moridonqui

Less is more. Serendipity&Regeneration.…

moridonqui

Less is more. Serendipity&Regeneration. 情報や主張の洪水に疲れ、長いこと大切な自分の言葉を失っていた。自分の中に埋もれているたくさんの宝物をぼちぼち整理してみよう。残された時間は限りあるものだから。

マガジン

  • ベートーヴェン交響曲第7番

    この曲をいつか演奏する日を夢見ていた、クラシックもロックも好きな、熟年素人チェリストの、悪戦苦闘の物語のはずが、鎮魂歌へと変わる、激動の半年を散文詩に。

  • 2024年の僕が僕であるために

    感想ノート。ネタバレ注意で。 時間がないとか、忙しいとか、追われてばかりの昨年は、生きた心地がしなかった。 壊れかけていた。 2024年は、生きたいと感じる自分を追い求める。

  • ロンドン出張〜体験記録

    新たなる旅立ち、そしていつか宝物。

  • 父親の日曜日〜連載小説

    連載小説描き下ろし。毎週日曜更新で、チェロを弾く父親の再起を図る1年間を書き綴ってみました。初めての試みなので、推敲したいですが、まずは書き終えてホッとしています。

  • 旅立ち〜続・父親日記、あれから一年

    放心状態の父親を救ったのは、室内楽だった。まさかの一年後、チェンバーオーケストラに入団して初舞台に挑む。

最近の記事

  • 固定された記事

第ニ部 目次

第1章 2005年結婚〜2011年震災前 1.おさるのジョージ 2.谷川俊太郎 3.のだめカンタービレ 4.フェルメール 5.ブラームス 6.カレーライス 7.PlayStation 8.写真 9.市川豊玉 10.石川遼 第2章 2011年震災後〜2019年コロナ前 シーズン1 1.3.11 2.おもてなし 3.シルヴィ・ギエム 4.東日本大震災復興支援チャリティライブ 5.半沢直樹 6.永遠のゼロ 7.蛍 8.日本のいちばん長い日 9.マダム・マロリーと魔法のスパイス

    • 第四章

      2月には僕が入団して初めてのパート練があった。 チェロパートは6人で、僕が一番の駆け出しだ。自分の音に自信がない。せめてもの救いは、午前中に合奏練があってから、午後にパート練だったことだ。 パート練の先生が指摘することで最もヤバいと思ったのは、右腕、つまり運弓だった。僕のような合奏初心者はどうしても音程を気にしてしまう。音は左手が大事だという思い込みが染み着いていた。それが、違うらしい。オケではむしろ、右腕が音を出す、だから右腕の練習をしたほうがいい、というわけだ。 個人

      • 第三章

        1月、いよいよ本格的に合奏練習が始まる。 指揮者からキツく言われたのは、強弱の次にリズムだ。駆け出しの僕からすれば、第3楽章から第4楽章が、早くてオロオロするところが多いのだが、第1楽章のリズムは、プロでも難しいのだとか。3拍子がどうしても2拍子になりやすい。メトロノームを使って毎日練習を、と言われても。 ただ第7番をよく聴いてきたからこそ、指揮者の言ってることがわかる。それだけでも、相当なアドバンテージだ。できるできないの前に何をすべきか、そのありたき姿がわかるだけでも、恵

        • 第二章

          12月の定期演奏会を無事に乗り切り、次回半年後はいよいよベートーヴェン交響曲第7番、となった。 練習日程が発表され、年内に初めての合奏練習があった。もちろん、自分なりに準備はしたが、弾けないところが多くて落胆。 それでも今まで指揮者からはモーツァルトの話ばかりだったので、ベートーヴェンの話は新鮮で衝撃だった。弾けるかどうかよりも、初めて知ることばかりで楽しかった。 それはパート譜を見た時から、漠然と感じていた。音の数も多いが、音の強弱に関する記号が多い。指揮者も最初に言っ

        • 固定された記事

        第ニ部 目次

        マガジン

        • ベートーヴェン交響曲第7番
          5本
        • 2024年の僕が僕であるために
          11本
        • ロンドン出張〜体験記録
          6本
        • 父親の日曜日〜連載小説
          22本
        • 旅立ち〜続・父親日記、あれから一年
          14本
        • 旅立ち〜九十九折父親日記第二部
          86本

        記事

          私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

          森美術館開館20周年記念展。 半年開催していて今週最後にぎりぎり飛び込んだ。 コンセプトも展示内容も見応えはあったが、どうもすっきりしない。 自分なりに検証したい。 社会課題に正面から取り組むモダンアートは、同時代性で疏まられる。ニュースで取り上げられ、一瞬で消えていく情報消費。アートは遺すことに意義がある。 人という生物が何を求め、自我に何ができるのか。生物学なのか人文学なのか。 歩いている間にも、これを最新の建築技術の53階で観ている自分に違和感しかなかった。いろ

          私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために

          第一章

          僕がご縁をいただいたアマオケに入団したのがおよそ一年前。お誘いを受けた2022年12月の定期演奏会で、ベートーヴェン交響曲第2番を聴いたのがきっかけだった。 ベートーヴェンの交響曲9作品の中で、第2番はマイナーでありながら、革新的な第3番『英雄』が生まれる直前に位置する、意義深い作品だと思う。 古典派の演奏を主流とするこのアマオケでは、ロマン派の演奏は常に議論の的だ。定期演奏会の演目決めは、センシティブだった。 2024年6月(会場確保の関係で5月末)定期演奏会の演目が検討

          序章

          ベートーヴェン交響曲第7番イ長調作品92。 次回の定期演奏会のメイン曲。この半年間、練習するたびに、ベートーヴェンの魂に触れ、生きている喜びを実感する。 出会いは『のだめカンタービレ』のはるか前、1989年頃のことだ。浪人していた僕は、予備校に行く間も勉強する間も、ウォークマンを手放さなかった。 当時はアップルミュージックもスポティファイも無く、たまたまいつもと違う曲が聞きたくて、たぶんNHKラジオを録音していたカセットテープを、ウォークマンに入れた。 ベートーヴェンピア

          『献灯使』

          多和田葉子という作家をご存知だろうか。この著書で全米図書賞翻訳文学部門を2018年に受賞した。 僕より10歳上で、早稲田の一文、ロシア文学科を卒業して、西ドイツの出版取次会社に就職。ハンブルク大学院で修士、チューリッヒ大学院でドイツ文学博士課程修了。 ドイツ語でも出版しているが、これは日本語で出版され、海外で翻訳されている。 感想は正直言って、残念な作品だったが、あくまでも今の僕の感覚に過ぎない。ディストピアを読みたくないからで、2014年に発表された当時は、非常に斬新な

          『献灯使』

          『哀れなるものたち』

          原題は『POOR THINGS』。 ヨルゴス・ランティモス監督は、2018年のアカデミー賞で10部門にノミネートされた『女王陛下のお気に入り』以来の作品で、トニー・マクナマラ脚本も同じ、エマ・ストーンは主演で、しかも日本では18禁として公開され、また2023年のアカデミー賞レースを賑わせている。日本ではまだ未公開『オッペンハイマー』の13部門に次ぐ11部門にノミネートされ、受賞式は1週間後のお楽しみ。 でもそれが、観に行った理由ではない。芸術性と社会性、さらに娯楽性のバラ

          『哀れなるものたち』

          『サン・セバスチャンへ、ようこそ』

          ウッディ・アレン監督・脚本。なんと88歳で、久しぶりのヨーロッパロケ、それも風光明媚なスペイン北部バスク地方のサン・セバスチャン。映画祭を舞台に繰り広げるロマンティック・コメディの王道。 華やかな映画業界でプレス・エージェントの妻、ドストエフスキーに憧れ小説家を目指すインテリ爺やの主人公。それぞれの恋愛模様も微笑ましいが、それはそれ。いつもウッディ・アレンが描く主人公は、まさにウッディ・アレンそのものであるところが、最高にウィットなのだ。 この主人公、ヌーヴェル・ヴァーグを

          『サン・セバスチャンへ、ようこそ』

          『PERFECT DAYS』

          期待しないでいたのがよかった。 ヴィム・ヴェンダース監督・脚本、髙崎卓馬脚本。 土曜の昼過ぎ、映画鑑賞の後、クラフトビールで妻と乾杯した。 変わらない、ヴィム・ヴェンダース。『ベルリン・天使の詩』でカンヌ監督賞を受賞したのが、1987年。彼が東京を舞台に撮るとこんな映画になる、そんな映画だった。 同じような毎日を、優しい視線で見つめている。冷たい都会で生きるのは厳しいようで、どこか楽しそうだ。早朝を走る車、昼間の公園はもちろん、夕方のコインランドリーや銭湯、河岸には、様々な人

          『PERFECT DAYS』

          『灯台からの響き』

          久々の宮本輝は、『田園発港行き自転車』(2018年集英社文庫)以来だ。会心の長編だと思う。76歳とは思えない、丁寧で優しい筆致も健在だった。 突然妻に先立たれて生きる気力を失っていた62歳の主人公が、愛蔵書に挟んである妻宛ての葉書を見つけたところから物語が始まる。灯台を巡る旅に出て、自分の人生を見つめ直す。妻、家族や友人との関係に光を灯し、自分を再生させる。板橋の商店街に佇む愚直なラーメン屋から、一歩外に出ることで、見えなかった世界が一気に広がる。その背中を、亡き妻がそっと

          『灯台からの響き』

          『福田村事件』

          関東大震災から100年。 歴史の闇に葬られた事件を、ドキュメンタリーの名手、森達也監督が劇映画化、とか言われると、急に観たくなくなる。 もちろん、観られる映画館は限られる中、よくぞ撮った、とは思うのだが。 さて、観終わって、やはり観なくてもよかった、少なくとも僕は、だ。 マイノリティの存在、差別を受ける人の気持ちを知らない多くの人に、観てほしい映画なのだろう。それが僕には、ステレオタイプに感じた。さらに、そう感じてしまう自分が、浅ましいとさえ思ってしまう。 100年前は

          『福田村事件』

          『枯れ葉』

          アキ・カウリスマキ監督の復帰作。 ミニマルで美しい。繊細で優しい映画。 人は愚かで不器用で、冷たいようでいて、実は温かい心を隠し持つ。悲惨な世界、厳しい社会の中で、生きるために。密やかに映画や音楽が、それを解放してくれる。隣の人と手を繋ぎたくなる。 そう、ただ生きるために、である。何のために生きるか、ではないのだ。 カウリスマキ監督のメッセージが最高。以上、である。 「取るに足らないバイオレンス映画を作っては自分の評価を怪しくしてきた私ですが、無意味でバカげた犯罪である

          『枯れ葉』

          『ゴジラ−1.0』

          『シン・ゴジラ』は面白かったし、『永遠の0』も面白かったと思う。それでも山崎貴監督はVFXを駆使して、あのシンゴジをどう超えようとするのか、半信半疑だった。海外でも高評価、モノクロ版が公開、轟音上映体験したい、という条件が揃ってきて、ようやく劇場で観た。僕は僕なりの感想を遺したい。 ゴジラにはいろんな楽しみ方があるのだということを、改めて痛感させられた。そして、他の怪獣を出さなくても、ゴジラと人・社会だけで、これだけいろんな作品が作れる、ゴジラという強烈なキャラクターに、敬

          『ゴジラ−1.0』

          『浴室』

          1985年、パリで発表された作家J.P.トゥーサンのデビュー作。日本では1990年に翻訳された。 読み終えてまず感じたのが、僕が初めて村上春樹を読んだ時の感覚と似ている、ということだった。僕が村上春樹を初めて手にしたのは17歳、『ノルウェイの森』。1987年のことである。 小説のすべてに、パスカルの影響が覗える。「些細な事が我々を慰めるのは、些細な事が我々を苦しめるからだ」そんな日常を描いている。退屈な、あるいは惨めな日常から抜け出すには、気を紛らわすことだとか。ところが