moridonqui
感想ノート。ネタバレ注意で。 時間がないとか、忙しいとか、追われてばかりの昨年は、生きた心地がしなかった。 壊れかけていた。 2024年は、生きたいと感じる自分を追い求める。
この曲をいつか演奏する日を夢見ていた、クラシックもロックも好きな、熟年素人チェリストの、悪戦苦闘の物語のはずが、鎮魂歌へと変わる、激動の半年を散文詩に。
新たなる旅立ち、そしていつか宝物。
連載小説描き下ろし。毎週日曜更新で、チェロを弾く父親の再起を図る1年間を書き綴ってみました。初めての試みなので、推敲したいですが、まずは書き終えてホッとしています。
放心状態の父親を救ったのは、室内楽だった。まさかの一年後、チェンバーオーケストラに入団して初舞台に挑む。
第1章 2005年結婚〜2011年震災前 1.おさるのジョージ 2.谷川俊太郎 3.のだめカンタービレ 4.フェルメール 5.ブラームス 6.カレーライス 7.PlayStation 8.写真 9.市川豊玉 10.石川遼 第2章 2011年震災後〜2019年コロナ前 シーズン1 1.3.11 2.おもてなし 3.シルヴィ・ギエム 4.東日本大震災復興支援チャリティライブ 5.半沢直樹 6.永遠のゼロ 7.蛍 8.日本のいちばん長い日 9.マダム・マロリーと魔法のスパイス
昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリ受賞、アカデミー賞でも作品賞や監督賞にノミネート、国際長編映画賞と音響賞を受賞した、話題作と言っていい。 こういう作品は本当に観るのを躊躇う。自分が試されているように感じる。結果、ネットに溢れる考察に、結局どれも納得できず、自分が人とは違うことに落ち込むのだ。 最近の秀作は、観る人に委ねることが多いので、驚くにも値しない。演出をシンプルにするのも流行りだ。音響にこだわるのも、よくある。では一体、この作品の何が凄いのか。僕だったら、こう考える。
これだけ観るかどうか迷ってから観た作品も珍しい。 アカデミー賞7部門受賞では尚更だ。レースの相手が『バービー』なら仕方あるまい。 監督のクリストファー・ノーランは、スタンリー・キューブリックを崇拝し、ドラマよりSFを得意としていた。デジタルよりフィルムにこだわり、映画館での鑑賞を推奨する。映画はエンターテインメントだと、言い切る映画人だ。だから余計に、観たくない、という気持ちが勝っていた。原爆開発がエンターテイメントだと? もはや当事者が少なくなり、絵空事になりつつあるのだ
終わった。 気持ちの整理に1週間はかかった。 チェロを本気でやろうと決めた2年前、きっかけは長女の留学だ。彼女の挑戦を見て、自分も挑戦しようと誓った。その時は、まさか2年後に自分がベト7を演奏するとは、想像もしていない。 指揮者から、珍しく本番が一番よかった、と言われた。自分もそう思う。落ち着いて、集中して40分走り続け、いまの自分を出し切ることができた。 この半年間は、現実とは思えない。本番当日は、長い一日だった。こんな経験はいつ以来だろうか。 次の夢に向かって。
サントリーホール、ブルーローズ毎年恒例、チェンバーミュージック・ガーデンのベートーヴェン弦楽四重奏サイクル。2年前から毎年聴きに行って今年で3回目は、第13番大フーガ付きを選んだ。 2年前に聴いた『ラズモフスキー第1番』から始まった僕の室内楽の旅は、室内楽管弦楽団への入団を経て、ようやく初めてベートーヴェン交響曲第7番を演奏したところだ。わずか2年ではまだまだ駆け出しの下っ端で、まともな音さえ出せていない。今こそ基礎からまた音を出したいと思い、スケールやエチュードに取り組んで
本番当日は、落ち着いて迎えることができた。 自分にとって定期演奏会3回目、今までの会場が改修になって、いつものホテルから徒歩5分、というわけにはいかなかったが、それでも自宅からより1時間以上短縮でき、しっかりと朝食ビュッフェを満喫して、会場に余裕で到着さた。 コンビニでこれも定番のお茶、ウィダーとリポビタンのいいやつを購入して昼食の心配もない。会場設営も今まで以上に積極的に手伝うことができた。 そして迎えた2時間のリハーサルは、あっという間だった。昼休み、チェロ数名が残って
急逝されたコンマスの代理も決まり、お嬢様の妹さまの参加となる。ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス、さらにホルンもサポートメンバーが加わり、本番前日のゲネプロは実に重厚な音が構築された。特にティンパニとトランペットは、ベートーヴェンならではの音を創り出していた。 そこまで冷静でいられたわけではなかったが、音の厚みで少し気楽に弾けたのかもしれない。迷ったり立ち止まったりして、ここはもっとできるな、というところは本当に限られていた。今日、ホテルで楽譜を見れば、なんとかなる。この1
3月最初の合奏練習直前、委員長からメールが届いた。2日前の夜だから当日の注意事項か、次回の演目が決まっていないからアンケートくらいに思って気軽に開いてみたら、目を疑うような知らせだ。 コンサート・マスターが、突然亡くなられた、とご家族から連絡があったという。2週間前の練習には、もちろん普通にお元気に参加して、いつものように僕たちをリードしてくださっていた。まるで当たり前のように、そこにいる彼を、みんなが頼りにしていた。 会社の先輩でもあった。直接の面識はなかったが、このオケ
汐見夏衛、スターツ出版の処女作から一気にスターダムを駆け上がった作家で、次女の強い勧めで読んだ3作目だっただろうか。 先に読んだ2作は、まあ恋愛小説にしては、戦争とか、死とかを扱っているので、次女になかなか教えにくいことを、この小説からなんとなく学んでくれているだろうな、くらいにあまり自分ごととして、考えていなかった。 ところが今作は、娘の気持ちを考える親として、とても共感できることの多い、佳作だと思う。2作目に読んだ『海に願いを 風に祈りを そして君に誓いを』の続編である。
2月には僕が入団して初めてのパート練があった。 チェロパートは6人で、僕が一番の駆け出しだ。自分の音に自信がない。せめてもの救いは、午前中に合奏練があってから、午後にパート練だったことだ。 パート練の先生が指摘することで最もヤバいと思ったのは、右腕、つまり運弓だった。僕のような合奏初心者はどうしても音程を気にしてしまう。音は左手が大事だという思い込みが染み着いていた。それが、違うらしい。オケではむしろ、右腕が音を出す、だから右腕の練習をしたほうがいい、というわけだ。 個人
1月、いよいよ本格的に合奏練習が始まる。 指揮者からキツく言われたのは、強弱の次にリズムだ。駆け出しの僕からすれば、第3楽章から第4楽章が、早くてオロオロするところが多いのだが、第1楽章のリズムは、プロでも難しいのだとか。3拍子がどうしても2拍子になりやすい。メトロノームを使って毎日練習を、と言われても。 ただ第7番をよく聴いてきたからこそ、指揮者の言ってることがわかる。それだけでも、相当なアドバンテージだ。できるできないの前に何をすべきか、そのありたき姿がわかるだけでも、恵
12月の定期演奏会を無事に乗り切り、次回半年後はいよいよベートーヴェン交響曲第7番、となった。 練習日程が発表され、年内に初めての合奏練習があった。もちろん、自分なりに準備はしたが、弾けないところが多くて落胆。 それでも今まで指揮者からはモーツァルトの話ばかりだったので、ベートーヴェンの話は新鮮で衝撃だった。弾けるかどうかよりも、初めて知ることばかりで楽しかった。 それはパート譜を見た時から、漠然と感じていた。音の数も多いが、音の強弱に関する記号が多い。指揮者も最初に言っ
森美術館開館20周年記念展。 半年開催していて今週最後にぎりぎり飛び込んだ。 コンセプトも展示内容も見応えはあったが、どうもすっきりしない。 自分なりに検証したい。 社会課題に正面から取り組むモダンアートは、同時代性で疏まられる。ニュースで取り上げられ、一瞬で消えていく情報消費。アートは遺すことに意義がある。 人という生物が何を求め、自我に何ができるのか。生物学なのか人文学なのか。 歩いている間にも、これを最新の建築技術の53階で観ている自分に違和感しかなかった。いろ
僕がご縁をいただいたアマオケに入団したのがおよそ一年前。お誘いを受けた2022年12月の定期演奏会で、ベートーヴェン交響曲第2番を聴いたのがきっかけだった。 ベートーヴェンの交響曲9作品の中で、第2番はマイナーでありながら、革新的な第3番『英雄』が生まれる直前に位置する、意義深い作品だと思う。 古典派の演奏を主流とするこのアマオケでは、ロマン派の演奏は常に議論の的だ。定期演奏会の演目決めは、センシティブだった。 2024年6月(会場確保の関係で5月末)定期演奏会の演目が検討
ベートーヴェン交響曲第7番イ長調作品92。 次回の定期演奏会のメイン曲。この半年間、練習するたびに、ベートーヴェンの魂に触れ、生きている喜びを実感する。 出会いは『のだめカンタービレ』のはるか前、1989年頃のことだ。浪人していた僕は、予備校に行く間も勉強する間も、ウォークマンを手放さなかった。 当時はアップルミュージックもスポティファイも無く、たまたまいつもと違う曲が聞きたくて、たぶんNHKラジオを録音していたカセットテープを、ウォークマンに入れた。 ベートーヴェンピア
多和田葉子という作家をご存知だろうか。この著書で全米図書賞翻訳文学部門を2018年に受賞した。 僕より10歳上で、早稲田の一文、ロシア文学科を卒業して、西ドイツの出版取次会社に就職。ハンブルク大学院で修士、チューリッヒ大学院でドイツ文学博士課程修了。 ドイツ語でも出版しているが、これは日本語で出版され、海外で翻訳されている。 感想は正直言って、残念な作品だったが、あくまでも今の僕の感覚に過ぎない。ディストピアを読みたくないからで、2014年に発表された当時は、非常に斬新な