日本国内の石塔・石造物に関する記事と、歴史ドラマ・映画のレヴューを中心に書いています。

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中部地方の石造物㊽:窪八幡神社石殿、附・東福寺舎利塔

名称:窪八幡神社石殿 伝承など:なし 所在地:山梨県山梨市北 窪八幡神社 山梨市の大井俣窪八幡神社は、平安時代初期の貞観年間に清和天皇の勅願によって、宇佐八幡宮を勧進して開かれたと伝承され、中世には甲斐の武田氏の尊崇を集めた古社である。 境内には室町時代の本殿を始め、多くの重要文化財の建造物を有するが、甲斐地方では珍しい中世の石殿も所在する。 境内北の若宮八幡神社裏にあるこの石殿は、窪八幡では「如法経塔」と称され、如法経を納めた塔とされる。 戦国時代の享禄五年(享

    • 雑記:米沢藩上杉家の廟所と上杉謙信の供養塔

      山形県の米沢市は、江戸時代を通じて上杉家の城下町であり、市内の上杉氏関連史跡については、こちらで以前に述べたことがある(下記参照)。 その際には紹介出来なかったが、米沢城の北西には上杉家歴代の廟所があり、「御廟所」と通称されている。 廟所は初代藩主上杉景勝から十一代斉定までの歴代藩主の霊廟が建ち並ぶが、初代から七代までは入母屋造り、八代以降は財政難を反映して簡素な宝形造りとなっている(下の写真三枚目が景勝廟)。 徳川将軍家を始め、江戸時代の大藩の藩主は廟所を営む事例が多

      • 雑記:上越市周辺の上杉謙信ゆかりの史跡と銅像

        ※本記事は、2023年2月13日に公開した内容を分割再構成したものです。 新潟県上越市は戦国大名・上杉謙信の本拠地と言うべき場所で、同市内、あるいは新潟県内には謙信の銅像が数多く存在しており、地元での謙信の人気ぶりがうかがえる。 まず上越市の観光の玄関口とも言うべき北陸新幹線上越妙高駅(ただし、同駅から上越市街地まではかなりの距離がある)前には、謙信の騎馬像が建っている(北陸新幹線上越妙高駅の開業に合わせて建てられたもので、県内の銅像では最も新しい)。 謙信は越後守護代

        • 雑記:上越市内の上杉謙信関連史跡と石塔

          ※本記事は、2023年2月13日に公開した内容を分割再構成したものです。 「越後の龍」、ないしは「越後の虎」などの異名で知られる戦国武将の上杉謙信は、武田信玄と並んで戦国大名の中でも知名度・人気ともに高い人物であるが、謙信の出身地であり生涯にわたってその本拠となった越後府中、現在の新潟県上越市は、謙信ゆかりの寺院や史跡も多い。 謙信の居城であった春日山城の城下(上越市中門前)にある林泉寺は、越後長尾家の菩提寺で、謙信の祖父・長尾能景が開いた寺院である。 同寺は、上杉謙信

        中部地方の石造物㊽:窪八幡神社石殿、附・東福寺舎利塔

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          東北地方の石造物㉖:桙衝五輪塔残欠

          名称:桙衝五輪塔 伝承など:なし 所在地:福島県須賀川市桙衝 桙衝館跡 須賀川市桙衝の古館集会所周辺は、その名の通り中世にあった桙衝館の跡地であり、集会所南には土塁(二枚目、三枚目)と堀(四枚目、わかりにくいが写真下部の草が生い茂っている部分が堀の跡)の一部が残る。 五輪塔は土塁上の民家の前にあり、火輪と空風輪しか現存しないが、かなり大型のもので、完存していれば三メートルほどの五輪塔であったと思われる。 火輪・空風輪とも古様であるが、平泉を中心とした岩手県から宮城県

          東北地方の石造物㉖:桙衝五輪塔残欠

          雑記:七日市陣屋

          群馬県富岡市七日市は、江戸時代には七日市藩の藩庁があった場所で、現在の群馬県立富岡高等学校の敷地周辺がそれに当たる。 七日市藩は、加賀藩祖・前田利家の五子の前田利孝が初代藩主であるが、他の加賀藩分家と異なり、徳川秀忠の小姓であった利孝が武功によって新たに領地を与えられて立藩したと言う特異な成り立ちを持つ。 以降、幕末まで前田氏の支配が続き、江戸時代を通じて上野国内に存在した唯一の外様大名となった(七日市藩以外にも、沼田藩真田家や小幡藩織田家などの外様大名がいたが、真田家は

          雑記:七日市陣屋

          東北地方の石造物㉕:舘五輪塔

          名称:舘五輪塔 伝承など:沢井氏の墓? 所在地:福島県石川郡石川町沢井舘 石川町の沢井は、石川氏(河内源氏源頼遠を祖とする)の支族である沢井氏の居館があった場所であり、小字の「舘」はそれに由来する。 その沢井氏の館跡には沢井氏の墓とされる五輪塔があり、元来その場所には菩提寺の宝界寺があったと言う。 現在も表記違いの「宝海寺」があるが、五輪塔へは同寺からではなく、その南方の民家脇の道が登り口に通じている。 県道11号線から南に入り、下沢井集会所の近くに五輪塔の案内板

          東北地方の石造物㉕:舘五輪塔

          雑記:竹中半兵衛の故郷

          岐阜県不破郡垂井町は、竹中氏の居館があった場所であり、俗に豊臣秀吉の「軍師」として知られる竹中半兵衛重治はこの地の菩提山城の城主であった。 元来この地は岩手氏が領していたが、重治の父の竹中重元が同地を奪取して菩提山城を築き、重治は斎藤氏没落後に織田信長に仕え、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の与力となった。 重治の子・重門の代に平時の居城として菩提山城の麓に岩手城を築いたが、江戸時代には竹中氏は旗本身分であったために岩手陣屋、ないしは竹中氏陣屋と称された。 現在、城の敷地は岩手

          雑記:竹中半兵衛の故郷

          続・時代劇レヴュー㊿:信虎(2021年)

          タイトル:信虎 放送(公開)時期:2021年11月 放送局など:ミヤオビピクチャーズ 主演(役名):寺田農(武田信虎) 脚本:宮下玄覇 2021年に公開された映画で、武田信玄の父として知られる武田信虎の晩年を描いた作品であり、京都の美術・歴史系の出版社・宮帯出版社の代表で、歴史美術研究者でもある宮下玄覇が全額を出資して、自ら製作総指揮・脚本・監督(金子修介と共同)を務めた異色作である。 時代劇の衰退を憂えたことが企画の動機で、題材が信虎になったのは宮下の祖先が武田

          続・時代劇レヴュー㊿:信虎(2021年)

          雑記:高知城と長宗我部元親

          高知県高知市は、江戸時代には土佐二十四万石山内家の城下町で、初代山内一豊は関ヶ原の戦功によって遠江掛川から土佐に加増され、戦国期に土佐の領主であった長宗我部氏に変わって同地を治めた。 高知城は一豊によって江戸初期に築かれたが、その後焼失して現在の天守は江戸時代中期に再建されたものであり、日本国内に十二ある江戸時代以前の天守閣を留める城の一つである。 高知城内には山内一豊の騎馬像(下の写真一枚目)や、一豊夫人で賢婦の評判高い見性院(下の写真二枚目、名は千代とも松とも伝わり、

          雑記:高知城と長宗我部元親

          続・時代劇レヴュー㊾:源氏九郎颯爽記シリーズ(1957年、1958年、1962年)/源氏九郎九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶(1991年)

          タイトル:①源氏九郎颯爽記(第一作:濡れ髪二刀流 第二作:白狐二刀流       第三作:秘剣揚羽の蝶) ②源氏九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶 放送(公開)時期:①1957年4月(第一作)、1958年3月(第二作)、1962          年3月(第三作) ②1991年1月1日 放送局など:①東映 ②テレビ朝日 主演(役名):①中村錦之助=萬屋錦之介(源氏九郎) ②村上弘明(源氏             九郎) 原作:柴田錬三郎(①②共通) 脚本:①結束信二(第一作)

          続・時代劇レヴュー㊾:源氏九郎颯爽記シリーズ(1957年、1958年、1962年)/源氏九郎九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶(1991年)

          続・時代劇レヴュー㊽:遠山の金さん・三河町半七・銭形平次など捕物帳あれこれ

          今回は特定の作品ではなく、「捕物帳」に関連する作品を思いつくまま適当に紹介していく。 これまでこのレヴューで扱ってきた作品は、大河ドラマを始めとする史実をベースにした作品が多かったが、「時代劇」として一般に連想されるのは、勧善懲悪型の所謂「チャンバラ時代劇」作品ではないであろうか。 このタイプの作品は、柴田錬三郎原作の「眠狂四郎」や、佐々木味津三原作の「旗本退屈男」シリーズ、林不忘原作の「丹下左膳」シリーズなどを取り上げてきたが、繰り返しテレビドラマ化され、長寿シリーズ作

          続・時代劇レヴュー㊽:遠山の金さん・三河町半七・銭形平次など捕物帳あれこれ

          九州地方の石造物⑩:泉蔵寺五輪塔(伝・大内盛見の墓)

          ※以前公開した記事を改稿の上、再投稿したものです。 名称:泉蔵寺五輪塔 伝承など:大内盛見の墓 所在地:福岡県糟屋郡粕屋町酒殿 泉蔵寺 福岡県粕屋町の泉蔵寺は、JR酒殿駅から十分ほど歩いた住宅街にあるが、同寺は大内盛見の菩提寺で、境内には盛見の墓とされる五輪塔がある。 盛見は室町時代前期から中期にかけて防長を中心に西国に勢力を張った守護大名であり、応永の乱で戦死した大内義弘の弟で、兄の死後に兄弟間での家督争いに打ち勝ち大内家の家督を継承したが、永享三年に九州筑前の所

          九州地方の石造物⑩:泉蔵寺五輪塔(伝・大内盛見の墓)

          雑記:唐寺と孔子廟

          長崎市内には、「唐寺」と呼ばれる近世に華僑の人々によって建てられた寺院が複数存在する。 主として唐人の菩提寺(寺請制度の創始によって華僑独自の檀那寺を建立する必要が生じたため)として開かれた寺院で、隠元隆琦が来日するとそれらは黄檗宗の寺院となった。 代表的な唐寺の一つである興福寺は、日本最古の黄檗宗の寺院で「南京寺」と通称される。 本堂に当たる大雄宝殿(下の写真二枚目)は重要文化財に指定され、また航海の女神である媽祖を祀る媽祖堂(下の写真三枚目)もある。 福建省・浙江

          雑記:唐寺と孔子廟

          雑記:出島と唐人屋敷

          長崎県の長崎市は、江戸時代の所謂「鎖国」下の中で、海外に開かれた四つの窓口のうちの一つであり、オランダと中国の清朝との交易で栄えた。 よく知られているように、オランダ商館は出島と呼ばれた人工の島内に置かれ、キリスト教に対する警戒もあって、長崎奉行の管理のもと、出島への出入は厳重に管理された。 近代以降、出島の原型は失われてしまい、その跡地が市街地に残るのみであったが、1990年代末から整備・復元事業が進み、現在は役所の門や倉庫、商館の建物などが復元され、往事の出島の家並み

          雑記:出島と唐人屋敷

          九州地方の石造物⑨:恵光院層塔、附・馬頭観音堂薩摩塔残欠

          名称:恵光院層塔 伝承など:なし 所在地:福岡県福岡市東区箱崎 恵光院 筥崎宮の社坊である恵光院は、江戸時代初期に黒田忠之によって開かれた寺院で、明治初年の廃仏毀釈の際には、他の社坊の宝物が同院に避難されたと言う。 恵光院の参道脇に建つ三基の石塔うち、向かって右端の層塔は一見して日本の層塔ではないとわかる特徴的な形式を持つ。 この層塔は、中国の南宋後期の作と思われ、鎌倉時代に日宋貿易で大陸からもたらされた石塔と考えられており、二層目から四層目は塔身の四面に仏像が刻ま

          九州地方の石造物⑨:恵光院層塔、附・馬頭観音堂薩摩塔残欠