慶長20年(1615)5月8日は大坂夏の陣で大坂城が落城し豊臣秀頼と淀殿が自害した日。前日までに後藤又兵衛や真田信繫らが討死し豊臣軍は壊滅状態となっていた。大坂城で焼け残った山里曲輪で最後までしたがった大野治長ら30人前後の者たちとともに自害したという。こうして豊臣家は滅亡した。
慶長20年(1615)5月7日は真田幸村の名で知られる真田信繁が討死した日。大坂夏の陣で前日に後藤又兵衛や木村重成らを失った豊臣方。明石全登や毛利勝永らと最後の戦いに挑んだ信繁は家康が自害を覚悟したといわれる突撃を家康本陣に繰り返すも失敗。神社で休息中に西尾宗次に打ち取られた。
慶長5年(1600)9月5日は徳川秀忠軍が真田昌幸・信繁(幸村)の上田城を攻めた日。第二次上田合戦。徳川は15年前にも上田城で痛い目を見ており今回は足止めされ秀忠軍は関ヶ原合戦に間に合わず。結果に至るまでの状況変化や経緯を無視して、特に外野から責められると辛いなと思います。