旅とロックと映画と。 「イギリス~ブライトン編~」
「トラウマ映画」や「建築映画」など、映画のジャンルは無限にあるが、私が定義した新たなジャンルが「封印映画」。
要約すると「あまりに感動しすぎて自我が保てず、もう一回観るのが怖くなって自ら封印した映画」を指す。
その筆頭は『小さな恋のメロディ』、
そして『さらば青春の光』である。
恐らく30年以上振りに観始めた。
この映画は高校生で初めて観た。
1980年代半ば、高校生の私はTHE WHOのコピーバンドを組んで学園祭に出た。
私はドラマーであった。
その準備のために、THE WHOのモンタレーポップフェスの映像を100回見た私は、キース・ムーンのドラムセットに「粉塵」が仕込まれているのを発見した。
それを再現するため、学園祭ライブの当日、タッパーに「小麦粉」を詰めて登校した。
ライブ直前、緞帳が下りた体育館のステージの上でドラムセットのフロア・タムの上に小麦粉をまぶした。
「多過ぎないかな?」
これが本番直前に私がメンバーに訊いた言葉だ。
いざ、ライブが始まると人格が変わってブチ切れるのは今も大昔も変わらない。
ステージの緞帳が上がるや否や、
「アイ・キャント・エクスプレイン」、「恋のピンチヒッター」、「ピンボールの魔術師」、「シーミーフィールミー」と、神セットリストを完璧にこなし、
最後の「マイジェネレーション」のエンディングでドラムを蹴飛ばした。
仕込んだ小麦粉は綺麗に宙を舞った。
THE WHOなぞ誰も知らない客席の田舎の高校生は、我々の「異様な気合い」に圧倒され、総立ちとなった。
こうして私は、田舎の青春にクソつまんない些末な伝説を残した。
さて、田舎の些末な田舎の夢の時間は終わり、東京でバンドやって、モッズコートを着て、スクーター乗って、東京の街を流そうぜ!
と、バンドのメンバー達と田舎の喫茶店で話をした。
遂に『さらば青春の光』を実装する時がやってきたのだ。
我々は期待と不安に震えながら東京へと向かった。
だが、しかし、、
結局私はそっち方面には行かなかった。
上京して3年程試行錯誤して、私は「FUNK」ミュージックで勝負を賭けた。
時は1990年代年を迎えてようとしてた頃、
「時代」の音楽は「FUNK」だったからだ。
当時の東京の新宿辺りにはモッズ・コミュニティがあり、勿論私もその存在を知っていた。
しかし、私がやりたいのは「歴史」のコスチューム・プレイではなく、
「時代と寝る」
ことであった。
それすなわち、
『さらば青春の光』の本質と目を逸らさずに向き合う事に他ならなかった。
何故私がこの映画にこれ程までに心震わされたかと言えば、
コスチューム・プレイの疑似快楽ではなく、
その「時代と寝る」エクスタシィのあまりの恍惚の深さを目の当たりにしたからである。
主人公ジミーは正に凡庸なイギリス社会の底辺層(労働者階級)であるが、彼は時代を席巻したロンドンのモッズ・コミュニティを通して「1964年の春という時代と寝た」。
その「一瞬の出来事」だけで永遠の輝きを放つスタンダード映画が出来上がったのである。
その「一瞬のエクスタシィ」の凄味は私に取り憑き、多大なる恐怖を与え続けることになった。
「オマエはこれほどまでに人生を完全燃焼しているか!?」と、この映画は四六時中、私に問いかけてくる、
「今という時代をちゃんと味わい尽くしているか!?」と。
もし「無様に歳を取ってしまっていたら(THE WHOの歌詞にも似たような一節があった)」ジミーに顔向けできない。
かくして、私は『さらば青春の光』を封印した。
あれから数十年、
遂に封印を解いて再び観た『さらば青春の光』、
その恐怖に煽られながら何とかここまで突っ走ってきた(スクーターには乗らなかったが)。
そんな現在の私からの回答は、
ファックオフ!
である。
オマエのせいでな、ジミー、
オレはオマエのせいで人生踏み外して、、、
おかげで最高だぜ!
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稲本潤一がプレミアリーグのフラムFCに居た時の冬、
ロンドンに遊びに行ったついでに「ブライトン」に行く日を設けた。
「聖地巡礼」の旅である。
朝っぱらから鉄道に乗り、羊だらけの田園風景を車窓から眺めながらブライトンについた。
平日のブライトンは人気も無く、どんよりと曇った空の下、カフェに入って朝食を取ると、そこには「さらば青春の光・名所巡りツアー」の張り紙があった。
別のお店には「関連グッズ」が山ほど並んでいた。
(まあ、そういうことになるだろうね)
私は一人静かに海に向かった。
海岸についた。
1964年にモッズvsロッカーズが大乱闘していた海岸には人影も無く、
ただ波の音だけが聞こえていた。
(まあ、確かに、ここだ)
周りを一通り見渡した後、あっという間にやることも無くなった私は波打ち際に近づいた。
そして、ブライトンの海の水を手で掬うと、頭にふりかけた。
そう、浅草は浅草寺の線香の煙がもうもうと立ち昇る「常香炉(じょうこうろ)」で、観光客がその煙を頭にかけるように。
そして、そのまま真っ直ぐにロンドンに帰る列車に乗った。
完。