『鎌倉殿』が始まったので、あえて今『真田丸』を語ってみた。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートした。脚本は三谷幸喜。
第1話の印象は端的に「脚本が上手い」。
雪崩のように提示される源平合戦の英雄達、主人公を取り巻く身内関係、とにかく多い登場人物を一つの表情、一つの台詞でさらりと紹介していく。その手際とテンポの良さに脱帽であった。
これからの展開に期待である。

さて、今回は同じ三谷大河『真田丸』について語ることとする。
自分は大して三谷フリークではないが、こと『真田丸』については生涯の一本に加わるほどに好きな作品なのだ。

『真田丸』とは

『真田丸』は大河ドラマ第55作目に当たる作品であり、2016年にNHKで放送された。脚本は三谷幸喜。主人公真田信繁(真田幸村)の生涯を通じて戦国時代から江戸時代の日本を描き出した。
とまあ、ここまでそれっぽく書いてみたが、別に自分は評論家でも何でもないので、あらすじなどは各自で調べて欲しい。格式張った表記は無しで行こう。

一応、真田信繁について簡単な自分のイメージを語ってみると、彼の名前は間違いなく「幸村」で人口に膾炙しているだろう。そしておそらく、同世代のほとんどの人間が彼が赤色で伊達政宗が青色のあのゲームを思い浮かべると思う。
信繁は今の長野県上田市を中心に治めていた戦国大名真田家の出身である。真田家は元々「川中島の戦い」や「長篠の戦い」で有名な武田家に仕える豪族であった。けれど、信繁の父昌幸が当主の時に、主人であった武田家が織田信長に敗北して滅亡してしまう。物語のスタートはここから始まる。

まあ、簡単に言えば、親会社が潰れたので独立したわけである。
社長は父親の真田昌幸、副社長が兄の信幸、信繁がその下の地位に当たる小さな会社が真田家である。主に三者を中心に描きながら、大会社(豊臣家や徳川家、北条家、上杉家などなど)の中で真田家が何とか世渡りを行うというのが大まかなストーリーの流れとなる。
今回はそんな真田丸の中でも、自分の大好きな二話に焦点を絞って語ることとする。

第35回「犬伏」

まず一つ目は第35回「犬伏」である。多分、『真田丸』が好きな方であれば、必ず挙げるのではないだろうか。とても良い回だった。

自分がとても好きなのは、この話の題名にも使われている「犬伏の別れ」の場面である。先ほど、真田家の中心メンバーとして三人の人物を紹介した。父の昌幸と兄の信幸、そして主人公信繁である。

この三者は現代に至る歴史語りの中で、まさに「固有のイメージ」をあてはめられてきた。昌幸は「戦上手で老獪な策士」、信繁(ここでは「幸村」とすべきだろうか)は「戦上手で、勇猛果敢、英雄」といったものである。信幸はといえば、そのような父、弟に埋もれてイマイチ影が薄い。

これは事実を反映しているものではない。ただ、あくまでもイメージである。そして、この説明は概ね間違ったものではない。要は配役の説明である。現に歴史家たちは信幸の統治者としての手腕を評価し、地元の人々にとって彼は名君である。
(つまり、クッパは「悪役」、ルイージは「二番手」みたいな紋切り型のイメージである)

三谷脚本はここに、「家族を振り回す」昌幸と「夢見がちだが頭のキレる」信繁という要素を加えている。ドラマを見ていればわかるが、一方の信幸は常に昌幸の決定に振り回されており、信繁の華々しい上方(京都や大阪)での活躍を尻目に地元で堅実に仕事を行う者として描かれた。
流石と言うべきか。三者のイメージを踏まえた関係性の使い方が上手い。

さて、ここでやっと「犬伏の別れ」の話となる。
「犬伏の別れ」とは、真田家が行った最大の決断だ。
簡単に述べれば、石田三成チームと徳川家康チームの二派で争った天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」前夜の出来事であり、真田家がどちらにつくのかということを決めた会議のことである。

これはなかなか複雑な状況で、兄の信幸は妻が徳川の縁者である。逆に信繁の妻は石田の縁者なのだ。

さあ、どちらについたもんか、ということである。

したがって、昌幸・信幸・信繁の三人で家族会議が開かれることになった。
ここで、昌幸はどちらにつくかをくじ引きで決めようと提案する。これは昌幸の常套手段で、ドラマでは何度も行われた決め方である。天運に任せよ、と。真面目に策を考えていた信繁は絶句してしまう……。
と、ここで信幸が昌幸を一喝。「いい加減にしてくだされ!父上!」
そして、三人が両方のチームに分かれて戦い、負けた方を必ず勝った方が助けるという策を提案する。

この場面は本当に涙腺に来た。
前述のように、ドラマで物語をリードしていくのは常に昌幸と信繁であり、兄の信幸はどこか日陰者・苦労人だ。ところが、三谷脚本は真田家一斉一大の大勝負のこの場面で信幸による鶴の一声を持ってくることで、とんでもないカタルシスをもたらしたのである。
また、自分は兄であり、決して弟が優遇されているとは言わないまでも、少なからず弟にコンプレックスを抱いている。そんな自分と重なった信幸の姿に涙が止まらなかった。

隣で見ていた父親に「お前、こういうのに弱いんだな」と驚かれたのをよく覚えている。しかも、流石の大泉洋。演技の強弱が上手い。これまで溜めてきたものを全て吐き出す名演技だった。
その後、成長した我が子を嬉しそうに、そして悔しそうに見つめる昌幸(草刈正雄)の演技もとても良かった。

第40回「幸村」

二つ目は第40回「幸村」である。
真田信繁は石田三成方に加担したことで、勝った徳川家康によってお咎めを受け、九度山というところに幽閉された(勝った信幸はちゃんと弟に援助を行なっている!)。

さながら、引退したスポーツ選手のように、家族と静かな生活を送る信繁。
そこに、大阪城から使者がやってくる。
時は大阪冬の陣、徳川家康はついに天下取りの総仕上げとして豊臣家を潰す戦いを開始した。使者は信繁に豊臣の下で戦うように求めたのである。

豊臣といえば、信繁は若い頃にずっと豊臣秀吉に可愛がられていた。すなわち、かつて勤めていた会社である。その会社が危機に立たされている。
信繁の心は参戦に傾くが、家族との平穏な生活も捨て難い。
「行きたいと思った。だが、今の私にはもっと大事なものがある」

作劇において、見る者を最も惹きつけるのは、主人公の葛藤だ。

ここで、信繁と対話したのが長年彼を見続けた幼馴染の女性きりである。
このきりというキャラクターも語り甲斐がある。要はツンデレキャラであり、序盤から登場するくせにいつもツンツンした態度を信繁に取るので、視聴者から若干「ウザ」がられていた。演じる長澤まさみも損な役回りとなったなぁと自分も内心同情していたことを覚えている。
流石は三谷幸喜というべきか。彼はここで、このキャラクターに語らせる。

「お行きなさいよ」

助けを求める声があるなら、行くべきだと主張するきりに信繁は自分が今の暮らしを幸せに思っていることを告げる。きりは一括する。

「あなたの幸せなんて聞いてない。」
「今まで何をしてきたの。何を残したの?」

そして、きりは信繁が関わった事柄を次々と上げていく、どれも信繁が知恵を絞り、汗を流した結果、最終的には誰かの手柄として後世に伝えられることばかりだ。

きりの問いかけは、三谷幸喜による「真田信繁への問いかけ」であろう。
真田信繁、幸村と聞いてほとんどの人は彼の最後の戦いである大坂の陣を思い浮かべる。江戸時代に作られた『真田十勇士』の物語も基本的には大坂の陣の信繁の活躍をもとに描かれたものである。
正確な生年はわかっていないが、大坂の陣で戦った時、信繁は40代後半から50代前半であったと考えられる。「人間五十年」の中で、信繁が名を残したのはまさにその最後のことであった。

では、若き頃の信繁はどこに行ったのだろうか。
若き頃の信繁に関する史料は枯渇しており、どこで何をしていたのか、正確にはわからない。史料に残らなければ、いかに働いていたとしても、誰にも伝わらない。それが歴史である。

「何もしていないじゃない。」
「何の役にも立ってない。誰のためにもなってない。」

きりの言葉を通じて、『真田丸』の物語は見事に実際の歴史とリンクしていく。お前はこんなところで埋もれて良いのか。三谷幸喜の声が脚本を、きりの言葉を通じて、真田信繁を奮い立てる。

その後、最終的にきりとは言い合いになるも、最終的には心を決め、信繁は礼を告げる。
そして、昔を思い出しながら、あるものを準備した。
くじ引きである。
父の愛用した、決断の道具(伏線回収!!)。
何を決めるのかといえば、新たな名前である。

ここまで書きながら、震えるほどに脚本の凄さを痛感している。
彼は息子の大介に一枚くじを引かせ、そこに兄の信幸から一字を受け継いで、新たな名前を完成させた。「幸村」である。

真田幸村、誰もが一度は耳にした信繁のもう一つの名前は史実でもどのように名乗ったのか判然としない。この名前はむしろ、江戸時代以降の創作において信繁を英雄視する際に使用され、現代まで引き継がれたものであるとも言われている。

ここでもまた、ドラマと歴史が綺麗に重なり合っている。幸村という名前は天から与えられたものであり、それはすなわち「私たち」が長い年月をかけて作り上げていった伝説の名前なのだ。
そう、私たちが歴史に残した名前である。

真田信繁を扱う創作物はおしなべて、「真田幸村」という人物の虚像を追いかける。『真田丸』ではその虚像と信繁という実像がぶつかり合う点を見事に表現している。
真田信繁が「真田幸村」を憑依する瞬間を描き出したのだ。
「真田幸村」の描き方としてこれほどまでに斬新なものはあっただろうか。未だに忘れられない名シーンである。

終わりに

長くなったので、終わりとする。
これ以外にもワクワクして、感動する、まさに群像劇が繰り広げられる。
少し長いかもしれないが、一度見ていただきたい。この作品にこそ、三谷大河の真髄が宿っているように感じる。

さて、『鎌倉殿の十三人』……君は『真田丸』を超えられるのか?
今からとても楽しみだ。

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