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歴史探偵エッセイ?京都旅行記④

 皆さん歴活してますか?歴史探偵Qです!

今回で4つ目の旅行記エッセイのお話です。
前回は、京都の東寺のお話をさせて
いただきました。

同じ日、午後の行動について、
今回お話しさしていただきます。

 同じ日に、私はちょっと足を伸ばして、
大阪に行ってきました。
大阪に行った理由としては、
私が大好きな武将の1人「真田信繁」の
縁の地に行きたかったからです。

「真田信繁」縁の地として有名な「真田丸」の
跡地に行きたかったのです。

早速、行動に移そうと思い、京都駅から大阪。
乗り換えて大阪城公園駅まで行きましたが…
田舎者の私には、正直切符を買うのが
非常に大変でした。

また、ホームの数も多く、最初どこに
行けばいいか迷いました。

でも、今は非常に便利なスマホがあるので、
何に乗っていけば良いのかが分かるので
何とか大阪まで行くことができ、
そこから環状線に乗り換え
大阪城公園まで行きました。
文書を書いていて思い出したのが、
快速・新快速・特急と列車の種類が
多すぎだろ!と心の中でつっこんでいました。

話は本題に戻り、大阪城公園で降り
徒歩で5分ほど歩くと大阪城が
見えてきました。

 大阪城の歴史をざっくり言うと、
石山本願寺の上に豊臣秀吉の城があり、
その上に徳川秀忠時代の城があり
その上に昭和6年に現在の姿に
再建されたものですが…

城郭や石垣を含め、その迫力に圧倒され、
私が武将なら絶対に攻めない!と思いました。

また、一つ一つの石の大きさ、
緻密な積み立て型に感動しました。

これを人の手によって作られたと思うと涙が込み上げてきました。

これはちょっとした小話ですが、
石垣の石に各藩のマークが入って
いるのですが、徳川へのアピールが
大変だったんだな〜と思うと上司への対応は
昔から変わらないんだと思うと人間は
そうそう変わらないんだと思いました。

 大阪城話は、ここら辺にして…
本命の真田丸跡地に向かいます。

地図を見てみると、大阪城から
真田丸跡地までは歩いて約30分かかると
表示されていました。
ちょっと遠いなと思いましたが、
せっかくの機会なので
歩いていこうと思いました。

30分歩くと考えたら辛いなと思いましたが、
そこはやはり歴史のある街なので、
歩いて5分ほどで「難波宮」と言う
古都の跡地が公園になっていて
犬の散歩や弁当を食べているサラリーマンを
見て歩くのも悪くないなと思いました。

 真田丸跡地が近づくにつれ、
マンションの名前に真田山や学校の名前に
真田がつくものが増えてきました。

そして真田丸跡地に着きました。

 真田丸跡地は、学校のグランドの横にあり、
私が行った時は平日の午後と言うこともあり、
学生たちが体育の授業やってました。

真田丸跡地を思いながら一句思いつきました。

「冬の空 声出し走る 夢の跡」

なんて松尾芭蕉をパクったなんちゃって
俳句ですが…

ここを信繁達が命を懸け守っていた場所と
考えると平和な世の中になったなと思いました。

あと、近くに真田信繁の像があると言うことで
三光神社に向かいました。

 このように、町に真田が馴染んでいるのが
当たり前なのは歴史好きとしては非常に
羨ましい環境だと思いました。

信繁のことを思いながら、三光神社で御神籤を
引いたところ「凶」だったので信繁好きと言う
私の気持ちは片道通行でした。笑

 このあと京都に帰りましたが、
次大阪に行った際は信繁最後の地に
いきたいと思いました。

次回のエッセイでは京都観光最終日を
お届けしたいと思います。
ありがとうございました。

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