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パクチー・オーナー向けの不定期メルマガです。 https://www.paxi.coffee/atm/owners オーナーにならなくても読めるように設定しました。
JR内房線保田駅の目の前にある「パクチー銀行」の営業日誌です。
パクチー・オーナーのみなさん、こんにちは。 今年の猛暑は、昨年に引き続きパクチーにとってはかなり厳しい状況になっております。昨年は7月下旬から3週間ほど、パクチー確保がかなり困難でしたが、今年は7月上旬から始まり、いまだにめどが立たない状況です。順番にまいていたパクチーも、全部無くなってしまった上に新しい芽もでてきません。 いま、パクチー銀行で主に取引している農家さんの生産量は、通常比89%減といったところです。パクのダジャレというだけではなく実際そのぐらいとなっています
「竹下通り」 保田駅前の商店街は、今でこそ誰も歩いていないことの多い寂しいシャッター街だが(注:借りる人がいないのではなく貸す人がいないのが、日本の多くのシャッター街の問題点)、かつては「他人と肩がぶつかるほど」賑わっていたそうだ。 鋸南に住むお年寄りから、何度も何度も「竹下通りぐらいすごかった」とか「竹下通りより道幅が広いのだから、原宿より賑わっていたのよ」という話を聞いたことがある。今では想像もできないけれど、エネルギー溢れる駅前だったのだろう。 この商店街を「竹下
佐谷恭の『パクチー起業論』 2024年8月11日号より Nanboなす祭り、2日目。13年前にメドックマラソンで出会った小野寺くんが来パク。彼に無限焼酎を注ぎ、他に誰もいなくなった店内で語っていたとき、3人組が入ってきた。鋸山に登り、ばんやで食事をして保田駅から内房線に乗ろうと思ったら・・・電車がない。後ろを振り向くと、「パクチー銀行」と書かれていた。これはもしやと来店したらしい。 「ベトナムで、ホーチミンで、一緒に走りましたよね」。そう告げられたとき、ホーチミンの9月2
世の中、「やりたいことがありすぎる」人と「やりたいことがない」人に二分化している。僕は自分のすべきことを忘れてしまうほどやりたいことが湧き出るタイプだ。 本書は“キャラ作り”を通じて行動する人間になる方法が書かれている。といっても、キャラ作りと行動は両輪のような関係であり、行動せざるを得ない状況作りが大事であるとわかる。筋の通った人間などいず、行動も考えもころころ変える。大量行動が未来を生み、過去もいい方向に変えられるという話を僕も講演などでよくする。 起業したい人がよく
パクチー銀行、8月1週目は休みです。次の営業日は、パクチー暦20年元日(西暦2024年8月9日)です。つまり、パクチーの日です。 パクチーの日は、西暦2005年に、日本パクチー狂会によって制定されました。同日、太平洋の反対側では、コワーキング(coworking)という単語がAmit Gupta氏の提唱で初めて使われました。 2007年のパクチーの日に、世界初のパクチー料理専門店を運営するため、佐谷恭が株式会社旅と平和を創立。 東京初のコワーキングPAX Coworking
道の駅保田小学校附属ようちえんにできた施設でJellyをしてみた。「まちのオフィス」「くらしのステーション」はコワーキングということになっているが、コワーキングが行われているのを見たことがない。 コワーキングは場所でなく人。箱だけ作ってもしょうがないけれど、他の多くの自治体と同様、鋸南町にも箱だけのなんちゃってコワーキングができた。コンサルタントに依頼して設計したようだが、そのコンサルタントはコワーキングの運営どころか利用もしたことがなかったのだろうなと完成形を見て思った。
鋸南町中央公民館にて、競わないランニング文化を創るをテーマに、3つの講演会を企画・実行した。競わないランニング文化を創るは、鋸南エアルポルト名誉アーティストでもあるGPSランナーの志水直樹さんの言葉。 サハラマラソン2024完走報告会 6月19日開催 GPSアート〜ペルーで最大の地上絵を描くプロジェクト報告会 6月29日開催 シャルソンの開き方講座:世界と地域を「再発見」 7月14日開催
国境の島・与那国に1976年から2015年までサトウキビ刈り援農隊を送り続けた援農舎の記録。本書が出版された後も10年ほど続いたことになる。援農隊という名で、今も募集している自治体はあるが、本書はその元になる仕組みを作ったうちの1人が書いたもの。 沖縄変換直後に始まった活動である。沖縄とくに離島の人たちが変化に翻弄され苦境に陥った。それを助けたいという一心から生まれたボランティア活動だったが、国や県や県の思惑にもかなり翻弄された。島が自立するために何ができるか、何をすべきか
東京には世界各国のレストランがある。日本人の食に対する好奇心と、本物をやんわり拒む全体性、シェフのアレンジ能力の高さが、現在の独特な雰囲気を作った。エリックサウスの稲田さんが東京(および日本)で独自の変化を遂げた○○料理の解説に唸った。 僕は大学に入るまで、ほとんど外食をしたことがなかった。料理経験なしで自炊を始め、本書にも片鱗の出てきていそうなマニアックな京都の飲食店にたまに出かけていた。その後、就職で東京へ。僕の外食は、バックパッカーとしての現地料理と、旅人と再会するた
ウルトラシャルソンは「まち」と「まち」をつなぐ。 2012年2月に思いつきで経堂マラソンを企画した。たくさんの地域やコミュニティを考える人たちが手を貸してくれておかげで、その仕組みは「シャルソン」となり、2年半弱経った今では全国で開催されるイベントとなっている。 「まち」を自分が走る(歩く)スピードで見て回り、意識して面白いものを探すことで、自分たちの周辺には思った以上にいろいろな「知らないこと」にあふれていることに気づき、魅力が満載ということに気づく。自分のまちをシャル
飛島(山形唯一の離島)の醤油にフォーカスした超マニアックな本。研究者の生態(仕事と遊びの融合)がノマドワーカーのそれと同じであることが分かり、また、飛島には行かねばと思わせる内容だった。 伝統を守らねばという内容ではない。研究者として、一般的な感覚として発想のスタートはそこにあるのだが、島の人たちの感覚であっさり否定される。僕は魚醤が好きだから、読む前は「絶えないでほしい」というような気持ちを持っていたが、流れに任せるというのもいい(絶えてほしいというわけではない)。 「
僕は常にポジティブであろうとしているし、ネガティブな言葉は基本的に好きじゃない。だから、この本が届いてから半年以上、手に取る気になれなかった。 読んでみてビックリ。僕自身の思考は、著者の言う「ネガティブ思考」だった。確かに僕は、ネガティブな言葉を発する人と同様に、全てをポジティブに置き換えてネガティブが透けて見える人が嫌いだ。だから僕はネガティブは嫌いなんだと思っていた。そうではないのだ。 執着しすぎる、ゴールにこだわる、安心安全でごまかす。意識の高い個人とかなり多くの組
中央公民館で、本当に素晴らしい時間が過ごせました。そして、9月まで行う #サハラマラソン展 に、毎日いろいろな方が刺激を受けてくれています。 エクストリームランナーが集う町、鋸南。
先週から『ロッコクキッチン』の販売を始めた。 僕が読みたかったので取り寄せつつ、この本の存在を一人でも多くの人に知らしめたいなと思い、10冊だけ仕入れた。先日、著者の川内有緒さんがラジオに出演し、この本のことを紹介したらしい。それを鋸南の方が聞いた。 「ぜひ読んでみたい」と思って調べたら、「鋸南町」の文字が見えて驚愕したそうだ。なんで鋸南に売ってるの!と。こうして僕は、この本を通じて鋸南に知り合いができた。嬉しい接点だ。 あと残り4冊です。
『パクチー起業論』6月22日号より 友人たちを連れて鋸南一周ツアー、のつもりだったが、メンバーの1人が成田山に縁があるという話から、パクチー銀行から最も近いお寺である成田山歓喜院からツアーを始め、そこの住職の本拠地である那古観音まで行くことにした。 会話の中から行き先が決まる。僕が主催しているコワーキングツアーを可能な限り再現したいという話が、ここにまさにできあがったわけだが、それに必要なのは「その地域に関する幅広いネットワーク」「瞬時に計画を変更できる柔軟性」「予定不調
都知事選の掲示板見てると、東京都はもう不要だと感じる。23区以外を東京県にして、23区は独立した自治体にしたらいい。一区でやれないところは合併。名付けて「ド区立都構想」。 ついでに南房総は千葉県から離れて安房県に、全国も廃県置藩で行こう。一万人以下の自治体が生き残る新時代。