著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、山本美希さん(マンガ作家・筑波大助教)です。
ヒスと呼ばれた母
「そんなヒス起こすなよ」と、父はいつも母に言っていた。子ども心に、母はヒステリーなのだと理解するようになった。細かいことでいつもカッカするのは、ヒステリーという母の資質だから、聞く耳を持つ必要はないのだ、と片付けることを覚えた。
母は、大学を出たあと銀行に就職し、数年働いて結婚
著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、しまおまほさん(作家・イラストレーター)です。
母になる私に
「あなたが結婚するような人だとは前から思っていなかった」
わたしが未婚で子どもを産むと決めたその場で、母がそう言ったからわたしはとても驚いた。順調とはいかずとも、いずれは結婚して、子どもを産むだろう。そんな期待を母がわたしにかけていると思い込んでいたから。
母も妊娠時には独身で
著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、田嶋陽子さん(女性学研究者・元法政大学教授)です。
母もまたフェミニストだった
母の初枝は1917年、新潟の山村に生まれた。よく、裕福な実家の自慢話をしながら、最後には必ず「学校さえ、出してもらっていたらねぇ」と嘆いた。
母は女学校はおろか、尋常小学校さえまともに通わせてもらえなかった。弟を背負って登校し、弟が泣くと先生に用務員室へ追いやら
著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、永田淳さん(「青磁社」代表・歌人)です。
直感力と突破力
母が私を詠んだ歌は全部で500首ほどもある。私の密かな自慢はこれほどまでに短歌に詠まれた息子は古今東西探しても私以外にはいない筈で、それはつまり世界一短歌に詠まれた息子である、ということである。
母の第7歌集『体力』の「派兵」と題された一連から取り上げてみる。
2階より息子下りくる