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パチンコ、タバコ、そして親父

親父は無類のパチンコ好きでした。
会社帰りに毎日のようにパチンコ屋に寄っていました。
閉店まで打ち続けることもしばしば。

そんな親父を見ていて、私は幼いころ、世の父親はみんなパチンコをしているものだと思っていました。

あるとき、当時住んでいた従業員用のアパートに来客がありました。
友達が遊びにきたのかと思い、勇んで玄関に行くと知らない男の人。
「お父さんは?」
と聞いてきたので、私は迷わず
「パチンコ!」
と答えました。
慌てたのはおふくろです。
私の声を聞いてすぐに玄関に飛んできました。
「今日は仕事に出ています」
その後、私はおふくろからひどく叱られました。

その親父が、肺がんにかかりました。
私が40歳を過ぎた頃でした。
医師は、「原因は100%タバコです、余命は1年くらいでしょう」と淡々と私とおふくろに告げました。
親父は、チェーンスモーカーでした。
家の内装がヤニで黄色くなるほど吸っていました。

本人に告知するべきだという医師に、私は「やめてください」とお願いしました。
親父の世代の常識では、告知しないことの方が多かったし、神経質な親父が告知を受ければショックで生きる意欲を失ってしまうかもしれないと思ったからです。
しかし、医師は頑として聞き入れませんでした。

その後、家族が病院に呼ばれ、親父がいるところで医師は余命を宣告しました。
医師は私や家族の希望を忖度したのか、「余命は2年」と優しい嘘をついてくれました。
親父は、思ったより冷静でした。
ただ、天井を見上げて「2年かあ」とつぶやきました。
そして、しばらくしてから「まあ、まだ2年あるということか」と自分を鼓舞するように言いました。

親父は入院していたのですが、一通りの検査が終わった時に外出を許されました。
私が車で親父を家に連れて帰ることになりました。
その道中、
「おい、パチンコ屋に寄ってくれ」
と親父が突然言い出しました。
その頃のパチンコ屋は今と違って換気も悪く、タバコの煙が充満しているような店が多かったので、肺がんを患っている者を連れていけるはずがありません。
「親父、本気か?」
「頼む。これが最後かもしれん」
まあ、どうせすぐ負けるだろうから10分か15分ならいいかと思い、
懇願する親父に根負けして、私はパチンコ屋へと向かいました。

ところが、奇蹟というのは起こるもので、親父はフィーバー系の台に座った直後に大当たりを引いたのです。
しかも、連続でかかり続けました(俗に言う連チャンです)。
私は、親父の強運を執念のように感じました。
こんなこともあるんだ。

そして、親父が私の方に顔を向けました。
さぞ、喜んでいるだろうと思ったら、私の目に映った親父の顔は何とも言えないほど寂しいものでした。
情けない、と言った方がいいかもしれない、そんな顔だったのです。

家で待っていたおふくろは、その話を聞いて激怒しました。
「あんたら、何を考えてるの!」
当然です。


あの時、親父がなぜ寂しい顔をしたのか。
親父をお骨を拾いながら考えました。

「こんな幸運があるはずがないじゃないか」

親父は自分の運命を
医師の宣告のときではなく、
絶え間なく出てくるパチンコの玉を見て確信したのかもしれません。


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