伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月28日】〜測量39日目〜
今日の天気のこと
寛政12年5月28日、土用の日。
朝の午前8時頃まで曇っていたけど、
それ以降は晴天になりました。
江戸を出発してからこれまで、
天気の良い日が続いていました。
しかし、山々は白い雲に覆われています。
この日、箱館山(現在の函館山)に登り、
いくつかの方角を測量しました。
夜も晴れていたので測量を続けました。
函館の市役所で出発手続き
箱館の役所で、蝦夷地(現在の北海道)への出発に関する書類を郵送してもらいました。
すると、役所から必要書類を渡されました。
その必要書類には、下記内容が記されています。
◎馬:1頭
◎人足(にんそく):3人
これらは、今回の蝦夷地(現代の北海道)への公務のために、
津田山城守が治める領地である、
下総国佐原村(現在の千葉県香取市)から、
元百姓で、今は浪人の
「伊能勘解由(伊能忠敬)」が、
蝦夷地に派遣されたことを示しています。
この際、指定された馬と人足に関しては、
派遣される「伊能勘解由」と相談して、
質入れのための保証金を受け取らず、
海を越えての宿泊地や正規の宿場で、
適切に対応することを命じました。
また、一か所で3日〜5日ほど滞在する場合があるので、その点に注意して行動するようにと、指示がありました。
箱館の役所で作成された必要書類には、
箱館(函館)からクナシリ(国後島)までの、村々や場所の名主や支配人の名前が記されていました。
このように、公務のための派遣手続きや滞在中の注意点が書かれており、江戸から蝦夷地へと向かう準備が行われたことが記されているのです。
伊能忠敬が送った手紙の内容
先触(さきぶれ・事前通知という意味)
箱館(現在の函館)から
クナシリ(国後島)まで。
(担当する村々や場所の名主や支配人の皆様へ)
◎馬:一頭
◎人足:三人
私たちが蝦夷地(北海道)で、
測量を行う公務のために、
総勢5人で、明日29日に
箱館を出発し、国後島付近まで、
向かう予定であることをお知らせするものです。
記載されている馬と人足に関しては、
決められた賃金を受け取り、
引き渡しや海を渡る際、川を越える際、
宿泊する際などに、滞りなく手配してください。
また、一か所で
3日から5日ほど滞在する場合もあるので、
その点にも注意してください。
ただし、天候の状況次第では、
村々や各地で、
滞在期間が延びることもあるため、
その場合も対応をお願いします。
特にアッケシ(厚岸)や、国後付近までは、
十分な対応が難しいので、
そうした事情を理解して対応してください。
伊能勘解由(伊能忠敬)
5月28日
この文書は、伊能勘解由が蝦夷地測量のために出発することを伝え、沿道の村々の名主や支配人たちに馬や人足の手配を依頼する先触れ(事前通知)です。宿泊や移動手段を提供する際に、滞りなく対応してほしいという内容が書かれています。天候次第で滞在期間が変わる可能性もあるので、その点も配慮するように伝えているようです。
函館の役人が送った手紙の内容
以下の内容は、
箱館村(現在の函館市)の役人から、
先触れ(先程 伊能忠敬が書いた手紙)
の奥へ添えられた添触(補足の手紙)です。
伊能勘解由の手紙の内容に基づき、
村々や宿場(旅人が休むための宿)では、
遅れることなく、円滑に通行し、
次の宿場への手配を行うようにしてください。
特に、
村々で宿泊することはない予定ですので、
伊能勘解由の手紙が届いた際は、
その内容を確認の上、次の目的地まで、
滞りなく伝達を行ってください。
担当者:長谷川太左衛門
箱館(函館)の月番役人:矢川四郎左衛門
大野村(現在の北海道北斗市)から久奈志利(国後島)まで。
超高価な測量器具を紛失した
箱館(現在の函館市)に滞在している間に、
持参していた「大方位盤」(測量用の大型の方位を示す機器)を紛失しました。
紛失した可能性の場所をまとめてみます。
◎「大方位盤」は、
銅製の器具か扇子箱に入ったままでした。
道中に落とした?
◎三厩(みんまや・青森県の村)から
乗船して吉岡村に着いた際に、
船から荷物を降ろす際に、
その器具を取り残してしまったのかも?
でも、はっきりと覚えていません。
下記の対策をしました。
◎吉岡村までの範囲で、これに関する触書(見つけて欲しいという内容の手紙)を郵送しました。
◎三厩の庄屋「忠兵衛」の家にも
この件に関する手紙を郵送しました。
「大方位盤」 は、
測量や方位を測る際に使用される器具で、
当時は高価で貴重なものでした。
そのため、これが無くなると
測量に支障をきたすため、
発見することが急務でした。
大方位盤には、方位を示す目盛りや目視で確認するための器具が付属しており、精密な測量に不可欠です。必死に探しているのが手紙の内容から伝わります。
紛失事件(吉岡村に送った手紙の内容)
私たちは、今月19日、
三厩(青森県の港町)から船に乗りました。
でも、風向きが悪くて、
吉岡村に着くのに時間がかかりました。
その後、陸路を移動しました。
その際、持っていた荷物の中にあった
「金具が入った五本入り扇子箱」を、
どこかの宿場で落としたのかもしれません。
箱館で改めて荷物を確認しましたが、
その扇子箱は見つかりませんでした。
もし、この扇子箱が見つかりましたら、
箱館にある旅宿の「伊藤茂左衛門」宅まで送ってください。
なお、この扇子箱は、確かに、
三厩で船に積み込んだことに間違いはありませんので、この内容を三厩にも通知しました。
伊能勘解由
5月
紛失事件(各地に送った手紙の内容)
戸切地村(へきりちむら)・三谷村・富川村・茂戸地村・泉沢村・喜古内村・知内村・福嶋村・白符村・吉岡村・留札狩村・宮寄村の各村の名主(なぬし)や年寄(村の指導者)たちへ
書状にてお知らせ申し上げます。
皆様が変わらずお元気で過ごされていることと存じ、安堵しております。
先日は、風寺(ふうじ)という場所で、
長い間滞在させていただき、大変お世話になりました。
おかげさまで、
無事に19日に渡海(海を渡ること)し、
吉岡村(現在の北海道松前町付近)に到着しました。
その後、陸路を進み、
22日に箱館(函館)に到着いたしました。
ところが、測量道具の一部である
「五本入の扇子箱」に入れていた金具の一箱を、箱館に着いた後に確認したところ、
見当たりませんでした。
これは小さな物なので、船の中から、
吉岡村の宿泊場所に荷物を移すときに、
取り残した可能性があります。
船頭(船の船長や操縦士)にお尋ねいただき、
もし見つかりましたら、
箱館にある旅宿の「伊藤茂左衛門」宅まで船便でお送りください。
また、
道中の村々にも伝達をお願いしましたが、
特に荷物を届ける役目の者がいないので、
念のため吉岡村まで、この件をお伝えする触書(お知らせの文書)を送りました。
伊能勘解由(いのう かげゆ)より
紛失事件(工藤さんに送った手紙の内容)
工藤忠兵衛殿へ
現在、箱館の旅宿に滞在しております。
先日、津軽藩(青森県付近)の
御家中(武士の家臣)の
「笹森勘解由」(ささもり かげゆ)殿に、
測量用の「大方位盤」を
確認していただく機会がありました。
その際、銅器(どうき、銅製の器具)が
不足していることが分かりました。
おそらく、船の中で
落としてしまったのではないかと思い、
いろいろと確認をしてみましたが、
紛失の原因についての話が
はっきりしないままです。
そこで、この件について、
三厩(みんまや、青森県の村)にもお伝えし、
探すよう指示するつもりです。
伊能勘解由(いのう かげゆ)より
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