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「まち」と「まち」をつなぐ

ウルトラシャルソンは「まち」と「まち」をつなぐ。

2012年2月に思いつきで経堂マラソンを企画した。たくさんの地域やコミュニティを考える人たちが手を貸してくれておかげで、その仕組みは「シャルソン」となり、2年半弱経った今では全国で開催されるイベントとなっている。

「まち」を自分が走る(歩く)スピードで見て回り、意識して面白いものを探すことで、自分たちの周辺には思った以上にいろいろな「知らないこと」にあふれていることに気づき、魅力が満載ということに気づく。自分のまちをシャルソンしても楽しめるし、知らないまちをシャルソンしても楽しめる。有名どころに行く「観光」は人並み以上の喜びを感じにくいが、自分で魅力を発見する「シャルソン」は、主に人を通じてそのまちのリピーターとなる大きな可能性を秘めている。

シャルソンは、「まち」の中で行なわれる。地域を活性化するための有効な手段となっていると思う。これからも、意欲あふれる人たちが、この仕組みを使って自分たちの周囲に眠る「まち」の魅力を多くの人に気づかせてほしい。

ウルトラシャルソンは「まち」と「まち」をつなぐ。

おそらくどんなまちにも魅力がある。京都や鎌倉みたいに観光地としてメジャーなところだけでなく、過疎化したところでも。観光地を点として捉え、その間をワープして見て回るのではなく、その間に線を引いて行くことで、そのまちに何が起こっているかを自分なりの視点で発見できる。

「まち」の中をシャルソンで、いろいろな人が線を引き始めた。

では、「まち」と「まち」の間はどうだろう。

2013年9月、宮城県の牡鹿半島でシャルソンがあった。僕も一人の参加者として、訪れることにした。朝から新幹線とバスを乗り継いで石巻へ。そこから受付の場所までは約30km。バスで行くつもりだったが、次のバスは2時間ほど後だということが分かった。

とりあえず牡鹿半島に向かってみようと思い、google mapを頼りに走り始めた。距離は長いけれど、疲れたら抜かされるバスに乗ればいいと思った。

半島を走るというと、なんとなく海岸線を走るイメージでいた。しかし、それはリアス式海岸のなんたるかを知らなかったからできた勝手なイメージだ。そこにある道路は急坂を登り、また下るという厳しい道路の繰り返しだった。普通に30km走る走力は僕は持っているのだが、アップダウンが続いて思わず笑ってしまった。きつい。

そんなところを走っている人はいないので、地元の方が車から声をかけてくれた。「乗ってけー」。でもアップダウンにだんだん魅了されて行った僕は、少しお話をした後、「大丈夫、走れるからー」と。

いくつかの給◯スポットに立ち寄った後、結局30km超を走りきった。

夜の宴会の際に、ほとんどの人から「なんでそんなとこ走ったのー」と笑われたが、僕は個人的な充実感を持っていた。リアス式海岸を地図の平面でしか捉えていなかったが、それを身体を張って知ることができたからだ。今後地図を見るときの想像力も膨らむ。

そしてしばらくしたときに、年配の男性がこう言った。「あの日は俺も歩いた」。

牡鹿半島に住む人で石巻の中心部に職場がある人は結構いるそうだ。普段は当然、車で通勤する。でもあの日、不安の中、状況が分からないまま歩いて家に向かった人がその道にはいたみたいだ。僕は図らずも、その足跡を追体験したのだなと思った。

僕は旅が好きだ。飛行機は便利だけど、列車やバスで景色を見ながら移動することを好む。だからユーラシア大陸を3度横断した。車窓からの景色もいい、でも、自分の足で進みながら見て行くのは、結構走れるようになった今、より魅力的な行為となった。

リアス式海岸を身体で体験し、被災した方の状況をもしかしたら追体験できたかも・・・これが僕のこのときの収穫だった。たいしたことじゃないかもしれないが、線でつなぐことによって気づいたことだ。

東北の沿岸を線でつなぐ価値はあると思う。それをしたらこうなりますと説明できることは一つもないし、もしかしたらなにも生まれないかもしれない。でも、それぞれの状況を見て、比べて、訪れた場所のことを考えるためには、自分の足で移動するぐらいのスピードがちょうどいいんじゃないかと思っている。

ウルトラシャルソンは「まち」と「まち」をつなぐ。


メルマガ『パクチー起業論』2014/7/29号より



鋸南シャルソン と、その前座としてのシャルソン トークライブを7月14日に行います。



パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。