#徳川家康
メルヘンでファンタジーな「どうする家康」
以下、敬称略
「人ではありませぬ、大権現!」
驚きました!
なんと!老僧は南光坊天海で、演じているのは小栗旬!
特殊メイクが凄すぎてわからんわ💦
おそらく昨年の「鎌倉殿…」のお返し出場で、最終回には何らかのカタチで登場するとは想像できたのですが、まさかここですかっ!!
私が勝手に想像していたのは成長した家光役でした。
「我は生まれながらの将軍である」
このセリフを明言するワンカット
家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。
うっそ~ん!
「おもしろい」
とつぶやきながら、茶々が不敵な笑みを浮かべる。
大坂の陣の引き金となった「方広寺鐘銘事件」は家康から難癖を付けたのではないの?
なんで豊臣方が仕掛けた事になってんの?
これには参った。。。
いったいどこまで徳川を美化するのでしょう。
いくら可能性はゼロではないにしても、私には強引に思えます。
過去記事にも書かせていただきましたが、茶々に対しては、その他のエピ
今がチャ~ンス!天下取りへ発進!
今回の41回「逆襲の三成」で大ウケしたシーンがありました。
大阪城に徳川家臣団が集合するところ。
本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)、井伊直政(板垣李光人)、鳥居元忠(音尾琢真)らが、幔幕の後ろから、ご丁寧に一人ずつポーズを決めて入場しましたね。
まるでパリコレモデルみたいに(笑)
あれは完全にウケ狙いですよね?笑ってもいいところですよね?
そして周りの取り巻きは羨望の眼差しを向け
家康のブレーン「天海」と「崇伝」はどちらが黒いのか。
歴史上、権力者たちの軍師的存在として
「黒衣の宰相」と呼ばれた者たちがいます。
たとえば、
今川義元の太源雪斎、豊臣秀吉には安国寺恵瓊や千利休、そして昨年の大河「鎌倉殿の13人」での慈円も後鳥羽上皇の黒衣の宰相と言えるのかもしれません。
徳川家康にも二人の高僧が存在していました。
その名は「南光坊 天海」と「金地院 崇伝」です。
只今、拙書「奥の枝道シリーズ 其の六」を執筆中なのですが、南禅
妻たちを見ると家康の狙いがわかる?!
英雄色を好む
と言うけれど、戦国の三英傑の正室や愛妾の数を見ると、うなずけるものがあります。
織田信長は妻9人(子27人)、豊臣秀吉20人(子4人)、
そして徳川家康21人(子16人)。
あくまでも確認できるだけでこれだけいるのですが、実際にはもっとたくさんの側室や子供がいた可能性もあります。
宣教師のルイスフロイスは、秀吉の愛妾は300人いたなどと言っているぐらいなので、公にされていない
今回は大阪人として物申す!
「殿、決してお忘れあるな。わたくしはどこまでも、殿と一緒でござる」
石川数正は自ら裏切ったのか、それとも家康の命でスパイとして送り込まれたのか。
どちらの説を採るのか、ある意味楽しみにしていましたが、なるほどこうきましたか。
大坂の繁栄ぶりや秀吉の言動を冷静に観察し、自らの独断で相手の懐に入り込んだわけですね。
捨て身の言動には迫力すら感じました。
演者の松重豊さん、とても「孤独のグルメ」での
武田勝頼は「桶狭間」を夢見たのか?
勝頼(真栄田郷敦)はどうして退かなかったのか??
ここは速攻で退いて、仕切り直すのが当たり前なのに、父の信玄を超えたかった?
そして、「桶狭間の戦い」を夢見たのでしょうか?
もしかしたら、父の信玄に反発していたのかもしれないとさえ感じます。
過去に戦国2世について書かせていただきました。
父があまりにも偉大すぎて、重臣たちの気持ちが離れていたようで、確固たる信頼関係が築けていなかったとされ
「どうする家康」で注目したい幕末史
家康の生涯で一番の修羅場、大苦戦となった武田信玄との「三方ヶ原の戦い」。
圧倒的な強さを誇る武田軍ですが、信玄亡き後は惨めに滅んでゆくので、その対比を感じるためにも、今の状態をしっかり押さえて、今後の勝頼(真栄田郷敦)の動向に注目です。
それにしても、家康が打ち取られたと思える終わり方でしたが、そこは主役ですからオチは必ずあり、種明かしは次週にゆだねられましたね。
家臣の誰かが影武者となった
忠敬先生の足跡 1 『4-16・17三保村』
昨年、映画🎞『大河への道』を拝見して、感動しました。伊能図を手がけたことで有名な伊能忠敬の半生を描いたというより、名も無き、忠敬のお弟子さんたちの🗾日本地図にまつわるエピソードを描いた映画でした。
伊能忠敬も凄い方なのですが、忠敬を慕い🗺日本地図を完成させるお弟子さんたちにも拍手を贈りたいです。
伊能忠敬は、延享2年1月11日(新暦・太陽暦では1745年2月11日)生まれです。さす