Saburo(辻 明人)

日本の歴史が好きで、歴史雑誌の編集もしていました。好きな時代は戦国、江戸、幕末、近代等…

Saburo(辻 明人)

日本の歴史が好きで、歴史雑誌の編集もしていました。好きな時代は戦国、江戸、幕末、近代等々。歴史好きが日々の中で感じたこと、またかつて取材で体験したことなどを紹介しつつ、歴史の魅力をお伝えしたく思います。歴史を知るとは、人間そのものを知ること。一緒に先人たちの知恵を探りましょう。

マガジン

  • 大江戸茶屋

    江戸時代をテーマにした記事を集めました。江戸の町中でちょっと一服。お茶に団子でも頬張る気分で、ゆっくりご覧ください。

  • 戦国馬出曲輪

    戦国時代をテーマにした記事を集めました。明朝の出陣を控える城中、かがり火に照らされながら、しばしゆるりと酒を飲む気分でどうぞ。

  • 開かずの間

    この世に未練を残す者、死後も恨みを抱く者、災いをもたらす者。彼らは時を超えて、私たちに何を訴えかけるのか。そんな怖い話を、封印しました。扉を開くのは自己責任で。

  • 土塁と空堀の館

    城に関する記事を集めました。深い空堀、廻らされた土塁、豪壮な石垣。敵を迎え撃つために凝らされた工夫の数々に酔いしれる気分でどうぞ。

  • 幕末京旅籠

    幕末に関する記事を集めました。幕末動乱の京で、勤王の志士も、幕府に誠を尽くす武士も、今宵はともに日本の夜明けを語り合い、盃を交わそう、という気分でどうぞ。

最近の記事

安倍晴明は、白髪の陰陽師だったかもしれない?

平安時代の陰陽師・安倍晴明について、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。 2024年春、山﨑賢人さん主演の映画『陰陽師0』が公開され、若々しい晴明の活躍が描かれました。若き日の晴明が描かれたのは、これまでなかったことです。おそらく多くの人の晴明のイメージは、かつて大ブームを巻き起こした岡野玲子さんが描くコミックの『陰陽師』や、2003年公開の映画『陰陽師』で野村萬斎さんが演じた、クールな「白皙の貴公子」といった姿かもしれません。 その点、2024年大河ドラマ『光る君

    • 大奥怪談2 大奥女中を脅かす狸と乗物部屋の惨劇

      狐や狸が人を化かしたという昔話は、全国各地にあります。たいていは人へのいたずらで、普段通る道で迷子にさせたり、人に化けて食べ物をくすねたり。それだけ、狐や狸はかつて身近な存在だったのでしょう。ただし、いたずらなら笑い話で済みますが、なかには人の命が奪われることもあったようです。江戸城本丸大奥で起きた凄惨な事件は、果たして何者のしわざであったのでしょうか。 夜中に大奥女中を脅かす狸東京23区内で武蔵野の面影を最もよく残すのは、実は皇居の吹上御苑であるともいいます。武蔵野台地の

      • 大奥怪談 消えた大奥女中と天守台の怪

        およそ3,000人もの女性が暮らしていたという、男子禁制の女の園、江戸城大奥。歴代の将軍を取り巻いて、さまざまな愛憎劇の舞台であった場所だけに、怪異ともいうべき恐ろしい話もいくつか言い伝えられています。今回は失踪し、3日後に無残な姿で見つかった大奥女中の話を紹介してみましょう。 江戸城と大奥話に入る前に、江戸城大奥について、簡単に説明します。 江戸城といえば、現在の皇居。かつては徳川将軍家の居城であり、幕府の諸役人が詰めて政策を決定する、徳川幕府の政治の中心地でした。江戸城

        • 東京都新宿区「神楽坂」にあった城、牛込城を築いたのは誰か 

          東京都新宿区神楽坂。 坂の中ほどの毘沙門天善国寺を中心に、門前町の賑わいを今に伝え、また一歩路地に入れば、花街の面影を色濃く残す大人の町です。料亭やおしゃれなレストランが静かにたたずむこの地に、実は、中世の城跡の伝承がいくつか存在することをご存じでしょうか。今回は牛込城跡を中心に、城跡とそれにまつわる人々について、探ってみます。 牛込城は遺構のない、伝説的な城…?JR及び地下鉄の飯田橋駅、もしくは地下鉄の神楽坂駅、牛込神楽坂駅。神楽坂の最寄り駅はいくつかありますが、飯田橋駅

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        • 大江戸茶屋
          12本
        • 戦国馬出曲輪
          39本
        • 開かずの間
          3本
        • 土塁と空堀の館
          10本
        • 幕末京旅籠
          13本
        • 戦国時代カレンダー 今日は何の日?
          52本

        記事

          大奥はどの辺にあった? 江戸城本丸跡を歩く

          先日、江戸城大奥について調べる機会があったので、思い立って久しぶりに江戸城の大奥跡を見に出かけました。大奥といえば大奥女中3,000人が勤めていたといわれる巨大な女の園。毎年のようにテレビドラマや映画になっていることからも、関心の高さが窺われます。 大奥があった場所は、かつての江戸城本丸。現在の皇居東御苑です。江戸城の中心部だった本丸・二の丸・三の丸が、現在は無料で見学できるのですから、ありがたいことです。 ちなみに江戸城中心部の西側、西の丸・山里曲輪・的場曲輪・吹上曲

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          キーマンは春日局か? 明智光秀=天海説誕生の謎

          2023年の大河ドラマ「どうする家康」の最終回。 この回にして初登場の南光坊天海役を、前年の大河「鎌倉殿の13人」で主役を務めた小栗旬さんが演じ、特殊メイクも含めて話題を呼びました。ネット上では2020年の大河「麒麟がくる」で主人公の明智光秀役を演じた長谷川博己さんが、天海役で登場するのではといった憶測も流れましたが、それは「明智光秀=天海」の伝説を知る人が少なくないからなのでしょう。「麒麟がくる」のドラマの終わり方も、光秀の生存を匂わせるものでした。 徳川家康を支えたブレ

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          姫路城大天守最上階に現れる「おさかべ神」の伝説

          純白の壮麗な姿で世界に知られる、国宝姫路城。その大天守の最上階に、小ぶりな社があることをご存じでしょうか。祀られているのは、「おさかべ神(刑部、長壁とも)」。今回は歴代城主の前に姿を現し、畏怖されたといわれる、おさかべ神の謎を追った記事を紹介します。 姫路城の3つの怖い場所親戚が姫路にいたので、私は子どもの頃から何度か姫路城を訪れる機会がありました。 小学生の頃は、まだ城の構造も歴史もよくわからず、もっぱらの関心は3つの怖い場所。まずは「腹切丸」。もともと姫路城にそんな名前

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          新書『もしも戦国時代に生きていたら』の監修を務めました

          この度、私が監修をお手伝いした書籍が出版されました。 とはいえ、メインの監修者は畏れ多くも、静岡大学名誉教授の小和田哲男先生で、私は本当に、お手伝い程度なのですが……。 小和田哲男・辻 明人監修『もしも戦国時代に生きていたら』(ワニブックス【PLUS】新書)、です。 表紙のコピーに、「武将から市井の人々の暮らしまでリアルシミュレーション」「本能寺の変当日までの150日間を追体験」「中世から近世へ、激動の時代を生きた人々の仕事・生活・しきたりを物語形式で徹底再現!」とありま

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          われに策あり! 智謀で家康を支えた男・本多弥八郎正信

          徳川家康の家臣で、本多姓の者は少なくありませんが、まずその筆頭に挙げられるのが、徳川四天王の一人・本多平八郎忠勝でしょう。その次が、家康の謀臣として知られる本多弥八郎正信ではないでしょうか。 「蜻蛉切」の槍をかついで戦場を駆けた平八郎忠勝のイメージを陽とするならば、家康の傍らで謀略を仕掛ける弥八郎正信のイメージは陰。かつてテレビドラマの『関ヶ原』で、三國連太郎さんが演じた弥八郎も、まさに謀略を得意とする「悪役」のイメージで描かれていました。 しかし若い頃の弥八郎は、主家を

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          先祖は鬼を斬った男! 家康の切り札「槍の半蔵」がゆく

          徳川家康の家臣で、槍のつかい手といえば、誰を思い浮かべるでしょうか。多くの人は本多平八郎忠勝かもしれません。なにしろ愛用の槍「蜻蛉切」は、天下三名槍の一つ。忠勝自身も徳川四天王の一人に数えられ、生涯戦場で傷一つ負わなかったという、家康家臣きっての名物男です。 一方、槍のつかい手は「槍の○○」という異名で呼ばれることがあります。たとえば「槍の又左」こと前田利家や、「槍の山三」こと名古屋山三郎などは有名でしょう。家康の家臣の中でその異名を持ったのは、「槍の半蔵」こと渡辺半蔵守綱

          先祖は鬼を斬った男! 家康の切り札「槍の半蔵」がゆく

          【どうする家康・家臣列伝5】身代わりとなって家康を救った男・夏目広次

          合戦において、味方が敗色濃厚となり、主君を戦場から脱出させなければならない……。そうした危機的状況のとき、家臣が身代わりとなり、主君の名を名乗って敵の攻撃を一身に引きつけ、その隙に主君を逃がすことがありました。ある意味、とっさに家臣が主君の「影武者」となるわけです。 戦国時代の合戦で有名な例としては、賤ヶ岳の戦いで、討死を覚悟した柴田勝家を諫めて身代わりとなった毛受勝照や、関ヶ原の戦いで、島津義弘の敵中突破に貢献した長寿院盛淳などが挙げられるでしょう。そして徳川家康が惨敗を

          【どうする家康・家臣列伝5】身代わりとなって家康を救った男・夏目広次

          【どうする家康・家臣列伝4】「鬼」と呼ばれた武将は伊賀忍びの頭領? 服部半蔵

          JR四ツ谷駅から西へ。住宅街の細い道を上って行った先に、浄土宗西念寺(東京都新宿区若葉2丁目)があります。台地の縁に建つ寺院の開基は、徳川家康の家臣・服部半蔵正成。忍者の頭領として一般に知られる人物です。境内には本堂の隣に半蔵の墓、そのすぐ近くに家康の嫡男・松平信康の供養塔がたたずんでいます。 西念寺はもともと半蔵が信康の菩提を弔うため、文禄2年(1593)に麹町清水谷に開いた寺で、江戸城外堀を築くため、寛永11年(1634)に当地に移転しました。寺名の西念は、半蔵の戒名に

          【どうする家康・家臣列伝4】「鬼」と呼ばれた武将は伊賀忍びの頭領? 服部半蔵

          【どうする家康・家臣列伝3】 金の揚羽蝶を背負った「情」の猛者・大久保七郎右衛門

          徳川家康の有力家臣に、大久保一族がいます。大久保忠世、忠佐兄弟は「徳川十六神将」に数えられていますし、二人の弟の忠教は『三河物語』の作者として、また「天下のご意見番・大久保彦左衛門」としても名を知られています。一族こぞって勇猛果敢な三河武士であり、個々の印象よりも大久保一族という括りでのイメージの方が強いかもしれません。 そんな家康を支えた大久保一族の中でも、筆頭に挙げられるのが大久保七郎右衛門忠世でした。放送中の大河ドラマ『どうする家康』では、小手伸也さんが勇猛ながら自称

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          【どうする家康・家臣列伝2】息子2人の後見を託された誠実な側近・平岩七之助

          徳川家康の家臣というと、まず名前が挙がるのが本多平八郎忠勝や、井伊直政、酒井忠次、榊原康政の、いわゆる「徳川四天王」と呼ばれる面々でしょう。四天王の筆頭は年長の酒井とされますが、一般的な知名度は本多や井伊の方が上であるように感じます。 この4人にさらに12人を加えた、「徳川十六神将」(「徳川十六将」)という括り方もあります。鳥居彦右衛門元忠や大久保忠世、忠佐兄弟などが名を連ねますが、今回取り上げる平岩七之助親吉も、その中の一人でした。 放送中の大河ドラマ「どうする家康」で

          【どうする家康・家臣列伝2】息子2人の後見を託された誠実な側近・平岩七之助

          【どうする家康・家臣列伝1】 「三河武士の鑑」と呼ばれた鳥居彦右衛門の真実

          最期の姿を伝える「血天井」 大学生のときのことですので、今から40年近く前の話です。京都の養源院(東山区)で、「血天井」を拝観しました。 血天井とは、ご存じの方も多いと思いますが、戦国時代に武将らが自刃した際の血痕が残る床板を、供養のために寺の天井に張ったものです。養源院のそれは、関ヶ原合戦の前哨戦である伏見城の戦いの折、守将である徳川家の鳥居彦右衛門元忠らが自刃した際のものでした。 板には手のひらや足の裏のかたちの血痕がありありと残り、中には床に倒れ込んだ横顔ではないか

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          小弓公方足利義明の記事で思うこと

          久しぶりの投稿です。 昨年は戦国時代の、小弓公方足利義明の記事を小学館の和樂webに書くため、千葉市の小弓城跡や、市川市の国府台城跡、松戸市の相模台城跡など、何度か千葉県に取材に出かけ、それぞれnoteの記事にしました。ところが小弓公方の記事を書き終えた昨年秋頃から、毎月の和樂web執筆と月一回の講座準備に追われてしまい、心ならずもnoteから遠ざかってしまった次第です。 今回は、昨年秋に和樂webにアップした小弓公方の記事を紹介するのが目的のnote投稿ですが、 最近少し

          小弓公方足利義明の記事で思うこと