伊能忠敬

(第1戦)松尾芭蕉 vs 伊能忠敬

年忘れシリーズでもやってみるかと思い立ち、年末カウントダウンを楽しみながら、「何か」を比べてみる。

「何か」は、人であったり、モノであったり、いろいろだ。

第1戦は、松尾芭蕉  vs  伊能忠敬。

松尾芭蕉は、1689年から奥の細道の旅に立ち、約2年かけて、江戸に戻ってきた。その3年後に、50才で亡くなった。

伊能忠敬は、芭蕉より遅い時代に生まれた人であり、1745年から1818年まで生き

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これからもよろしくお願いします!
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伊能忠敬が好きすぎるnote

まえがき

伊能忠敬が好きすぎるので。我慢できずに筆をとる。衝動の取り扱い。

伊能忠敬に対して一定以上の敬意を持ち出すと、界隈では忠(ちゅう)さんになるらしいです。スターウォーズの古参がダースベーダーをベーダー卿と呼び、会話のふるいに掛けるのとやや似てます。以下伊能忠敬を忠さんと呼ぶ。

忠さんの原体験

原体験って聞くと、大して人生経験変わんないだろっていう先輩就活メンターがwhyを連発してく

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人間の建設とりあえず読んどこう
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本当に偉い人は、おまつりせねばならない

昨日は、散歩にも行かず、心も身体もお休み状態で情報源のYouTube だけ、遠い国の事、歴史を教えてもらったりした
かつて伊能忠敬の地図をシーボルトに渡した天文方の役人は、一年塩漬けして斬首したとか

行動の源泉は「気骨」と「気概」

今日のおすすめの一冊は、枡野俊明氏の『定命を生きる よく死ぬための禅作法』(小学館)です。その中から「お預かりしている命」という題でブログを書きました。

本書の中に「気骨、気概は、暮らしを充実したものにする」という一文がありましたので、ご紹介します。

「大日本沿海與地全図」を完成させるため、全国各地を歩き、17年間にわたって測量をつづけた伊能忠敬が、最初の測量のため蝦夷地に赴いたのは55歳のと

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うれしいです!
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やりたいことが日々増えていく私は、これからどう行動すればよいか?

何かを始めるのに遅すぎることはない。

このフレーズを20年ぐらい前から、ことあるごとに使ってきた。
もともとは、周りの人を勇気づけたり、叱咤激励する意味で使っていた。

江戸時代に50歳過ぎてから、日本の地図を作った伊能忠敬をモチーフにした言葉だ。この時代の50歳代というのは、今まであれば、70歳代に匹敵すると思う。
“何かを始めるのに遅すぎることはない”
時代背景と重なって、年上の人に対しての

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伊能忠敬記念館 訪問記(地図好き)

伊能忠敬は50歳を過ぎてから、日本全国を測量した歩き、我が国最初の実測日本地図を作成した人物です。その記念館が忠敬が住んでいた千葉県の佐原市にあります。

佐原市(さわらし)は東京から車で1時間半、水郷の町として栄え、記念館がある付近は小江戸とも呼ばれる当時の町並みが残り、水郷を舟で巡ることができます。

記念館はその古い町並みの中心地にあります。

忠敬は1745年に現在の千葉県の九十九里町に生

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ありがとうございます!!
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母と私は已己巳己。

母と私は已己巳己。

名前は一文字違いだし、

学生時代はギターと歌に夢中だったし、

母は弓道、私はビリヤードで、狙いを定めて何か放つのが好きみたい。

そんな母に連れられて子どもの頃に行った、千葉県は佐原。

日本地図を作り上げた伊能忠敬で有名な佐原。

江戸時代を生きた伊能忠敬が暮らした佐原の街並みは、くつろぎの空気が流れていた。

伊能忠敬は、50歳を過ぎてから新たな学問の世界に飛び込み、

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あなたがスキ!
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1/3

理解できないもの

人間が好き とかいう人

トマトの中にいるエイリアン

水場とホラーの親和性

1/3(さんぶんのいち)

目の前に3等分された1/3のケーキがあるのに、0.333333....とか終わりがないのこわすぎる

こわいつかキショい

高3のとき1/3がわかんなさすぎて職員室いった

汚いジーパン履いたおじいちゃんの数学教師が、困るな〜みたいな感じでめっちゃ嬉しそうに説明してくれた

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お礼に、お茶でもどうぞ🍵それとも🍺かな?
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伊能忠敬の逸話も多数あるわけだけどあの時代にあれだけの精巧な
技術をなんてところもあるわけだし50過ぎたところでやっていたと
いうもので云えば生涯学習なんてどころじゃないものを思わされる
ものでもあるよな…

ありがとですにゃ…
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