見出し画像

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年閏4月20日】〜測量2日目〜茨城

(当時の風景は Chat GPT 4oが作っています。)


閏 4月20日は、朝5時前に出発。

天気は晴れ。坤風が吹いていた。

粕壁へ二里二十八町(10.911km)進み杉戸宿へ。

粕壁から一里二十一町(6.216km)。

さらに幸手宿へ一里二十五町(6.653km)進んだ。

そこから二里三町(8.181km)で栗橋宿に到着。

この間に御関所を通り、利根川を渡った。

中田宿から一里十八町(5.887km)進み、
19時ごろに、古河城下に到着しました。

宿は、柏屋平八。

この日は大沢宿からの
添え触れ書きを出しました。

この夜、測量を行いました。

古河城


古河城(こがじょう)は、日本の茨城県古河市に位置する歴史的な城です。古河城は、室町時代に築かれ、戦国時代には北条氏康によって再建されました。徳川家康の時代には、江戸幕府の要所として重要な役割を果たしました。

古河城の歴史的意義

◎戦国時代の要塞
古河城は、戦国時代には北条氏の勢力下にあり、関東地方の支配をめぐる戦いで重要な拠点となりました。

◎徳川家康と江戸時代
江戸幕府の成立後、古河城は幕府の重要な拠点として再整備され、特に関東地方の統治において重要な役割を果たしました。徳川家康がこの城を重視し、その後も幕府の直轄地として管理されました。


歩いた距離:37.848km

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?