阿多棒庵

阿多棒庵は、安土桃山時代に生きてた兵法家のおじいちゃんで、わたしの推しです。柳生石舟斎…

阿多棒庵

阿多棒庵は、安土桃山時代に生きてた兵法家のおじいちゃんで、わたしの推しです。柳生石舟斎と交流があったみたいです。噂によると奈良の大峰山あたりに隠居してたみたい。 あと、白土三平さん、小島剛夕さん、小池一夫さん、相原コージさんが好きです。

マガジン

  • 伊能忠敬の測量日記 一巻

    伊能忠敬の測量日記を現代語訳しました。 当時の風景は Chta GPT 4o が作っています。

  • 盛岡藩雑書 四巻

    延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。

  • 日記

最近の記事

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】

令和でいうと、激辛の紅鮭 寛政12年8月12日。 薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。 しばらくして晴れた。 夜中にまた雨が降りました。 毎年恒例の仕事です。 鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。 小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」 が今日の担当者になれ!と命令を受けました。 御扶持方(食糧や物資を配給 管理する役職)や、御伝馬(物資や人の移動手段となる馬や船を管理する

    • 伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月4日】〜測量45日目〜

      延宝5年6月4日。 朝の6時ごろまで大雨が降りました。 それから何度も 中くらいの雨が降りましたが、 夜の19時半までには時折晴れ間が見えました。 雲の隙間を利用して、測量を行いました。 ↓伊能忠敬が滞在している「鷲ノ木村」は、紀元前2,000年頃の遺跡もありました。

      • 盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月11日】

        盛岡藩主・南部重信の厄払い延宝5年8月11日 昨夜から大雨が降り続いています。 「櫛引八幡宮」の祭礼が、15日に行われます。 神酒(おみき)2樽を、 八幡三位(僧侶の地位)の僧に託して、 送り届けてもらいました。 取次役(神事の手配・担当者)は、 「高橋惣左衛門」が務めました。 大殿様(南部重信1616〜1702)の、厄払いと立願(神仏に願いを立てること)について、永福寺の先達(導師)に申し上げました。 13名が早池嶺山(はやちねさん)に参拝します。

        • 伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月3日】〜測量44日目〜

          今日も風が強いので留まります寛政12年6月3日。 朝は曇り空。 南西の風が吹き、たびたび雨が降りました。 夜も同様の天気でした。 この日も、一昨日から滞在している 「鷲ノ木村」に滞在しました。 紛失した測量器具が見つかったこの日、三既村の庄屋である 「忠兵衛」の家から書状が送られてきました。 さらに箱館(函館)からの伝達により、 大きな方位盤と銅製の器具が届けられました。 測量器具と一緒に届いた手紙測量器具紛失事件の担当者 三既村の庄屋「工藤忠兵衛」 からの手

        盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】

        マガジン

        • 伊能忠敬の測量日記 一巻
          43本
        • 盛岡藩雑書 四巻
          45本
        • 日記
          10本

        記事

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】

          蔵の管理について御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、 今日、「野辺地井右衛門」を通じて 殿様に報告します。 しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、 老中(高位の役人)に伝えてください。 老中が殿に話しておきます。 ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。 雲雀は鷹の餌昨日、武士や高位の役人たちに、 雲雀を送りました。 贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が 無事に、直接彼らに届けました。 自宅の庭で採れた梨「桜庭兵助」の代理人「井右衛門」は、 自分の庭で

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

          寛政12年6月2日。 朝から雨天で、夜も雨天でした。 これにより逗留した。 (昨日と同じ場所「鷲ノ木村」に留まった) ↓「鷲ノ木村」があったであろう場所付近。

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】

          鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇 和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。 ◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。 鉛200貫目(750kgほど)が、 和賀郡沢内の志戸前山(現在の岩手県雫石付近)で、採掘され

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

          ◎間違っているところがあったら教えてください🥲💖 北海道の測量1800年6月1日。 午前6時に出発。 朝から午後16時頃まで晴れていたけど、 午後22時頃から雨が降り始め、 真夜中からは大雨になりました。 移動距離は4里4町(17.7km)。 「内浦岳」(駒ヶ岳)という山と、 「スクノッペ」という山の間には、 休憩所として使われている1軒の家がありました。 その手前には、 「大沼」と「小沼」という池がありました。 (1640年の地震によってできた池) さらに4里

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

          江戸時代の育児日記。初代の松前藩主「慶広朝臣」の子供たち。

          側室の子・利広の人生男の利広(としひろ)、初めの名前は行広(ゆきひろ)、幼名は龍丸(たつまる)で、松前長門守(まつまえ ながとのかみ)と称しました。 彼は妾腹(しょうふく)として生まれました。性格は豪放磊落(ごうほうらいらく)で、武芸に優れ、さらに書道や医術も得意でした。 最初、南部信濃守利直(なんぶ しなののかみ としなお)の養子となりましたが、後にその関係がうまくいかず、帰郷しました。 そして藩の政務を担当するようになります。しかし、元和4年(1618年)7月2

          江戸時代の育児日記。初代の松前藩主「慶広朝臣」の子供たち。

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】

          お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、 ◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ! 大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、 一樽の肴(二樽) 一折の肴 をそれぞれ贈呈されました。 ◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼントしたと思うよ! 大殿様に感謝本日、大殿様(南部利幹)の ご下向に対するお礼

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

          5月の晦日の日、(月の最終日のことです) 終日、大野村(北海道北杜市)に滞在することにしました。 朝は曇り。 午後20時頃から、翌日の朝にかけて晴天。 夜間に測量を行いました。

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

          1800年5月29日 朝から夕方まで晴天でした。 旅は非常に暑かったです。 早朝の五ッ時(午前8時)を過ぎてから、 箱館(現在の函館市)を出発しました。 亀田御役所(亀田村にあった役所)へ 着くまでに、五里(約20km)ありました。 目的地の大野村には、 七ッ時(午後16時)過ぎに到着し宿へチェックイン。 超貴重で重要な測量器具「大方位盤」を 昨日 紛失してしまったので‥ この日は、箱館から亀田まで 「間縄(けんなわ)」を使って、 方位を測量していました。 途中

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】

          鹿角の境界線鹿角(秋田県)で、論山(領土の境界を定める山)の塚(境界を示すための塚)の工事が完了しました。 監督者である「出石源兵衛」と「臼井仁右衛門」が、昨日、鹿角から帰ってきて、今日、上役にその完了を報告しました。 高価な献上品 「御鶴(おんつる)」 「御児鶴(おこづる)」という 特別な鶴2羽を、 「兵助」が拝領(目上のひとから受けとること)しました。 そのお礼として、 「右近」が、登城しました。 「治太夫」と「七左衛門」も 「御鶴(おんつる)」1羽 「御児

          盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】

          白土三平さん自作・クナイ型ペーパーナイフ

          10月8日は、白土三平さんの命日ということで、千葉県富津市へ行きました。 白土三平さんが、生前に通われていた「岬カフェ」。 今年も カムイ外伝の原画をみることができて 嬉しかったです。 Tシャツは自作です。 阿多棒庵がカムイに放つ言葉「むだにひとしいあがき むだとわかって そのむだを生きる万物」 人生そのものですよね。こんな漫画を描けるなんて、どんな人生を送ってきたんだろう‥生き方を教えてくれた最高の漫画をありがとう! カフェのお母さんが、白土三平さん手作り 竹の

          白土三平さん自作・クナイ型ペーパーナイフ

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜

          今日の天気のこと寛政12年5月28日、土用の日。 朝の午前8時頃まで曇っていたけど、 それ以降は晴天になりました。 江戸を出発してからこれまで、 天気の良い日が続いていました。 しかし、山々は白い雲に覆われています。 この日、箱館山(現在の函館山)に登り、 いくつかの方角を測量しました。 夜も晴れていたので測量を続けました。 函館の市役所で出発手続き箱館の役所で、蝦夷地(現在の北海道)への出発に関する書類を郵送してもらいました。 すると、役所から必要書類を渡され

          伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜

          椎名誠「水域」に出てくる生き物たち

          魚貝類以外の生き物 黄泡長虫(アブクダシ) ネバネバした巣を作る、巨大な生き物。 怒るとシュウシュウと鳴いて捻転液を出す。 ヒラヌル 湿気が好きな巨大な生き物。何も悪さはしない。 めぬりばく 泥水域に生息する、弱々しくて大きな動物。 ハジキダマ 目のない顔を持つ虫。 「かちゅかちゅ」と幼稚な声で鳴く。 サキヌマドクタラシ 大きな口をあけて獲物を待つ。 噛まれると歯から強力な酸が出て、肉が溶ける。 ミズネコ 黒い生き物で、水辺を走っている。 スソガラミ 放射状に

          椎名誠「水域」に出てくる生き物たち