ポーレンたかし

「花粉の話」を聞いてくれた年配の方から、「あなたは幸せ」と指摘され、定年のモヤモヤが消…

ポーレンたかし

「花粉の話」を聞いてくれた年配の方から、「あなたは幸せ」と指摘され、定年のモヤモヤが消えました。仕事として「花粉の世界」に身を置き、これまでの50年間に知り得たことを紹介して行きます。小さくて多様な形を持つ花粉に興味を持ったことで、世界が広がりました。

最近の記事

写真とスケッチことはじめ

 数年後に定年を控えた2020年、いわゆるコロナ禍が始まりました。が、田舎の暮らしは何も変わらず雲雀がさえずり、河津桜が咲き始めていました。勤務先はリモートに飲み込まれ、形だけの授業や会議の繰り返し。今でも、唖然としますね。あの不実な状況、あれを、利用し、あたかも時代の流れにしてしまう。「できない」が許されない同調圧力の中、「できる」人が「できない」人の上に立つ。我ながら、自分で作るパワポにも味気なさを感じており、スケッチを含めました。が、リモートでの反応は乏しく、あどけない

    • 百合の出会い

       庭に百合が増えて、今年の初夏を告げてくれています。咲くのを楽しみにしていたので、写真だけではなくスケッチも試みました。その中で、偶然にいくつかの出会いを目撃しましたので、お伝えします。表紙は、ハエとカマキリの出会い!? 1 ハエとカマキリ 今年、庭のユリが増えて、咲くのが楽しみでした(6月7日)。咲き始めたのが10日、カメラでの撮影に加えてスケッチに残そう!朝方の雨が止み、曇り空の下、テッポウユリに照準を合わせて、開始。下書きもせず、構図探し、色塗りまで、できたものは美し

      • 九十九里から、 飯岡と壱岐とロンドン  

         九十九里町から銚子まで、県道30号線は飯岡漁港手前で急に西側に曲がり、国道126号と合流します。直進を妨げるように刑部岬(ぎょうぶ岬)があって、下総丘陵の東の断崖と岩石海岸の玄関口になっています。  表紙は、昭和3年発行の小学生全集27「伊能忠敬」の挿絵です。 地元贔屓の眼で見ると、左手、遠方の銚子から続く屏風ヶ浦、忠敬が立つ刑部岬、右手、遠方には湾曲した海岸線の先にある太東崎が描かれているようです。忠敬は生まれ故郷の九十九里浜を振り返りつつ地図を構想しているようです。  

        • 九十九里海岸平野 地名考 3「神宮寺」

           銚子に向かう国道126号線、並行する総武本線とともに旭市に入ると、干潟駅への交差点、ここを過ぎると左手に、鎌数伊勢大神宮が見えてきます。「なんで、伊勢大神宮が、ここに?」と、境内の案内板を見ると、干拓事業の代表とも言える「干潟八万石」との関連を知りました。干拓事業は、寛文9年(1670年)起工、翌年完成です。  「神宮寺」地域にはどのような特徴が掴めるのか、現代の眼から「干潟八万石」を探ってみましょう。 1 干潟八万石 以下、干潟八万石(椿海)と「神宮寺」の位置を示します

        写真とスケッチことはじめ

          九十九里海岸平野 地名考2 「尾垂」

           前回の地名考1では、米田敬一氏の論説を引用し、徳川家忠(?)が、「鳥喰沼」を視察していたこと(家忠日記)を引用しました。その際、「家忠」は、著者の誤記であり、私は秀忠として扱いました。ところが、天正20年の13歳の秀忠では、鷹狩りにしても年齢が合わない!   今回、確認し直したところ、松平家忠と判明しました。誤りの連鎖でした。  ただし、新たな知見が加わりました。以下、家忠について、引用します。  誤りを導いた、私の先入観念には、「鷹狩り」が、キーワードで「徳川」と「東金

          九十九里海岸平野 地名考2 「尾垂」

          九十九里海岸平野 地名考1「鳥喰」

           九十九里海岸までの鉄道(下図)利用は、千葉駅から外房線と総武本線のどちらかです。ただし、初めて利用する人にとって、やや紛らわしい!その理由、同じ九十九里浜でも行き先が房総半島の北部(成田、銚子方面)は総武本線、東部(大網や東金、成東方面)は外房線と東金戦、南部(大網から一宮方面)は外房線のみを利用します。また、千葉駅から東京湾側を南下する内房線があるのですが、千葉駅を出て、本千葉ー蘇我まで、停車駅が外房線と重複していること、さらに内房線は京葉線が、蘇我駅で合流するなど千葉駅

          九十九里海岸平野 地名考1「鳥喰」

          私のお気に入り5 済州島その4 めぐりあい

           済州島の話、4回目になりました。表紙遠方にハルラ山、黒い岩石海岸は溶岩と海の「めぐりあい」の現場です。昔々ハルラ山には多数の寄生火山(オルム)があり、円錐形の丘や小山があちこちにあり噴火していました。  さて、日本の温暖な地域の指標となるハマオモテ線をもとに、始めた旅行記ですが、済州島では北方系植物のハマナスと出会いました。ハマユウ(ハマオモテ)とハマナスが自生する房総半島と似ていると、思い至りました。  房総半島の太平洋側は黒潮と親潮の出会う場所です。東日本大震災のとき

          私のお気に入り5 済州島その4 めぐりあい

          私のお気に入り4 済州島その3 榧の森

           済州島3泊4日の旅を振り返りながら、気ままに思いついたこと記します。  民俗自然史博物館(Natural Heritage and Folklore of Jeju Island、「榧の森」、海女博物館、城邑民俗村、サンヒョンウォン樹木園、溶岩海水産業化支援センター、済州大学農経研究所、市内デパートを見てきました。  博物館の運営は、日本でも集客能力など多くの課題を抱えているようですが、設立者の理念が大切であろうと考えました。空港から程近い場所に、民俗自然史博物館がありま

          私のお気に入り4 済州島その3 榧の森

          私のお気に入り 3 韓国済州島その2

           表紙写真は、多分、五島列島上空からの海域です。この海域が、アマダイの漁域であることなど、記します。済州島訪問以来、このブログ作成を契機に学び直せたことが、改めて嬉しい。2016年9月に民俗学者の高光敏先生とお会いした際のメモについて記します。高先生は、同年7月に日本の研究者(赤坂憲夫氏)と知り合い、東北芸術工科大学に招かれたばかりでした。  私たちとの出会いは、ソウル大学に留学経験のある同僚のMさんが、訪問先の済州大学で熱意を持って交渉した結果、実現することになりました。そ

          私のお気に入り 3 韓国済州島その2

          私のお気に入り 2 韓国済州島その1

           ドラマ「チャングムの誓い」の中、流罪となった島は、椿や常緑樹、海岸の黒い岩などどこか不思議な世界でした。雪が降っていても暖かく、緑あふれる自然や整形されていない石垣など南の島を思わせるものでした。また、日本の対馬、壱岐とつながる国境の島であり、架け橋として親しみを感じていました。今回は、火山島である済州島の水事情について記します。  表紙には、ハルラ(ナ)山(海抜1950m)が見えます。(2016年 9月5〜8日済州島を訪問)。 1 ハマオモト線(小清水卓二、1938)

          私のお気に入り 2 韓国済州島その1

          私のお気に入り 1 

          これから、 「花粉と歴史ロマン」から離れて、さらに自由にこれまで気にしていたこと、気になること、お気に入りの物事を記録していこうと思います。 1 自己肯定感を高めてくれたドラマ「チャングムの誓い」  最初は、有名なドラマです。これまで再放送を録画して見てきました。 最近、ドラマのいくつかのセリフが気になり、思いをめぐらした結果、受け取れるものの一つに「自己肯定感」があるのではないか?と考えた次第です。  歴史書の一節に示された、ご褒美をいただいた医女「大長今」からイメー

          私のお気に入り 1 

          花粉と歴史ロマン 最終章 

          1 春が来た。  紅梅が咲きそろった。今年もこの木が春を告げてくれた。節分までの1週間、寒さと暖かさが交互に現れますが、房総では春が始まります。28日、仙台から来られた旧友は梅の盛りに驚かれていた。何年かぶりでしたが、時を超えた再会になりました。 このnoteを始めた頃、忘れかけそうな写真やメモを元に記事を作成することが楽しかった。楽しみの「花粉と歴史ロマン」も、そろそろ題材がなくなってきました。  最終章では、これまで扱ってきた記事の中で溢れてしまったいくつかの思い出を

          花粉と歴史ロマン 最終章 

          花粉と歴史ロマン 連続と不連続

           1月1日 能登半島を地震と津波が襲った。12年前の3.11を思い出した。あの時、愛犬とともに内陸の高台に逃げた。翌日自宅に戻り、家族全員の安全を確認できたが、家内の実家とは連絡が取れなかった。3月15日になって親族から救援の要請があり、原発事故が進行する中、ある程度の覚悟を持って家内と現地に向かった。高速道路は途中水戸まで利用できたが、出口では救援目的のため無料になったが、事務的には強行突破になった。  被災した家並みが続く国道6号線を北上し、避難先にたどり着くと親族は皆元

          花粉と歴史ロマン 連続と不連続

          花粉と歴史ロマン43 幻の寄り道

          1 もう帰れない  表紙写真は、今は立ち入ることのできない福島県浪江町の西方、葛尾村に通じる高瀬川渓谷の自然林です。震災の前年(2010年.10月)に撮影しました。モミが特徴的な中間温帯林です。  2011.3.11の放射能汚染により立入できなくなった高瀬川渓谷は、降り注いだセシウムによって600年間(Cs137の半減期30年を20回繰り返すと震災前までの水準に減少します)、人為から隔離された自然環境となり阿武隈山地に残されました。  降り注ぐ日差しは、自然美の回帰を促す優

          花粉と歴史ロマン43 幻の寄り道

          花粉と歴史ロマン42 幻のコケスギラン③

          はじめに  11月3日、町民文化祭で御殿まりをいただきました。シツケ糸(躾か?)で、ぐるぐる巻にされてから球に整形された後、様々な模様が刺繍されています。このシツケ部分が、ブナ科の椎や栗の花粉の表面構造に似て見えました(変)。  そもそも、「幻のコケスギラン」のタイトルから始めたnoteでしたが、玉野溜池の調査以来、コケスギランを検出できぬまま、より新しい時代のブナ林の移動経路に関心が移りました。花粉分析では、属レベルの識別が普通ですが、ブナとイヌブナの識別は、光学顕微鏡でも

          花粉と歴史ロマン42 幻のコケスギラン③

          花粉と歴史ロマン41 幻のコケスギラン②

          1 はじめに  表紙の写真は、檜枝岐村ミニ尾瀬公園からみた燧ヶ岳です。手前の山ではブナの黄葉が進んでいました。春に来た時と世界が変わりました。日本の美が、現実に目の前にあること、実感できる幸せを感じました。檜枝岐の人々は山や川が中心となった自然環境に寄り添って、生活できている。お墓(廟と呼ばれている)や石仏は、日常的に祖先や過去が現在と融合していることを教えてくれます。そして村を流れ下る豊富な水と奥山から運ばれる空気は休むことなく清浄な環境を更新し続けています! さらに温泉

          花粉と歴史ロマン41 幻のコケスギラン②