雑記:七日市陣屋

群馬県富岡市七日市は、江戸時代には七日市藩の藩庁があった場所で、現在の群馬県立富岡高等学校の敷地周辺がそれに当たる。

七日市藩は、加賀藩祖・前田利家の五子の前田利孝が初代藩主であるが、他の加賀藩分家と異なり、徳川秀忠の小姓であった利孝が武功によって新たに領地を与えられて立藩したと言う特異な成り立ちを持つ。

以降、幕末まで前田氏の支配が続き、江戸時代を通じて上野国内に存在した唯一の外様大名となった(七日市藩以外にも、沼田藩真田家や小幡藩織田家などの外様大名がいたが、真田家は五代で断絶し、織田家は七代で出羽へ転封になっている)。

七日市藩の陣屋は、江戸時代後期の天保年間に大半が焼失し、現在も建物の一部が現存している。

大手門や南門は廃藩後に別の場所に移築されたが、本丸御殿(一部のみ)と中門は元の場所に現存している。

富岡高等学校の東側には中門が(一枚目)、正門を入ってすぐ左側に御殿(二枚目)があり、御殿の内部は非公開であるが、正面口までは行って見学が可能である。

また、高校の周囲には土塁も現存する。

規模は小さいものの、群馬県内では現存する唯一の御殿建築である。

なお、七日市藩歴代藩主の墓は、富岡市内の長学寺と東京都文京区の吉祥寺に分かれて現存している。


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