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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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#徳川家康

メルヘンでファンタジーな「どうする家康」

メルヘンでファンタジーな「どうする家康」

以下、敬称略

「人ではありませぬ、大権現!」

驚きました!
なんと!老僧は南光坊天海で、演じているのは小栗旬!

特殊メイクが凄すぎてわからんわ💦

おそらく昨年の「鎌倉殿…」のお返し出場で、最終回には何らかのカタチで登場するとは想像できたのですが、まさかここですかっ!!

私が勝手に想像していたのは成長した家光役でした。

「我は生まれながらの将軍である」

このセリフを明言するワンカット

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名君の条件

名君の条件

あと3回で最終回を迎える、「どうする家康」。もう、私も千世さんとのお付き合いがなければとっくに脱落していたでしょう。

何せ、毎回見るたびに何かしら文句をつけ、それを聞いた妹に「そんなに嫌ならば、見なければいいじゃない」(ゴモットモデス^^;)と、突っ込まれる始末。

千世さんのところでも述べましたが、基本的には私は「徳川びいき」です。ただ、その視点からしてもツッコミどころが多すぎて、「歴代ワース

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家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。

家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。

うっそ~ん!

「おもしろい」

とつぶやきながら、茶々が不敵な笑みを浮かべる。

大坂の陣の引き金となった「方広寺鐘銘事件」は家康から難癖を付けたのではないの?
なんで豊臣方が仕掛けた事になってんの?

これには参った。。。
いったいどこまで徳川を美化するのでしょう。
いくら可能性はゼロではないにしても、私には強引に思えます。

過去記事にも書かせていただきましたが、茶々に対しては、その他のエピ

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今がチャ~ンス!天下取りへ発進!

今がチャ~ンス!天下取りへ発進!

今回の41回「逆襲の三成」で大ウケしたシーンがありました。

大阪城に徳川家臣団が集合するところ。
本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)、井伊直政(板垣李光人)、鳥居元忠(音尾琢真)らが、幔幕の後ろから、ご丁寧に一人ずつポーズを決めて入場しましたね。

まるでパリコレモデルみたいに(笑)

あれは完全にウケ狙いですよね?笑ってもいいところですよね?

そして周りの取り巻きは羨望の眼差しを向け

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家康のブレーン「天海」と「崇伝」はどちらが黒いのか。

家康のブレーン「天海」と「崇伝」はどちらが黒いのか。

歴史上、権力者たちの軍師的存在として
「黒衣の宰相」と呼ばれた者たちがいます。

たとえば、
今川義元の太源雪斎、豊臣秀吉には安国寺恵瓊や千利休、そして昨年の大河「鎌倉殿の13人」での慈円も後鳥羽上皇の黒衣の宰相と言えるのかもしれません。

徳川家康にも二人の高僧が存在していました。
その名は「南光坊 天海」と「金地院 崇伝」です。

只今、拙書「奥の枝道シリーズ 其の六」を執筆中なのですが、南禅

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妻たちを見ると家康の狙いがわかる?!

妻たちを見ると家康の狙いがわかる?!

英雄色を好む

と言うけれど、戦国の三英傑の正室や愛妾の数を見ると、うなずけるものがあります。

織田信長は妻9人(子27人)、豊臣秀吉20人(子4人)、
そして徳川家康21人(子16人)。

あくまでも確認できるだけでこれだけいるのですが、実際にはもっとたくさんの側室や子供がいた可能性もあります。

宣教師のルイスフロイスは、秀吉の愛妾は300人いたなどと言っているぐらいなので、公にされていない

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今回は大阪人として物申す!

今回は大阪人として物申す!

「殿、決してお忘れあるな。わたくしはどこまでも、殿と一緒でござる」

石川数正は自ら裏切ったのか、それとも家康の命でスパイとして送り込まれたのか。
どちらの説を採るのか、ある意味楽しみにしていましたが、なるほどこうきましたか。

大坂の繁栄ぶりや秀吉の言動を冷静に観察し、自らの独断で相手の懐に入り込んだわけですね。
捨て身の言動には迫力すら感じました。
演者の松重豊さん、とても「孤独のグルメ」での

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正信キタ~~~!

正信キタ~~~!

待ちわびました!
我らが松山ケンイチ・本多正信がついに復活しました。

実際にはいつ正信が復帰したのか、詳細な史実は残っておらず、この先の家康にとって重要な補佐役となる存在だけに、どこで復帰させるかは脚本家の腕の見せどこでもありました。

何度もここかもしれないというタイミングはあったのですが、やっと待ちに待ったシーンが訪れました。

二人の直接のやり取りは少なかったですが、それでも「あうんの呼吸

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武田勝頼は「桶狭間」を夢見たのか?

武田勝頼は「桶狭間」を夢見たのか?

勝頼(真栄田郷敦)はどうして退かなかったのか??

ここは速攻で退いて、仕切り直すのが当たり前なのに、父の信玄を超えたかった?
そして、「桶狭間の戦い」を夢見たのでしょうか?

もしかしたら、父の信玄に反発していたのかもしれないとさえ感じます。

過去に戦国2世について書かせていただきました。

父があまりにも偉大すぎて、重臣たちの気持ちが離れていたようで、確固たる信頼関係が築けていなかったとされ

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「どうする家康」で注目したい幕末史

「どうする家康」で注目したい幕末史

家康の生涯で一番の修羅場、大苦戦となった武田信玄との「三方ヶ原の戦い」。

圧倒的な強さを誇る武田軍ですが、信玄亡き後は惨めに滅んでゆくので、その対比を感じるためにも、今の状態をしっかり押さえて、今後の勝頼(真栄田郷敦)の動向に注目です。

それにしても、家康が打ち取られたと思える終わり方でしたが、そこは主役ですからオチは必ずあり、種明かしは次週にゆだねられましたね。

家臣の誰かが影武者となった

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急に強くなってどうした家康!

急に強くなってどうした家康!

家康が覚醒です。

信長に対して強い態度に出ていたのには驚きました。本来の家康のイメージとして、みんなの前で「たわけ!」と興奮するなんてどうにも考えられません。

しかも、織田家家臣がボンクラすぎる。
明智(酒向芳)は無能。
どうしても「麒麟がくる」の長谷川博己さんを連想するので、あまりにもお粗末で、ただのイケズな嫌な奴にしか映りません。

秀吉(ムロツヨシ)はもうハッキリ言って異常者。
精神的に

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敗者の家の残し方

敗者の家の残し方

今川家がとうとう武家としては滅び、戦国レースから脱落しました。

その経緯は、いろんな意味で意表を衝かれた設定でした。

さすがに史実通りに軌道修正するしかないので、その過程は自由な方が面白いのですが、いつも些細なところでギョッとさせられ、それがツッコミ要素になります(笑)。

今回は、その後の今川家を中心にまとめてみました。

今川氏真は努力家だった?父の突然の死で運命が狂う

氏真(溝端淳平)

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忠敬先生の足跡  1   『4-16・17三保村』

忠敬先生の足跡 1 『4-16・17三保村』

 昨年、映画🎞『大河への道』を拝見して、感動しました。伊能図を手がけたことで有名な伊能忠敬の半生を描いたというより、名も無き、忠敬のお弟子さんたちの🗾日本地図にまつわるエピソードを描いた映画でした。

 伊能忠敬も凄い方なのですが、忠敬を慕い🗺日本地図を完成させるお弟子さんたちにも拍手を贈りたいです。

 伊能忠敬は、延享2年1月11日(新暦・太陽暦では1745年2月11日)生まれです。さす

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佐渡殿・鷹殿・お六殿

佐渡殿・鷹殿・お六殿

しばらくの正信ロスでどうする?

実は違う話題の記事を書こうとしていたのですが、これは書かずにはいられません。

それはズバリ私は松山ケンイチのファンだからです。

2006年の「デスノート」での名探偵・エル役はまさしく原作そのもので、その圧倒的演技力に驚きました

2009年の実写映画版「カムイ外伝」ではのちに結婚する小雪との共演で、忍者としての苦悩を演じ、そのアクションも素晴らしかった。

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