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「世界中で一番好きな人」、認知症の母に会いに行く!

大雪の可能性があった10日(木)道路の凍結を考えて保育園を休ませ、2歳4カ月になる息子とベッタリな4日間となった。珍しく土曜日出勤となった妻に代わって、育児と家事のワンオペとなった土曜日はずっと息子と2人時間。ランチを食べさせている時、レンチンした熱々の冷凍チャーハンをふぅーふぅーして食べさせながら、ふと、「こんなこと今しかできないな」なんて思いながら、貴重な時間をもしっかり味わいながら過ごせた。

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4連休の最終日となった13日(日)横浜から高速飛ばして埼玉県越生に向かった。認知症となって老人介護支援センターにいるおふくろに会いに行くためだ。20歳で俺を産んだおふくろは、若々しくて周りからいつまでも「お姉さん!」って言われていた。キャッチボールさえ親父よりもおふくろとやったほうが多い。小4の時、授業参観で生徒と一緒にドッジボール大会やった時、大活躍だった自慢のおふくろ、高校時代は俺の友達の恋愛相談にも乗っていたおふくろも80歳だ。


この状況下、面会できない日々が続いていたが、1回10分、4人までの制限で会えるようになった。
「お兄ちゃんのことわからないと思う。私のこともわからないことあるから。それにメンタルやられそうになるくらいずっと怒ってたり、泣いていたり、焦点定まらない感じでボーっとしてて会話にならないこともある・・・」
2歳年下の妹から電話で聞いていた。実家と徒歩圏内に暮らす妹におふくろのことはずっと任せっぱなしなのだ。

「おふくろに会いたい!」
でも、会うのが怖かった。

去年12月、仮に憶えていなくても、それでも会いに行く。

そう決められたのは、会える時に会っておかないと後悔すると思えたから。
そして、俺が3歳の頃、育児日記におふくろが書いた言葉を思い出せたから。

「世界中で一番好きな人」

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数分前のことは忘れても、人生で幸せいっぱいだった時のことは憶えているかもしれない。

妹と妻の美香、2歳の颯馬(ふうま)と4人で会いに行くと

「街ですれ違ってもわからないね。本当にシンなの?」
って満面の笑みだった。会うのは4年ぶりだった。

妹からLINEがあった。
「お兄ちゃんは、ついている人生なのかもね😉 
初めから私のことがわかったのは、あの時が初めてだったし、
あんなに調子の良いときは、無かったよ」
それを娘たちに伝えると、
「私たちもお祖母ちゃんに会いたい!」

家族3人で越生に向かい途中の坂戸駅で娘たちと合流して5人で向かった。
妹の旦那と美香と颯馬は駐車場で待つことになった。
妹と娘たち2人と4人でガラス越しに会いに行った。

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「娘たち、未空(みく)は23歳、七海(なつみ)は21歳になったよ!」
「えぇーーーみくちゃんとなっちゃんなの?」
って、正気になった。未空は泣いていた。

「前回会わせた2歳の長男、颯馬(ふうま)は憶えてる?」

忘れていた。

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「俺も60歳、還暦になったよ」
「じゃー私はいくつになったの?」
「今月27日で81歳だよ」
「えぇーーーーそうなの?」

今回も笑顔で話せた。妹に言わせると、
「今日のお母さんががベストかも。こんなにご機嫌の日なかったから。」
そういえば、孫の娘たちと会う時は、いつも上機嫌だった。

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去年の12月といい、今回といい奇跡の2日間だった。会う機会をつくってくれた妹の悦子、ありがとう。

今、美香と2歳の長男を見ながら思う。美香にとって颯馬は、
「世界で一番好きな人」
なんだか書く力が湧いてきた。文字で残すことで、いつか大きくなった息子に影響を与えるかもしれない。育児日記が57年の時を経て今の俺に影響を与えたように。

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「100年先まで残したい言葉は、何ですか?」そんな問いに答えながら、それを意識しながら、音声メディア・voicyラジオで声を届け、思いを伝えるために本の執筆、そして、このnoteを書いていきたい。

 頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。
 自分が頑張って駆け続けてこれたのは、
 あの母に褒められたい一心だったと思います。
  「あなたに褒められたくて」 高倉 健(著)


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