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【読書感想文】村上龍「限りなく透明に近いブルー」

こんばんは!
ブルートランスパレンシー、小栗義樹です。

本日は読書感想文を書かせて頂きます!
僕が好きな本、読んだ本を題材に感想文を書き、本に触れるきっかけを作れれたらいいなという試みです。

本日の題材はコチラです

村上龍「限りなく透明に近いブルー」

1976年7月に発表された村上龍のデビュー作です。群像新人賞・芥川賞を受賞した作品であり、芥川賞の選考においては審査員の間で賛否両論を巻き起こした問題作でもあります。

2015年の時点で累計部数が367万部にまで達しており、芥川賞作品の中でも最も売れている作品と言われています。また、この作品は多くのフォロワーを生んでいて、僕が大好きなLUNA SEAというロックバンドは「ブルートランスパレンシー」という曲の副題に同作品の名前が使われています。

村上龍さんの作品は、その当時の若手ロックバンドや後続の作家に強烈な影響を与えているものが多いですが、中でも限りなく透明に近いブルーのフォロワーは多いとのことで、それくらい衝撃的なデビューであったことが逸話からもうかがえます。

内容はドラッグとセックスが日常となった怠惰な若者たちの生活を淡々と書くというものです。物語が進んでいくにつれて、登場人物はどんどん破滅に向かっていくのですが、その時の景色・色・匂い・腐敗・亀裂・破壊みたいなものがあまりにも鮮明に描かれていて、文字を読んでいるのに用意された何枚かの絵を隅々まで細かく見ているような感覚に陥る不思議な作品です。

時代的に日本という国がまだまだ豊かな状態にあったことが分かります。豊かなら、そりゃこういう若者がいても可笑しくないだろうと思うし、それはこの時代のニューカルチャーで、新しい思想だったのかもしれません。

村上春樹の風の歌を聴けと楽しみ方は似ていますが、伝わってくる印象がまるで違います。特に色が大きく違っていて、風の歌を聴けは全てが淡い絵の具のようですが、限りなく透明に近いブルーは強い光が当たり続けるステンドグラスのようなギラギラしたまぶしさがあります。

生に関する立ち位置の差みたいなものも節々に感じます。ただ流れていく日常の寂しさから生を見出す風の歌を聴けとは対照的に、限りなく透明に近いブルーは破滅の境地から見出される一筋の生の美しさみたいなものが特徴的です。

だからこそ、だらしない生活感の中に漂う匂いや熱の伝わり方がとても生々しく、そこには確かに人がいたという説得力のようなものひしひしと伝わってきます。

僕はこの情景を伝えるために織り交ぜられた様々な詩的表現に心を打たれました。

灰色の建物は音と水分を吸い込んで僕たちを引き寄せる。
頭の中の都市にさ、飛行場を付け加えるのを忘れてたんだ。
血を緑に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。

ミッシェルガンエレファントがこの作品に影響を受けたのもすごく分かるし、これはヴィジュアル系バンドが書く歌詞の造形にも近いものがあって、読みながら音楽を聴いているような気分になりました。

違う言い方をするのなら、抽象画なんですよね。紙芝居の中に抽象画を挟み込むと妙にその抽象画は印象に残り、その絵のインパクトが大きければ大きいほど、お話との落差で不安や焦燥感にかられるじゃないですか?

音楽、特にロックはそういう手法を取るのが主流で、それは本来文章だけでは演出することが不可能だと思っていたことだったのに、限りなく透明に近いブルーは、そんな表現方法を多分に使いながら、耳に残るイメージだけではなく口や鼻や肌にまで、壊れた後に生まれた生き方を伝えているように思います。

だからこそ多くの時代に疑問を持つ当時の若者の心を掴み、それが新たな作品になったり、人生を異端として生きるものを生み出したりしたのではないかなと思うのです。

作品を難解と捉えるよりも、こういう表現を村上龍さんが創ったと考え、その言葉や言い回し、イメージみたいなものを純粋に楽しむことが、この本を一番贅沢に味わうことが出来る方法なのではないかと思います。

人生で一度は読んでほしい本で、絶対に損はしないと言い切ることが出来ます。

恐らくですが、古本屋さんに行けば中古で売っていると思います。

良かったら読んでみてください。特に、これから表現をやってみたいと考えている人は、絶対に読んだほうがいいと思います。

というわけで、本日はこの辺で失礼いたします。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
また明日の記事でお会いしましょう!


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