アナログ派の愉しみ/本◎井伏鱒二 著『コタツ花』『おふくろ』
ぬめぬめと掴みどころのないものを
描写して天下一品の技
井伏鱒二という作家は、ずっと謎めいた存在だった。どうにも掴みどころがないのだ。20代で書いた『山椒魚』(1923年『幽閉』の題で初出)が処女作にして近代文学の古典となってしまうとは、はなはだ異例だろう。日本国民のたいていは教科書で一度は読んでいるのではないか。と同時に、井伏の以後のおびただしい作品を、たいていは一度も読まないでいるのではないか。それらはどこかとりとめのない印象で、実際、わたし自身も最近まで敬遠してきたクチだった。
不意に合点がいったのだ。井伏とはまさしく掴みどころのない作家、より正確に言うなら、掴みどころのないものを描く名手だった、と――。くだんの『山椒魚』にしても、やはり初期の名作『鯉』(1926年)にしても、魚類や両生類といったぬめぬめと掴みどころのないものに対して、井伏の文才が最も精彩を帯びたようなのだ。
その天下一品の技を思い知らされたのは、『コタツ花』(1963年)だ。やはり感覚的にフィットするのか、釣りをこよなく愛する著者が長野県の姫川上流の村へ出かけ、反故伝(ほごでん)という爺さんとの交流を描いた物語だ。爺さんは、爬虫類のヤマカガシこそ川魚を捕る名人で、その気のくばり方、身のこなしを教えてもらったらいい、と話す。そして、かつて嵐に見舞われたときに目撃したという、激流逆巻く川の向こう岸のミズナラから一匹のヤマカガシが身を乗り出して、強風でしなるこちら岸のケヤキの枝へ移ろうと奮闘しているさまが描写される。
蛇は頭をもたげ、幹に戻らうとして懸命に身をくねらせるが、垂れ下がつてゐる長さの半分までも頭を持ち上げることが出来なかつた。力が尽き果てたやうに逆さに垂れた。それでも、この無様な恰好で息を入れようとしてゐたらしい。やがて首をもたげようとするのだが、垂れてゐる長さの半分までも頭が届かない。また立てようとして失敗した。同じことを繰返した。
爺さんは「悪あがきだよ」とつぶやく。が、つぎの瞬間……。わたしはその文章が呼び起こす光景に総毛立ってしまった。
ところが、この徒労に似た真似を繰返してゐるうちに、さきほどまで幹を一と巻きしてゐた尾の部分が、いつの間にか二た巻き三巻きになつていた。垂れ下がつてゐる胴の部分も短くなつてゐた。見る見る、頭が折れ口のささくれのところへ楽に戻つた。尾は、胴体が揺れもがくたびに、こつそりと逆這(さかば)ひの絡繰(からくり)をしてゐたらしい。
男性一般にとって、ぬめぬめとして掴みどころがない、と言えば蛇以上に、母親なる存在がそれに当たるのではないだろうか。ぬめぬめした子宮に生を享け、この世に生れ落ちて乳首をくわえてから、いのちあるかぎり、母性という名の魔手に絡め取られて逃れる術はないのだ。そのへんの機微を、さすがに井伏の『おふくろ』(1960年)はみごとに捉えている。広島県安那郡加茂村(現・福山市)に帰郷した折のエピソードだ。
「ますじ」と、十二年前か十三年前、私が久しぶりに帰つたとき、義姉や甥の一緒にゐる夕飯の席でお袋が云つた。「お前、東京で小説を書いとるさうなが、何を見て書いとるんか」
「何を見て書いとるかと云つても」と私は、大してまごつかないで返答した。「いろんな景色や川や山を見て、それから、歴史の本で見た話や、人に聞いた話や、自分の思ひついたことや、自分が世間で見たことや、そんなの書いとるんですがな」
「それでも、何かお手本を置いて書いとるんぢゃなからうか」
「それは本を読めば読むほど、よい智恵が出るかもしれんが」
「字引も引かねばならんの。字を間違はんやうに書かんといけんが。字を間違つたら、さつぱりぢゃの」
お袋は暫く黙つてゐたが、説教はこれだけで止さうと思つたのだらう。
「よし子」と、義姉に云つた。「ますじに、酒を飲ましてやつてくれ。あんまり飲むと毒ぢやから、徳利に一つだけ酒をわかしてやつてくれ」
この対話が交わされたころ、井伏はすでに五十路に差し掛かって、全9巻の選集の刊行がはじまり、直木賞の選考委員をつとめるなど文壇で大家をなしていたのである。
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