盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】
鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇
和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。
◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。
鉛200貫目(750kgほど)が、
和賀郡沢内の志戸前山(現在の岩手県雫石付近)で、採掘され