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伊能忠敬の測量日記 一巻

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伊能忠敬の測量日記を現代語訳しました。 当時の風景は Chta GPT 4o が作っています。
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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月4日】〜測量45日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月4日】〜測量45日目〜

延宝5年6月4日。

朝の6時ごろまで大雨が降りました。

それから何度も 中くらいの雨が降りましたが、
夜の19時半までには時折晴れ間が見えました。

雲の隙間を利用して、測量を行いました。

↓伊能忠敬が滞在している「鷲ノ木村」は、紀元前2,000年頃の遺跡もありました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月3日】〜測量44日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月3日】〜測量44日目〜



今日も風が強いので留まります寛政12年6月3日。

朝は曇り空。
南西の風が吹き、たびたび雨が降りました。
夜も同様の天気でした。

この日も、一昨日から滞在している
「鷲ノ木村」に滞在しました。

紛失した測量器具が見つかったこの日、三既村の庄屋である
「忠兵衛」の家から書状が送られてきました。

さらに箱館(函館)からの伝達により、
大きな方位盤と銅製の器具が届けられました。

測量器具と

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

寛政12年6月2日。

朝から雨天で、夜も雨天でした。

これにより逗留した。
(昨日と同じ場所「鷲ノ木村」に留まった)

↓「鷲ノ木村」があったであろう場所付近。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

◎間違っているところがあったら教えてください🥲💖

北海道の測量1800年6月1日。

午前6時に出発。

朝から午後16時頃まで晴れていたけど、
午後22時頃から雨が降り始め、
真夜中からは大雨になりました。

移動距離は4里4町(17.7km)。

「内浦岳」(駒ヶ岳)という山と、
「スクノッペ」という山の間には、
休憩所として使われている1軒の家がありました。

その手前には、
「大沼」

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

5月の晦日の日、(月の最終日のことです)

終日、大野村(北海道北杜市)に滞在することにしました。

朝は曇り。

午後20時頃から、翌日の朝にかけて晴天。

夜間に測量を行いました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

1800年5月29日

朝から夕方まで晴天でした。
旅は非常に暑かったです。

早朝の五ッ時(午前8時)を過ぎてから、
箱館(現在の函館市)を出発しました。

亀田御役所(亀田村にあった役所)へ
着くまでに、五里(約20km)ありました。

目的地の大野村には、
七ッ時(午後16時)過ぎに到着し宿へチェックイン。

超貴重で重要な測量器具「大方位盤」を
昨日 紛失してしまったので‥

この日は、箱

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜



今日の天気のこと寛政12年5月28日、土用の日。

朝の午前8時頃まで曇っていたけど、
それ以降は晴天になりました。

江戸を出発してからこれまで、
天気の良い日が続いていました。
しかし、山々は白い雲に覆われています。

この日、箱館山(現在の函館山)に登り、
いくつかの方角を測量しました。
夜も晴れていたので測量を続けました。

函館の市役所で出発手続き箱館の役所で、蝦夷地(現在の北海道)

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月26〜27日】〜測量37〜38日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月26〜27日】〜測量37〜38日目〜

写真は、Chat GPT!

間違えているところがあったら教えてね🙂‍↕️

5月26日 東北は寒い朝の8時ごろまでは晴れていました。
14時ごろまで小雨が降りました。
16時ごろから曇り始めました。
17時ごろまではまた小雨が降り、
その後は強めの雨になり、南風が吹きました。

この日も、亀田村に滞在していました。

亀田村の役所にお願いの書類を提出しました。

この時期限定で、現在の函館に駐

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月23〜25日】〜測量34〜36日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月23〜25日】〜測量34〜36日目〜

写真は、Chat GPTで作ってます

間違えているところがあったら教えてください

5月23日 亀田村に留まる朝から14時頃まで曇りました、
そのあと、16時頃まで晴れました。

16時を過ぎるとまた曇りました、
夜も曇りでした。

この日も、亀田村(北海道函館市の西にあった村)に、宿泊しました。

5月24日 亀田村の生活3日目朝8時頃まで小雨が降りました。
それから、14時頃まで曇りでした。

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月22日】〜測量33日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月22日】〜測量33日目〜

写真は Chat GPTで作ってます。

間違えているところがあったら教えてください☺️

今日、歩いた距離とか寛政12年5月22日。

朝は、薄曇りでした。
午前8時頃から、晴天になりました。
夜は、曇りました。

朝の午前6時過ぎに、宿を出発しました。

一里(4km)札苅。
一里(4km)泉沢。
三里半(12.5km)茂辺地。
一里半(4キロ半)富川。

約十町(1.1km)三谷。
約二十町

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月21日】〜測量32日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月21日】〜測量32日目〜

写真は、Chat Gpt です。

間違ってるところがあったら
教えてください^_^

寛政12年5月21日。

朝から午後12時過ぎにかけて曇りました。
少し晴れ間も見えました。

福鳴から、7里(約28km)進みました。

途中で「四十八瀬(しじゅうはせ)」
という小川を、数十回渡りました。

この場所に到着するまでの地域は、
松前藩の領地内であり、
川が境界となっていたことがわかります。

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月20日】〜測量31日目〜北海道

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月20日】〜測量31日目〜北海道

※写真は、Chat GPTが作ってるよ!

寛政12年5月20日。

昨日の同じ場所(松前領の吉岡)で、
朝の10時頃まで風が吹くのを待ちました。

また風が吹かず、目的地へ進めませんでした。

陸地に一里半ほど(5.9km)進み、
中継地点である宮寄の一福鳴(北海道福島町)に到着し、午後12時頃に宿泊しました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月19日】〜測量30日目〜北海道

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月19日】〜測量30日目〜北海道

間違っているところがあったら
教えてくだサイ🦏

※写真はChat GPTが作っています。

寛政12年5月19日。

朝から晴天でした。

午前5時半頃に、風が少し穏やかになったので、出帆できました。

しかし、北東の風が強くなったのです。

そのため、箱館(函館)に到着するのは難しくなり、松前領の吉岡という場所に、午後12時頃に着きました。

しばらく様子を見ましたが、風が強いため、そのまま

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月18日】〜測量29日目〜青森

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月18日】〜測量29日目〜青森

間違えているところがあったら
コメント欄で教えてください☺️

※写真は、Chat GPT 4oで作ってるよ。

寛政12年5月18日。

昨夜から今朝の4時過ぎまで大雨でした。

その後は小雨となり、
8時頃から曇りとなりました。

東風のために、停滞しました。

(記録表には、
子丑(北東)の風と記されています。)

三嘅庄屋(伊能忠敬の宿泊場所)の「忠兵衛」は出帆できない理由を、宿の記録表に

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