写真とスケッチことはじめ
数年後に定年を控えた2020年、いわゆるコロナ禍が始まりました。が、田舎の暮らしは何も変わらず雲雀がさえずり、河津桜が咲き始めていました。勤務先はリモートに飲み込まれ、形だけの授業や会議の繰り返し。今でも、唖然としますね。あの不実な状況、あれを、利用し、あたかも時代の流れにしてしまう。「できない」が許されない同調圧力の中、「できる」人が「できない」人の上に立つ。我ながら、自分で作るパワポにも味気なさを感じており、スケッチを含めました。が、リモートでの反応は乏しく、あどけない自己満足だった。
それでもスケッチを書くことが、見る目を養ってくれたし、定年後の自分探しのヒントも掴めました。今になって、あの時、揃えていた道具が役に立っています。
1 河津桜
2 ラッパズイセン
花茎がわずかに曲がる水仙(茎の断面が楕円)と直立するチュウリップ(断面が円)。水仙の屈曲にはそれなりの補強が施されています。詳しくは、「光合成の森」をご覧ください。(http://www.photosynthesis.jp/lec/PlantPhysI-2018-06.html)
3 百合とゆり
テッポウ百合の増殖を楽しみにしているのですが、お土産にいただいたスカシユリ系?の園芸種が増えました。単子葉植物は、同一の科の中にも合弁花・離弁花を含むものがあり、ユリ科がその例になります。テッポウユリは、花弁が合着したまま、しおれましたが、スカシユリ系は1枚づつ散り落ちて行きました。
4 オケラ
オケラは飛び、歩き回り、地中を掘り進むという。雑食でたくましい。体は細かな毛で覆われていて、汚れない。細かな毛が水を弾くので、泳げる?
こんな、記事もありました。コトバンクで螻蛄(けら)を検索したら、
可愛い螻蛄(けら・ろうこ)を見る眼にも、大人の目で見ると、多様な行動力が「拙」に落とされてしまう。また、万歳をするあどけない仕草が、一文無しの「オケラ」になる。あどけない行動は、未熟であり、失敗につながりやすい。賭け事に負けて家路に向かう、人々の帰り道には自嘲的な一体感がありそうだ。
5 絵であり詩である。あるいは音楽と彫刻である。
漱石40歳頃の作品「草枕:の芸術論の一部が、書道の教科書にあった。これを臨書する授業で、丹治先生の指導を受けた。その添削後に評価Aのついた当時(55年前)の半紙が保存されていた。16歳の時のものであるが、中々の出来栄え?これを手本として、書を始めた。
草枕の主人公は「画工」であり、美を考えながら熊本の山道を歩く。少し読んでみた。圧倒される漱石の知識量と哲学的深さ、表現能力。これは、姿勢を正してから読み直すことにしよう。
なぜ、写真を撮ったり、スケッチするのか?「しばし、留めておきたい」気持ちがあったから、合掌
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?