トントンと屋根から垂れ落ち コツコツと窓を叩き サァサァと野原を撫でる 雨に打たれる草木 波紋重なる溜まり 雫に濡れた微笑み 雨の音が描くのは 遠い昔の滲んだ記憶

          広場

          自治体が提携している親子広場なるものにみんなで行ってきた。 広々とした空間のなかで眺める息子はすこし違って見える。普段、家の中で見ていると彼が生活の中心で、その存在が大きすぎる。だからクローズアップされているのだと思う。大きく見えるのだ。 一方広場では、生後間も無い赤ちゃんから幼稚園児までがわらわらしている。そんな部屋の中では、息子もワンオブゼムになる。客観的な目で「赤ちゃん」だなぁと思える。心無しか小さく見えるのである。 新生児の本物赤ちゃんに比べたらうちの子は既に少年