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伊能忠敬の測量日記 一巻

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伊能忠敬の測量日記を現代語訳しました。 当時の風景は Chta GPT 4o が作っています。
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記事一覧

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月9日】〜測量50日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月9日】〜測量50日目〜

寛政12年6月9日。

朝は曇りでした。
午前8時頃から晴れました。
昼頃には太陽が出ているのを観測しました。

夜は再び曇り、ヤマセ風が吹いてました。

この日、山越えの途中、
小砂満辺の詰合場で、
「浅三右衛門」殿が、
アブタからの帰りに遭遇しました。

この日は寒かったです。
なので、袷(薄い裏地付きの着物)を着て過ごしました。

今夜は、逗留します。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月8日】〜測量49日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月8日】〜測量49日目〜

寛政12年6月8日。

この日も朝から晴天でした。
夜も同様に晴れていました。

朝6時頃に、出発。
海沿いを約4里(約16km)
進んだところで昼食をとりました。

さらに約8里半(約34km)進み、
午後19時半頃に
オシャマンベ(北海道長万部町)に到着しました。

会所(役所や宿泊施設)に宿泊しました。

この夜、測量を行いました。

それまでの約9日間、朝夕ともに、単衣(裏地のない軽い着物

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月7日】〜測量48日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月7日】〜測量48日目〜

寛政12年6月7日。

朝のうちは雨が降りました。
午前8時頃から晴れました。
夜は曇りでした。

6日の夜(昨夜)進む予定だった川が、
雨のため増水して歩くのが難しくなりました。
そのため逗留しました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月6日】〜測量47日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月6日】〜測量47日目〜

寛政12年6月6日。

朝は曇りでした。

午前10時頃から晴れたので、
正午に、太陽の位置を測りました。

その後、午後16時頃から再び曇り始め、
夜には雨が降りました。

この日は滞在したまま過ごしました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月5日】〜測量46日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月5日】〜測量46日目〜

寛政12年6月5日。

朝から午前8時頃までは晴れ間があったけど、
その後は薄曇りとなりました。
夜の午20時以降には再び晴れ間が戻りました。

この朝の午前8時に、
「鷲木村」を出発しました。

道中、「オトシベ村」で昼食を食べました。

オトシベ村は鷲木村から、
3里(約12km)離れています。

さらに海辺を5里8町(約20km)進んだ後、
午後16時に「山越内」(北海道 二海郡八雲町)に到

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月4日】〜測量45日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月4日】〜測量45日目〜

延宝5年6月4日。

朝の6時ごろまで大雨が降りました。

それから何度も 中くらいの雨が降りましたが、
夜の19時半までには時折晴れ間が見えました。

雲の隙間を利用して、測量を行いました。

↓伊能忠敬が滞在している「鷲ノ木村」は、紀元前2,000年頃の遺跡もありました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月3日】〜測量44日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月3日】〜測量44日目〜



今日も風が強いので留まります寛政12年6月3日。

朝は曇り空。
南西の風が吹き、たびたび雨が降りました。
夜も同様の天気でした。

この日も、一昨日から滞在している
「鷲ノ木村」に滞在しました。

紛失した測量器具が見つかったこの日、三既村の庄屋である
「忠兵衛」の家から書状が送られてきました。

さらに箱館(函館)からの伝達により、
大きな方位盤と銅製の器具が届けられました。

測量器具と

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月2日】〜測量43日目〜

寛政12年6月2日。

朝から雨天で、夜も雨天でした。

これにより逗留した。
(昨日と同じ場所「鷲ノ木村」に留まった)

↓「鷲ノ木村」があったであろう場所付近。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年6月1日】〜測量42日目〜

◎間違っているところがあったら教えてください🥲💖

北海道の測量1800年6月1日。

午前6時に出発。

朝から午後16時頃まで晴れていたけど、
午後22時頃から雨が降り始め、
真夜中からは大雨になりました。

移動距離は4里4町(17.7km)。

「内浦岳」(駒ヶ岳)という山と、
「スクノッペ」という山の間には、
休憩所として使われている1軒の家がありました。

その手前には、
「大沼」

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月30日】〜測量41日目〜

5月の晦日の日、(月の最終日のことです)

終日、大野村(北海道北杜市)に滞在することにしました。

朝は曇り。

午後20時頃から、翌日の朝にかけて晴天。

夜間に測量を行いました。

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月29日】〜測量40日目〜

1800年5月29日

朝から夕方まで晴天でした。
旅は非常に暑かったです。

早朝の五ッ時(午前8時)を過ぎてから、
箱館(現在の函館市)を出発しました。

亀田御役所(亀田村にあった役所)へ
着くまでに、五里(約20km)ありました。

目的地の大野村には、
七ッ時(午後16時)過ぎに到着し宿へチェックイン。

超貴重で重要な測量器具「大方位盤」を
昨日 紛失してしまったので‥

この日は、箱

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜



今日の天気のこと寛政12年5月28日、土用の日。

朝の午前8時頃まで曇っていたけど、
それ以降は晴天になりました。

江戸を出発してからこれまで、
天気の良い日が続いていました。
しかし、山々は白い雲に覆われています。

この日、箱館山(現在の函館山)に登り、
いくつかの方角を測量しました。
夜も晴れていたので測量を続けました。

函館の市役所で出発手続き箱館の役所で、蝦夷地(現在の北海道)

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月26〜27日】〜測量37〜38日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月26〜27日】〜測量37〜38日目〜

写真は、Chat GPT!

間違えているところがあったら教えてね🙂‍↕️

5月26日 東北は寒い朝の8時ごろまでは晴れていました。
14時ごろまで小雨が降りました。
16時ごろから曇り始めました。
17時ごろまではまた小雨が降り、
その後は強めの雨になり、南風が吹きました。

この日も、亀田村に滞在していました。

亀田村の役所にお願いの書類を提出しました。

この時期限定で、現在の函館に駐

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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月23〜25日】〜測量34〜36日目〜

伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月23〜25日】〜測量34〜36日目〜

写真は、Chat GPTで作ってます

間違えているところがあったら教えてください

5月23日 亀田村に留まる朝から14時頃まで曇りました、
そのあと、16時頃まで晴れました。

16時を過ぎるとまた曇りました、
夜も曇りでした。

この日も、亀田村(北海道函館市の西にあった村)に、宿泊しました。

5月24日 亀田村の生活3日目朝8時頃まで小雨が降りました。
それから、14時頃まで曇りでした。

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