見出し画像

邪道作家三巻 聖者の愛を売り捌け 分割版その3 

新規用一巻横書き記事

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事


    5

 シャルロット・キングホーン。
 彼女は人間として壊れている。
 そもそも聖人とは自分よりも他人を優先するからこその聖人だ。しかし、それが人間らしいあり方と言えるのかと言えば、そんなわけがない。
 産まれたとき、いやその前から名家と名家の配合の結果産まれることが決まっており、まぁその当時の彼らからすればきっと、聖人ほどではなくてもそれに近いモノを望んでいたのだろう。
 だからこそ産まれたのかもしれないが。
 何にせよ、そこに彼女の意思はなかった。足し算を覚える前から「聖人になる可能性」を期待され続けた人間が、マトモな思考回路を持つはずがないのだ。半ばそれが常識になり、子供らしい子供時代はなく、人間らしい趣味もない。
 ただの機械だ。
 組織や、あるいは何かの都合のために行動するとはそう言うことだ。それが聖人であれ、その機能が「自分とは関係ない赤の他人を救う」ことのみを求められ、それに従うならば、だが。
 事実、彼女は期待に答えてそうなった。
 彼女自身がいつ頃から意識し始めたのかは分からない・・・・・・だが、「必要は発明の母」であるように、求める心が多くあれば、それは奇跡を生むのだろう。
 信者の期待、周囲の期待、社会の期待。
 そういったモノにつぶされる人間は多いが、見事やりきった。彼女は過去に聖人たちが挑んだ苦行を実際にやり(この時点で彼女には「人々のために行動する」という基準しか無くなった)そして達成した。
 手のひらを返す、と言う言葉があるが、実際彼女は周りの都合にあわせて生きてきた女だ。そんな女に同情や哀れみをかける者もた。それが聖人になるという可能性を帯びるまでは・・・・・・。
 いくら聖人になる可能性があるといえど、だ。 実際にならなければ意味がない、そのためにも堕落するようなことがあっては「教会」の「沽券」(彼らの沽券がどれほどかは知らないが)に関わるとのことで、質素な暮らし、質素な生活の為に最低限の場所を提供した。
 聞こえはよいが、拒否権はなく、半ば強制的に籠の中の鳥と言うわけである。
 これには当然、彼女に思いを馳せる少年は抗議した。

 彼女には彼女の生活がある、と。

 だが、教会の答えは「我々は強制はしていない、彼女自身の選んだ道だ」と、答えた。当然そうであるように環境を操作した上での言葉だ。
 見栄や沽券。
 そういった形のないモノ。
 神に仕える人間も、人間でしか無いということだが、彼らはそれを認めないだろう。
 これは、ただそれだけの物語だ。

 そんなことを考えながら、私は、教会の近くにいた。レストランの評判が良かったのだ。私は昼からドリア(チーズとオリーブオイル、あとはライスをかき混ぜただけの奴だ)を食べながら、コーヒーを飲んでいた。
 コーヒーを飲むと身体から力が抜ける。
 思うのだが、昔の教会の人間が宗旨替えして飲む理由が分かると言うものだ。味と言うよりも、コーヒーは時間をかけて長く楽しめ、会話や読書を楽しめるからだ。
 これは良いものだ。
 今回関わっている連中は、どいつもこいつも見栄や沽券であったり、あるいは女に対して勇気がなかったり、いずれにせよコーヒー一つ楽しめない無粋な連中だ。
 私の敵ではない。
 とはいえ、強情さは一級品だろうことを考えると、神の愛とやらは人間を意固地にする効果があるらしいと感じざるを得ない。信じるのは勝手だが、柔軟さが足りないからこうなるのだ。とはいえ、彼らを説得する以上、彼らのことを考え、彼らの立場を考慮した上で対策を練らねばならないだろう。
 聖女を好いているあの男はどうだろう?
 相手の立場を考えるとうかつな高度は取れないみたいな事を言っていたが、あれはそれを言い訳にしているだけで、ただ勇気がないだけ、自分を信じられないだけだ。
 思うに、神を信じるのは勝手だが、彼らは自分を信じることを諦めているように見えてならない・・・・・・人間の可能性よりも、奇跡を望む。
 その気持ちは分からなくもない。人間の可能性とは産まれ持った能力、環境、持っている金や人脈といった、およそ本人の意思とはあまり関係のないモノで決まるからだ・・・・・・人間は才能に人生を左右され、その有無で豊かさはある程度決まってしまうし、それらを総合して運不運、運命とでも名付ければよいだろう。
 運命。
 宿命とは違う。己のやってきた道を信じ、そしてその果てに在り方や生き方に染み着いて離れなくなるモノが「宿命」だ。過去の過ちから宿命に追われる者もいれば、過去の積み重ねから宿命に取り立てようとする者もいる。私は後者だが、とにかく人間の意思で動かせる者が宿命だ。
 だが、運命は違う。
 もし、運不運で全てが決まり、あるいは人生の終わりまで、報われるか報われないか、幸せになれるのかなれないのか、勝利するか敗北するかが「決まっている」のだとすれば、我々の意思も、執念も、積み重ねてきた時間も、全てが意味を無くすだろう。
 あくまで仮定でしかないが、もしそれらを変えることが出来るのが「神」のみなのだとすれば・・・・・・・・・・・・人間は信仰心からではなく、ただ自分たちの「悪い運命」を変えられる神に媚びを売っているだけじゃないのか?・・・・・・人間は「自分たちに訪れる悪い運命」を「良い運命」に変えて貰うために神を信仰して救いを求める。だが、そもそもが運命を切り開く力を神とやらが独占しているだけならば、それは信仰と呼べるのだろうか。 その答えはもうじき出る。
 だが、「答え」を人間の執念で出したところで「結果」が伴わなければ空しいだけだ。結果が出なくても仮定に価値があるなどとは言わせない。例え相手が神でもそんな「汚らしい綺麗事」で私の人生を済まされてたまるか。
 心が乱れた。
 やはり、緊張、というか不安があるのだろう。私の本の売り上げがどうなっていくのか、いままでの総決算、私の魂を形にしたものが結果を出せるのか? そのことばかり最近、考えていたからな・・・・・・。
 聖人の遺体、か。
 それがもし、そういった不条理な運命を覆すものだとすれば、忌々しい限りだ。人間はそういうモノに、神の加護みたいなモノに頼らなければ、幸せになってはいけないし、何より前提として、加護がなければ幸福の権利が無い、ということになる。
 幸福になりたいという意思に権利は必要なくても、実際に幸福を手にするには結果が必要だ。
 だが、結果を求める道筋には「不条理」が待ちかまえているものだ・・・・・・そして不条理とは、努力や人間の意思などお構いなしに、全てを奪っていってしまう。
 打ち勝ったところで、また別の不条理がある。 まぁ人間が打ち勝てないから「不条理」と呼ぶのだろうが・・・・・・もしその「不条理」を覆せる力が、人間の意思ではなく、神の奇跡のみだと言うのならば、我々は神の奴隷になるしかないのだろうと、私は感じた。
 私は今レストランにいるので、何か注文を出さなければならないのだが、あまりそういう気分になれなかった。カプチーノ単品を頼む人間は珍しいのか、露骨に嫌な顔をしなかったが、客商売としてはやや問題のある態度を取られた。
 仕方がないので私は新聞でも広げて世情を(私はテレビも何も見ないので、どんなテクノロジーが世に出回っているのか、よく知らない)知ることにした。
 散発的な犯罪、薬物、人身売買、アンドロイドの非合法取引、労働問題、貧富の差、あとは華々しい世界に住んでいる人間たちのニュースや、あるいは平和な国の政治家がまた税金を着服しただとか、そういったものだった。
 科学は発展したが、こういう所は変わらないようだ。少なくとも数十万年前から、あるいはもっと前の地球に人類が住んでいた世界とも、変わらないのだろう。
 搾取する側される側。
 それによって発生するテロリズム、事件、不満や憤り、平和な世界のために寄付をする財団達の自己満足。思うのだが、何故いつの時代でも自分たちの国の労働者から散々搾取して国家規模の金を手にするようになった個人が、まるで「良いこと」をしているかのような顔で善人ぶって、ワクチンだとか食料支給だとかを行うのだろう?
 そもそも、そういう人間がいなければ貧富の差による問題も起こらないはずだし、何より自国民から資本主義を盾に金を巻き上げ、使いきれないほどの金を手にした人間が、自分がさんざん搾取してきた労働者よりも、わかりやすく「悲劇のヒロインらしい」途上惑星、途上国の人間を助けることで「正しい金の使い方」をしたから賞賛すべきだという流れが、どの時代でもある。 
 意味不明だ。
 彼らは分かるつもりもないし、自分たちは正しい善良な人間だから、関係ないと思うのだろう。だがそもそも資本主義では、所謂「文化的な」生活というモノは、「文化的でない」人間達の労働無くしては成り立たないものでしかない。
 そういう所謂「文化的な」人間に限って、散々戦争をして殺しておきながら、そんな事実はなかったかのように振る舞い、武力で威圧し逆らえば「仕方が無く」制裁を与えるのだ。
 今回の騒動も、そういう人間達のおかげで起きていると言って良い。
 私は新聞を畳み(目が疲れる)代金を払って神の家への道のりを歩きながら、考えることにした・・・・・・思索にふけるのも丁度良い。私は元々作者取材で来たのであって、この物語に主人公がいるのだとすれば、それは私ではなくあの少年少女二人だろうしな。
 始末屋家業は副業であって、あくまでも私は作家なのだ。作品を書いて金になるのであれば、それに越したことはない。
 歩きながら考える。
 このあたりは科学の恩恵があまりないらしく、昔ながらの街頭があるだけで、天候によっては遭難してもおかしくなさそうだった。昔ながらの田舎風景と言うことか。もっとも、教会もこの世界を維持するために莫大な金を必要としているらしいが。寄付金で計られてしまう教会も、中にはあるのだそうだ。
 信仰には金が必要だ。
 聖人の遺体もそうだが、大昔には宗教を通じて資金洗浄を行う事が大流行したらしい。大昔の歴史を紐解けばわかることだ。今更どうでも良いことかもしれないが、歴史を見る限りそれらを明確に解決した宗教はない。
 いまでも似たようなモノなのだろうか。
 神がいくら全知全能でも、奉る人間は欲望の固まりだというのだから、いかんせん無理な話なのだ。信仰する神は完全で信じるに足るものでも、それを信じる人間にまで同じ要求をするのは無理がある。だが、宗教には完璧以上を求める教えが求められることが多い。
 無いモノを求めたがる。
 それはそれとして坂を上るのは結構体力を消費するので、途中で帰ろうかなと何度も思った。辺鄙なところに立てずとも良いだろうに。だが聖地というのは不思議と世間の喧噪から離れた場所にあることが多い。
 考えている内に歩は進み、神の家、即ち教会へと私は再びたどり着いた。
 中には相変わらず女がいて、それは以前も会ったシャルロット・キングホーン女史だった。
 相変わらず何かに祈りを捧げている。
 何を祈るのだろう?
 偶数崇拝とか言う、要は本物ではないのだが、神を模したレプリカに、彼ら彼女らは祈りを捧げる。神に見守って貰うことを祈る人間が多いらしいが、見守られるだけでは何の役にも立たないのではないだろうか。
 役に立つ立たないではなく、尊敬し祈りを捧げることが大切だ・・・・・・などと言われても、そんな意味の分からない理由で納得できるわけがない。「また来ましたね。答えは同じです」
「実は」
「お断りします」
 まだ何も言っていないのだが。
「彼は確かに大切です。ですが、私には使命があります」
「使命だと? 誰かその辺の人間に「聖人」になれるからと、だから信者の役に立たなければならないと、思いこんでいるだけだろう?」
「・・・・・・確かに、そうかもしれません。ですが、私がどうあれ「選ばれた」以上、責任があります・・・・・・他の信者を導くという、役割があるのですから、彼には答えられません」
 正しい。
 だが、間違っている。
「それは違うな」
「? 何がですか。神のご意志は絶対です。違うことなどあり得ません」
「そうではない。「選ばれた」と言ったな。まぁ世の聖人は大体そうなんだが・・・・・・だが、選ばれたところで、そこに責任はない」
「何ですって?」
「仮に、おまえが聖人に選ばれたとしてだ・・・・・・聖人に選んだのはその「神」の都合でしかない。神であれ、崇拝の対象であれ、お前自身じゃないだろう?」
「それは、確かにそうですが」
「自分のことは、自分で決めなければならない。神に選ばれたとしても、だ。栄誉かもしれないがまず、「断るか」「断らずに受け取るか」を選ぶ責任があるのではないかな」
「そんな、これほどの栄誉を蹴るだなんてあり得ません。そんなのは神への冒涜でしょう」
「何故だ? いいか、よく聞け・・・・・・・・・・・・神が、まぁ私は神を信仰してはいないが、仮に全知全能の神がいて、人間を作り、神を信仰するのが何よりも正しい善行であり、この世のルールだとしてもだ。神は絶対かもしれないが、神のやることは絶対ではないんだよ。事実、その神は何回も反乱を起こされているだろう?」
「起こす側が間違っていたのでしょう」
 辛辣にそう言いきった。こいつは重傷だ。
 神の絶対性を信じすぎている。
 信じるのは勝手だが、盲信するのはただの依存でしかない。信じる相手を敬い、かつ間違っていると感じるのならば道を正す。
 これは人間同士でもよくあることだろう。
「そうかもしれない。だが、お前はその神ではあるまい。神の意思を計れない以上、神の正しい行動を盲目的に信じたところで、意味はない。理解が及ばない以上我々に絶対的に正しい道など有りはしないのだ。己を信じて結果を待つくらいしか人間に出来ることなど、しれている」
「ですが、事実私は選ばれました。選ばれた以上それに従って行動することは、間違いないはずです」
「もしかしたらお前達二人の中が余りにもまどろっこしいから、早くくっつけるためにしたかもしれないじゃないか」
「そんな馬鹿な。貴方の言っていることは無茶苦茶も良いところだ。神がそんなことをするわけがない」
「何故? お前にも、私にも、神自身以外に、神の意志など計れまい。だから、どうとでも解釈は出来る。お前は神に選ばれたという解釈が気に入っただけだ。何せ光栄な事だからな」
「・・・・・・何ですって?」
 声が怒気を帯びてきた。
 これだから女は面倒なのだ。神々でさえ「女」という生き物に翻弄されて、尻に敷かれた神話は結構あるというのだから、親近感のある話だ。
「そんなもの、そうに決まっているではありませんか。神は我々を見守ってくれている。ならば聖人に選ばれた者は、他の信者を導くために選ばれるのが、当然です」
 そんな当人達の私利私欲のために人を選び、生別することなどあり得ない、と。
 私からすればそこに「人間」が絡む以上、私利私欲のない結末などあり得ないとしか思えないがしかし、これ以上怒らせるのも面白そうだが、まぁ黙っているとしよう。
 女は怒ると、神よりも災いを呼ぶ。
 そう言う意味では女の神とは、いや、これは危険な考えだ、やめておこう。
「信者を導くことと、女の恋心は関係あるまい。選ばれたと言って、その責任があるなどと大仰なことを言う割には、お前はあのうじうじした男を好くことが出来ていないではないか。自分に惚れた男の面倒もみれないのに、どうやって信者の面倒を見られるのだ?」
「・・・・・・私は」
「責任があり、義務がある、か? しかしそれらと個人の望みは本質的に別物だろう。神とやらが直接恋愛禁止令を出したならともかく、別にそうではあるまい。神を信じるに足る立派な人間であろうとするあまり、気遣いが出来なくなっただけだ」
「し、しかし現実問題私は「聖人」になることを求められています。それは、私個人の意志とは関係がないことだ。私が役目を放棄すれば、それが原因で救われない信者が出てしまう」
「お前は、いうほど神を信じてはいないのか?」「どういう意味ですか?」
 返答次第では殺す、みたいな剣幕だ。
 だが、私は遠慮なく言った。
 そうでなくては、話が進まない。
「神が全能なら、お前の手助けなど無くても救ってくれるだろう。それとも、お前達の信じる全知全能の神は、聖人候補が一人、人間として当たり前の幸福を享受したくらいで、人間を救うことをサボるような奴なのか?」
「そんな訳ないでしょう! ですが、いや、しかしですね」
「まぁ、依頼を受けた以上私にも仕事がある。だから私が次にここにくるまでに、せいぜいあの男といちゃついて押し倒しておけ。貴様に出来る事など、せいぜいそのくらいだろうしな」
「い、いえ、待ってください。神に愛する事を我々は義務としています。そこに恋をすることは、神への裏切りにはならないのですか?」
 妙なことを言う女だ。
 別種のものだろうに。
「愛は無限にある。それこそ人間の数だけな。愛というのは幸福の形だ。恋というのは幸福を求める人間の意思だ。どちらも私にはあまり縁がないが、言えるのは、愛も恋も、神でさえ当人でなければ口を出す権利はない。もし口を出すような無粋な輩なら、そんな奴は神でも何でもない「人間のエゴ」そのものだろう。恋は祈りであり、愛は幸福だ。しかし幸福は人の数だけ存在し、愛もまた無限に存在する。当人達の中にだけある幸福に対する答えこそが、愛だろうさ」
 知ったような口を利いたが、これが正しいかどうかなんて私自身すら知らない。読者を惑わすのが作家の仕事であって、答えを出すのは読者の仕事だからだ。
 それが何であれ、答えを出すのは当人だ。
 神ではない。
「待ちなさい」
 言って、彼女は私を引き留めるのだった。
 だが、私は殆ど逃げるように、その場を離れた・・・・・・暴力的手段に訴えられてはたまらないと言う気持ちもあったが、思いの外神が狭量な存在で私に目を付けたりしたら、たまったものではないからな。
 私はとりあえず、言うことは言ったので借りているホテルに引き返すことにした。

   6

「よぉ、先生。女はどうだった?」
 我々はホテルのバイキングスペースにいた。調理場はほぼ全自動で、アンドロイドと人工知能の共同作業だ。人間はほぼ見あたらない。
 国策として大概の国は「機械を使用した労働の効率化」を進めている。この方法が「効率化」を進め、当然ながら人間の労働を奪い、管理は雑になり自然を破壊尽くしたことは言うまでも無い・・・・・・・・・・・・私の経験から言える言葉を述べよう。結果が出ないのは問題だが、結果を急ぎすぎると大概ロクな事にはならない。勿論、結果が出ないのは論外だ。積み上げたモノに対して積み上げた以上の報酬がなければ、何のためにやったのか分からないだろう。問題なのは人間の手を放れて数値ばかり見ることだ。労働もそうだが数値ばかり見ていると実体を計れない。非雇用者の地獄を見据えないから問題になる。それも、もみ消した後になって、「実は商品に欠陥があった」などと申し訳なさそうに謝られても、いい迷惑だ。
 農業も完全に機械が管理するようになったが、実際に土も触ったこともない人間がオーナーを勤める小麦産業は、害虫駆除のための薬漬けにしすぎて、もはや機械のオイルから出来ているのかと思えるくらい、人体に問題のある農作物ばかり出回っている。
 機械を使えば安いからだ。アンドロイドに高い報酬を与えない企業家は多い。この辺りは、大昔からの繰り返しだ。
 奴隷から他国の植民地に切り替え、そして発展途上国に切り替え、まぁそれの繰り返しだ。
 繰り返してばかりで、人間は成長しない。いや人間個人が成長しようが、社会構造に関しては、ここまで科学技術が進んだにも関わらず、何百万年も前から同じままだ。
 今回の事件も同じだ。
 教会の体質、あるいはそれに連なる人間の「保守的で盲目」の体質が変わらないまま、だからこそ「聖人候補」などというモノを求めている。
 社会も宗教も、進化はしても進歩しない。
 前に進む人間の意思は、なかなか億劫なモノらしい。
「顔を見れば分かるだろう。無駄足だった」
「そうは見えないね」
 ジャックは知ったように言った。
 しかし・・・・・・笑える話だ。
 幸福だの愛だのと言った可能性が0から存在しない、私のような非人間が、少年少女の色恋を応援し、理不尽を打破するために依頼を受けるとは・・・・・・見せ物も良いところだな。

 作家とは、何だろう?
 
愛も恋も下らないゴミでしかないどちらも元は
「都合の良い相手が欲しい」という欲望だ。夢も希望も幻だ。そんなもの、世界の果てまで探したところで、どこにも有りはしないものだ。
 そう、白状しよう。 
 私の世界には何もない。
 夢も希望も安らぎも、愛も恋も友情も勝利も全て、手にしたところですぐ消える。あったところで、私の世界からは消え失せる。
 私の世界には何もない。
 全てが全て、消し去られるモノでしかない。だが・・・・・・もし内なるこの「何一つとして存在し得ない世界」にあるモノがあるとすれば、それは人間の意思だろう。
 人の意思、だが、例えば私は作家として、意志を貫きここまで来た・・・・・・しかし、それに意味はあるのだろう。だが、価値はあるのか?
 価値がなければ、空しいだけだ。
 価値を伴わないモノが人の意思だとすれば、私の内から人間の意思は、全ての輝きを、完全に失うだろう。
 内にも外にも「何も無い」それが真実だとすれば、全てに価値は無い。ただのゴミだ。
 そうでないなら、そこに光は灯るのか?
 人間の意思が、美しくはあっても、意味があっても価値がないのならば、人間に意味はない。所詮全ては自己満足、それが世界の在り方だ。
 だが、

 そんな世界は、つまらない。

 善し悪しではないかもしれない。私には、どうしてもつまらないのだ。つまらないなら、終わらせるべきではないのか? 価値がないなら、それは惰性の物語だ。そんなもの、私の方から願い下げだ。
 それでも世界は美しいかもしれない。だが、私にはそんな美しさ、価値も意味もない。
 世界の都合など知らない。
 私はただ、ただ、なんだろうな。私は意外と子供っぽいのだろう。混ざれなかった腹いせに、私はそれ相応のモノを求めた。
 だが、そんなモノはなかった。
 あったところで、同じだろう。
 私は魂を物語に閉じこめた。だが、それで感動するのは私ではなく、読者の方だ。私には売り上げ以外、何の関係もない。
 私は求め続けた。だが、この世界には求めるほどのモノなんて、初めから無かったという事なのだろうか・・・・・・・・・・・・。
 答えは、まだ完全には出ていない。
 だが、じきそれも明らかになるだろう。
 事実として、この世界は残酷だ。「事実」でしか世界は計れない。それらしい言葉など耳障りで役に立たず、それこそ、幻、意味も価値も無いガラクタのような言葉だ。
 私の言葉に力があるか、それは私の計ることではないし、どうでもいい。私は、事実として計れる結果が欲しい。
 悪か善かなど知らない
 どう見られても構わない。
 目的を前にさまよう亡霊の真似事など、ばかばかしいことこの上ない。私は、
 私は、この世に産まれたい。
 私は死人だ。心もなく人格も借り物で、夢はつなぎ止めるためにすぎず、野望は自分のためだ。 「結果」が伴い、まだ見ぬ「人間としての幸福」を手に入れることで、私は初めて「産まれ」ることが出来、そして「生きる」事が可能になるのだ。そこから、私は前に進みたい。
 それこそが、人間ではないか。
 それでこそ、人間のはずだ。
 それこそが、人の意思が成す奇跡だ。
 大げさかもしれないが、やり遂げるか、あるいは初めから存在しないかのニ択しかない。
 私は少年少女の恋愛喜劇から、何かを得られるのだろうか・・・・・・・・・・・・。
 何にせよ、人の心が、その繋がりが「何よりも正しい答え」だとしたところで、手に入らないのであれば目障りなだけだ。
 適当に夢を見て、適当に使い捨てる。それ以外に何の道もありはしない。
「先生、おい先生ってば」
 声がした方をふと見た。少し、気を取られていたようだ。
「大丈夫か? 全く」
「何でもない」
 何にもならない、の間違いかもしれないが。
 ふと、化け物を見た。私は慎重にゆっくりとそれを見た。そこには鏡があり、私は笑って、いや口を広げて幸福を口にしようとしていた。
 腹が減っていそうな顔だった。
「・・・・・・いずれにせよ、邪魔さえ入らなければ簡単な話だろう。どれだけ背景が大仰であろうが、少年少女のつまらない物語だ。つまりどういう邪魔が入るかが問題だ」
「やっぱりそうなるのかね」
「当然だろう。「聖人」だぞ。宗教においては象徴であり、自分たちの見栄や誇りの拠り所になるものだ。私なら、始末屋の一人や二人、躊躇はしない」
「言っても、隣人を愛する組織なんだろう? 俺には宗教はなじみがないが、隣人を愛するなら少年少女の愛を応援しても、良さそうなものだが」「違うな」
 と私は断定した。
「連中の愛は、「隣人を愛する神に認められた姿勢そのもの」にある。実体はどうでも良くなってきているのさ。神の認める「素晴らしさ」あるいはその基準に従う姿勢を神そのものに「誉めて貰いたくて」やっている。そこに隣人を慈しむ心など、あるわけもない」
「熱心になりすぎるのも考え物だな。神を愛しすぎるあまり、神を崇めるあまり足下が見えないんじゃあ、本末転倒だろうに」
「人間とは、そういうものだ」
 結果を生き急ぐのは、当然のことだ。
 それというのも、この世界は努力をしたところで報われるかどうかは運不運、人間の手とは関係のないところにある。だからこそそれを手助けしてくれるであろう神に、人間は必死に祈るのだろう。祈ったところで何があるわけでもなさそうだが、しかし、それ以外にやれることもあるまい。 未来とは見えないものだ。
 そこに希望を持てればよいのだが、生憎この世界は優しくもなく残酷だ。この世界そのものに対する信頼度が、人間にはもうないのだ。少ないのでは無くないのである。信頼も信用も金と同じ、引き出し続ければいつかは枯渇する。
 人間はあらゆる残酷さを持って、この世界に嘆きをばらまいた。既にこの世界に「希望」だとか「夢」だとか「平和」だとかを望む、それに値する「信頼」や「信用」を、この世界は失っているのだ。
 だってそうだろう?
 私が寄っているこの惑星にも政治はあるが、誰も期待はしていない。ただ単に政治をする権利を持つ金持ちが、政治をしているから遠巻きに見ているだけだ。世界へ埋めや希望を求める心も根底はこれと変わらない。
 世界は残酷だ。
 そして残酷が過ぎただけだ。
 もう人間は誰一人として希望を心に持ち合わせてはいない。科学が発展し、アンドロイドが自我を持って尚、世界は残酷だったのだから。
 結局は持つ人間が勝利する。
 持たざる者では勝てない。無論、そういう人間が勝利を収めた「革命」は過去にあっただろうが・・・・・・「奇跡」というオプションがなければ、知恵や策略を労すれば労するほど、無駄になる。
 簡潔に言えば皆諦めたのかもしれない。結局はこの資本主義社会において、あるいは神を信じる宗教社会においてすら、「持つ者」か「持たざる者」かで勝敗は決まる。少なくとも、持たざる人間が聖人認定は受けないだろう。
 人に施しを与える人間だからと反論するかもしれないが、それも結局の所「運良くそれを認める人間達がいた」だけだ。何事においてもそうだがそれを認める存在と、それを祭り立てる存在が必要なのだ。
 そしてそれらは運で決まる。
 世界は公平かもしれないが、平等じゃない。だからこそまぁ、聖人などという奇跡がもてはやされるのだが・・・・・・
 話がそれたが、要は神を信じたところで「結果」がどうなるかは誰にも分かるまい。救われるのか救われないのか、それが分かるのは神だけだろう。
 どんな行いをしても救いがあるのか分からないならば、その可能性を上げようとするのは当然だろう。それが「聖人」というわかりやすい奇跡の正体だ。
 聖人ならば救ってくれる、と。
 勝手に期待を寄せた結末が、過去そうであったように、戦争を起こして人を殺してでも聖人の遺体を確保する、という人間らしい所行だ。聖人は素晴らしいかもしれないが、それを手に出来るのは争いに勝った側だというのだから、全く持って三流の喜劇だ。
「人間は聖人を求める。そこに救いがあると信じているからだ。だが、救いの幅は有限だ。聖人であろうとも、あるいはその遺体であろうとも、何処か遠くの関係ない奴は救ってはくれない。事実世界一有名な聖人は、生きている最中に人を蘇らせ救う奇跡を見せたが、別に関係ない場所の人間は何人死のうが救ってはいない。事実として神の救いは有限だと、あの逸話は裏を返せばそう言う意味でもあることに、無意識ながら皆気づいているのではないのかな」
「だから、取り合ったり0から作ったりしているわけか。難儀だな、人間って奴は」
「全く同感だ。だが、神がいるのかどうかはしらないが、もし奴らの信じる全能な神がいたとしてだ・・・・・・・・・・・・中途半端に救ったそいつにも、罪はあるのだろうな。なまじ奇跡を起こし、救ったは良いものの、全ては救えなかった」
「神は全能なんだろう? なら救えないのか?」 もっともな疑問だ。
 神が全知全能ならば、全てを救ってしかるべきだ。しかしそれはあり得ない話なのだ。
「全能であれば尚更だろう。大体が信者でもない奴らを救う神などいはしない。いたとして、そうだな。全てを救うと言うことは、この世の悪徳すらも救うと言うことだ。私には「救い」が何なのか漠然としているが、しかし奴らの信じる神にはルールがあり、罰もある」
「自殺がダメとか、そういうやつか」
「そうだ。神の基準で裁かれるならば、そこに人間の救いなど初めからありはしない。事実なら、それは神に従順に従い、教えを守った子羊だけだろう? 結局の所自分に従わない人間は救わないし罰を与える。どこの神話もそうだが、神は敵対した奴は必ず滅ぼしてしまう。人間には罰を与える。敵対した奴は滅ぼし、従うものには天国を与える。そら、救いなどあるまい。人間が人間を法に従って殺し、裁くことは暴君だという。神がそう言われないのは同じ事をやっていても、逆らえる存在がいないからに過ぎない」
 ただ能力がある存在が上に立っているだけだ。 独裁と何ら変わらない。
 どんなルールであれ、そこに救いがあろうが無かろうが、結果としては同じ事だ。
 神がいたとして、それに気づいたりするのだろうか・・・・・・・・・・・・それはないだろう。能力がある存在というのは省みない。これは人間も同じだ。 もしそう思ったとして、反省されても迷惑な話だ。いままで散々好き勝手していた暴君が、心を入れ替えたところで、最初からいなければ、そんな迷惑を被ることもないだろうしな。
 もっとも、神がそうであるかは分からない。
 前にも考えたが、別に神であるからと言って、能力は高いかもしれないが、自我は一つしかあるまい。複数あったとしても、考え、悩み、苦悩して尚前に進む心があるかどうかは、断定は出来ないだろう。
 どんな気分なのだろう?
 自身が作り上げた人間達が勝手気ままに救いを求め、そして救われなければ文句を言い、救いがあっても足りないと言う。こうして考えると、割に合わない生活だ。
 神が人間を見捨てたところで、別にそれは神の問題なのだから、我々人間の関知するところではない。
 神が罰を与えたところで、能力ある存在が能力のない存在を自身の都合で蹂躙するのは、動物と変わるまい。どんな崇高な理由、信仰、高潔さがあろうが、裁かれる側、悪と断定される側からすれば、そんなものは身勝手な正義にしか写るまいということだ。
「神は偉いのかもしれない。まぁ私よりは偉いだろう。全能で先を見通し、人間の未来を考えているとしよう。我々ではその考えを知ることすら罪深いと仮定しよう。だがそれでも、その正しさは当人の都合に過ぎない。神が絶対的な存在であろうが、それは変わるまい」
「先生は何でも「個人」として捉えるんだな」
「事実だからな。事実は事実として考える。神がいたところで、その考えが正しかったところで、その正しさを認めない、下らないと思う存在はいて当然なのだ。それを認めないで、神は絶対だと信じ込み、世界中に教えを無理強いしてきたのならば、それは間違いなく巨悪だよ。その辺りの殺人鬼では、及びもつかないくらいにはな」
 事実そうだろう。
 宗教を巡って人間は何度も何度も戦争をしてきたが、後から平和になったところで、人を殺して信じさせたという事実は変わるまい。
 神が絶対だったところで、他ならぬ神自身だって罪人であることには間違いがないのだ。神にそぐわない悪魔を殺し、戦争に勝利して支配体制を築いた神ならば当然だ。戦争を経験しない神など殆どいまい。位が高ければ高いほど、神は戦争を起こして勝利することで「正しく」あった。
 神が全知全能であるかもしれない。だが全知全能であったところで、清廉潔白であるというのはあり得ないのだ。いや、むしろそんなことはあってはならないことでしかない。だが、少なくとも人間は神に「絶対に正しい」ことを望む。
 神がいるとすれば、だが、むしろ私は心中を察し、お悔やみ申し上げるだろう。人間の勝手な期待に答え、戦争を起こしてでも政権を守り、邪魔者を殺し、しかし「神は絶対だ」と言われ完璧に清廉潔白な存在であることを要求され、全てを完全に救うことを求められる。
 肩がさぞ凝りそうな話だ。
 完璧に清廉潔白な存在、そんなものがあったとして、それがなんだというのか・・・・・・悪性のないものである以上、悪性の元となる自我は当然与えられず、戦争を挑まれれば良いように蹂躙されるという事だろうか。
「親が子を愛するように、神は人間を愛し、慈しみを与えているとしたところで、我々はペットではないし、聖人の遺体、死して尚利用される彼らと同じ、人間の信仰心に利用されているとしか思えないな。労働で言うところの「やりがい搾取」と対して変わらない」
「先生は卑屈だな。それは支え合って生きているとか、そういう考えでいいじゃないか」
「事実だ。むしろ私は楽観的だぞ。この世界は何一つとして期待できるものは存在しない。全てが全て、ガラクタだ。愛も希望も嘘でしかない。嘘で話を盛り上げ、この世界が素晴らしいものであるかのように演出する、作家という生き物が前向きでないわけがない」
 少し沈黙し、ジャックは、
「嫌な性格してるな。先生」
 と言った。
「お互い様だ」
 私はコーヒーを煎れ、飲んだ。この世界には価値も意味も無いかもしれないが、コーヒーの味の良さは認めても良い。
 やはり豆で挽いて良かった。
 味が違う。
 コクも違う。
 コーヒーに神がいるのかしれないが、個人的に感謝してやってもいい位だ。
 無論金など払わないが。
 払ったところで、神が役に立つかどうかは微妙な話だ。
「最大多数の最大幸福の悪だな。人を救うと言うことは、自身を救わないと言うことだ。事実、聖人の末路は悲惨の一言につきる。それを無視してやれ奇跡だの救いだの、よくまぁ恥ずかしげも無く求められるものだ」
「あんたみたいな非人間が言うと、奇妙な説得力があるな」
「私のような人間に指摘される時点で、手遅れの気はするがな。私のような人間が指摘せざるを得ないほどに、悪化してきていると言っても良い」 愛にせよ恋にせよ人間の幸福にせよ、眺めるのが楽しいのであって実際には疲れるし、争うし、い事は何もないと言うことか。
 やはり金だ。
 この世に、事実として大切なもの、大切にするべき価値のあるものは金くらいだ。金そのものがどうと言うよりも、利便性の高い金に比べて、恋だの愛だの幸福だのと言ったものが、大層な呼び方に反して中身の無い、空虚で無価値なものであるという事実がそうしているのだろう。
 事実、愛にも恋にも価値はない。実体は燃えないゴミより使えない無価値なモノだ。それが美しいと、大げさに嘘をついて世間が言い触らしているに過ぎないモノだ。
 崇高な愛も、
 情熱的な恋も、
 人間の間違いだ。
 そんな心は、間違えている。
 この世界にそんな美しいモノは存在しない。だからこそ作家というばかげた仕事が成り立つのだから。
 もし、こんな最果ての世界に「美しいもの」があるとするならば、人間の意思の向かう果てだ。 人の意思。
 人はそれを理想と呼び、執念と称え、あるいは信念だと声高に叫ぶ。
 人間に価値を求めるのならば、精々そのくらいしか、お前達には輝くものなどありはしない。
「聖人の遺体か。それそのものには意味はなく、結局の所どう扱うかが、重要なはずだがな。まぁ本質を見失い、肩書きに目をくらませるのはいつの時代も変わらないと言うことかもしれないな」
 そんなことを言って、私はコーヒーを飲みながら菓子パンを摘んだ。皮が餅で出来ており、何とも言えない奇妙な触感だった。

 椅子に座って、考える。
 これからどうするのか、いやそれは決まった。十中八九あの二人の恋愛を邪魔する人間は送られてくるだろう。そしてそいつは私を始末しようとするはずだ・・・・・・聖人にならず、小娘としてあの少女が人生を満喫しても、教会側からすれば何一つとしてメリットはないわけだからな。表向きどう言うかは建前であり、実際には人間一人の幸福を潰すことで「聖人の遺体」を得られるのならば「欲しい」と言うのが本音だろう。
 世の中そんなものだ。
 とにかく、対策を考えなければ。既にいくつか案はあるが、今後あの二人がどう動くかでこちらの動きも変わってくる。とはいえ、問題は一つしかないのだから、そこを解決すべきだろう。
 自身では釣り合わない、自身のような人間が隣にあるべきではないと言う青年。
 自身には使命があり、その使命の為には個人の幸せなどあってはならないと信じる少女。
 要は、それだけの問題だ。
 彼らの心が問題なのだ。心の問題を私が解決するなど笑える話だが、これが作品のネタになることを祈るばかりだ・・・・・・などと、祈る相手もいないのにそんなことを考えても仕方あるまい。
 どうするか。
「ジャック、お前なら、どうする?」
 人工知能は恋愛をするのだろうか? 少なくとも電脳アイドルに夢中にはなるらしいが。
「何言ってんだ、それが楽しいんじゃないか」
「どういうことだ」
「現実問題、恋愛は実らないだろ? 実るかもしれないと夢を見ている瞬間が楽しいのであって、実際に結婚したりすれば、折り合いがつかなかったりして、あっさり別の人間を捜したりするんだから、別に、今回の二人を無理にくっつける必要は、無いんじゃないのか?」
「確かにな」
 恋も愛も、当人の思いこみに過ぎないものだ。 現実という刃の前では、何の力も持たない。現実の前に力を持つのは金だけだ。人間の意思とかそういう小綺麗で美しいモノは、大概が何の役にも立ちはしない。
 しかしここで問題が一つある。
 私が作家だと言うことだ。
「そうしたいところだが、そうもいかんさ。何しろその愛だの恋だのと言ったモノがどういう答えを出すのか? それは私の眼鏡にかなうものなのか? それを知るために今回の下らない依頼を受けたわけだからな」
 あの自称「縁結びの神」にいいように使われた感じも否めないが、とにかく、私が作家である以上、人間の出す答えに対する興味は消すことが出来ないものだ。
 私は善意で動いているわけでもなければ、正義の味方でもないし、まして主人公でもない。
 主人公がいるとすれば、それはあの陰気な青年だろう。
 私は作家だ。たとえ周囲がどれだけの悲惨にまみれようが、作品のネタになり、そしてそれが売れれば何の問題もない。そう言う意味ではまだ情報が不足している。いくらなんでも、まだ手を引くには早すぎる。
 引いたところで、始末屋も待ってはくれまい。 少年少女は恋愛に、あるいはその愛とやらに一体どういう答えを出し、結末を導くのか? 駄作の臭いしかしないが、少年少女の恋愛など、あるいは愛などその程度のモノだ。
 考えても見ろ。
 恋は悲劇に終わり、叶わない思いを願い続ける物語だ。
 愛は届かず、報われない怪物の悲劇の物語に過ぎない。
 愛も恋も、物語としては三流だ。
 そんなつまらないモノを何故。私が題材として取り上げるのかと言えば、売れるからだ。ありもしない理想の恋愛、嘘くさい奉仕の心から生まれ出る愛の奇跡。そんなモノを人間は好んで読む。 現実にはそんな美しいモノは、存在しないからだ。いや、存在はするが、所詮人間の欲望に過ぎず、自身にとっての都合の良い存在を求める心に間の恋だの、小綺麗に言葉でまとめただけだ。
 愛とはそう言うものだ。
 恋とてそう言うものだ。
 だが、どんな形であれ、それが悪であれ、人間が人間の手に余るモノを求め、そのために道を切り開くとき、それは最高の物語になる。
 私には人間の「前へ進もうとする意思」こそが、尊い光に見える。だが人間の意思は報われないものだ。
 前に進んだところで、結果がなければ意味は無く、価値もない、そんなのは三流の悲劇でしかないものだ。
 人間の意思は力を持つのか? 未来を切り開く意思は現実に奇跡を起こすのか? それを知るための良い研究材料になるだろう。
 愛こそが最強の力であるのなら、その結末は必然であるべきだ。そうでないなら、見立て通り大したことのない人間の思いこみを美化したものという答えこそが、事実となる。
 私は実利さえあれば、彼らの行く末に興味もないしな・・・・・・精々稼がせて貰うとしよう。
「行くのかい?」
「ああ、とはいっても、少し外を見て回るくらいだが」
 今のところ、手がかりとっかかりはあまりないのだ。急いだところでどうにもなるまい。
「お前はそこで電脳世界のゲームにでもジャック・インしていろ。私は尾行者の調べがてら、作者取材にいく」
「お得意の人間観察か。すきだねぇ」
 見送る声を後目に私はドアから外へ出た。
 ホテルのフロントに鍵を預け、それからロビー内部で土産物だとか、特産品だとかを物色することにした。カフェスペースもあるし、また今度ゆっくりしていきたい。
 土産物を適当に見てから、すぐ外に出ることにしよう。そう考えて私は骨董屋(地球に人類が住んでいた頃のモノを、販売していた)に立ち寄ることにした。
「なんだこりゃ・・・・・・」
 そう思って手に取ったのは、お守りらしい人形だった。どこかの部族の信仰する神か何かなのかはなはだ不気味な姿だ。
 チップで購入し(現金取引は違法だ。大抵は脳内にチップを埋め込んでいるが、私は手渡しだった)外へと出た。
 お守りの人形はポケットに入っている。手を突っ込むところに入っているから邪魔で仕方がなかったが、とりあえずはこれで我慢した。
 そうして、私はホテルを出て、外を歩くのだった。

  6

 社会的背景。
 それはいつの時代にでも合るものだ。
 科学が労働をこなし、人間の価値観は「金」と「生まれ」そして「信仰」の三つに分類されるようになった。選民意識、という古く感じられる概念が復活したのは、アンドロイドというわかりやすい人間の奴隷が出来たことと、才能をデザインする事が可能になり、特権階級には常に優れた才能、優れた資質、優れた教育が集中するようになったからだ。
 いつの時代も変わらない。
 特権階級が肥え太るのは大昔から続いている。民主主義国家は「解決に向かっている」気分になることで問題を放置し続け、教会組織は「人類皆平等」という嘘くさいスローガンを掲げて何一つ解決はしなかった。
 実際、お題目を唱えて自分たちが困難に立ち向かい「解決している気分」になるのは勝手だが、政府も教会もそんな「ごっこ遊び」に集めた金を使い果たすというのだから、どちらも民衆の役に立たないと言う点では同じだろう。
 彼らは共通して「理想」は「立派」だ。だがそれだけでしかない。現実に何かを変えるのに必要なのは民衆の総意もどきでも、神の愛でもない。 資本主義社会において、何かを何とかしたいなら、そこには金が必要だ。
 貧民を救うのも。
 革命を起こし圧政を止めるのも。
 愛を説き、人々を救うのも。
 金がなければ汚らしい絵空事でしかない。私は今貧困街に来ているのだが、神の愛よりも金を使って食べ物を配り歩いた方が早そうな風景だ。
 建物は崩れ落ち、住む人間は死体か、獣じみた人間だ。こんな世界で、貧困という誤魔化しようのない世界では、綺麗事は通用しない。
 貧困に限らない。
 現実の残酷さの前では、政府の言い訳じみた方針も、教会の役に立たない神の愛も、等しくただの嘘八百でしかないのだ。
 現実とはそう言うものだ。
 チャリティというのか、そういう団体を見かけることもあるにはあるが、そもそもが豊かな国が繁栄するから貧困や差別が横行するのであって、豊かさを振りかざした人間がやったところで、何の説得力もない。かれらはただ「善行をしている自分自身」に酔っているだけだ。
 私の場合、運不運に関係あるのかと思ってそれなりの金額を出すこともあるのだが、何人私の金で救われようと、それによって私自身が救われたことなど一度もない。無意味だ。豚に餌をやっているのと変わらない。
 それが事実だ。
 いずれにせよ世の中は「因果応報」とは行かないものだ。悪行を働こうが、時代の法律によっては殺人こそが武勲になり、誉められる。あるいは殺戮兵器の基礎理論を書いたところで、被害者ぶれば咎は及ばない。
 あの世があるとして、そういう「生前の悪行」を裁く存在がいるから神の目は誤魔化せない、と言う輩も多いが、人間なんて生きているだけで罪悪ではないか。自然を壊し。動物を殺し、好き放題に他社を傷つけ、寿命が終わればほったらかしたまま消える。
 それとも、人間は人間の勝手な倫理観にさえ従っていれば、あるいは神とやらに媚びを売り、神のルールを破らなければ、何をやっても良いとでも言うつもりだろうか? 
 神のルールがあったところで、人間を裁く理由にはならない気もするが・・・・・・何にせよ、大して善人でもない、むしろ非人間の極みである私のような作家がこういうことを考えさせられるのだから、世も末と言うことか。
 作家とは因果な商売だ。
 こんなこと考えない方が気楽で幸せだろうということを、考えなければならない。
 考えた上で答えを出し、読者に問いかける。
 読者がどう取るかは分からないが、それが悪であれ善であれ導くのが、物語と言うものだ。
 町を歩いていると、意外な風景がいくつもあるものだ。まずこんな世界でも出店は出ていることだろう。無論、仕切っているサイバーギャングなりがいて、ならず者のサイボーグ達に、彼らの部品代として売り上げの半分はかっさらわれるのだろうが。
「一つくれ」
 そういうと、結構な金額をぼられることになった。まぁこういう場所では無闇に金の問題で揉めるのは得策ではない。もめ事を起こしに来たわけではないのだ。だから平和的に金額交渉をし、そこそこの妥協点で支払うことにした。
 恐らくは定価より高いだろうが、まぁ良いだろう。こういうのは雰囲気を楽しむものだ。
 皮に切り刻んだ肉を包み込んだ良くわからない食べ物を食べつつ、考えながら歩いた、我ながら器用なものだ。
 だが、私の食べ物は粉々に飛び散った。
「仕事に邪魔をされたことはあるか?」
 声のみが聞こえる。
 姿は見えない。
「私はね、政府の意向に従って生きてきた。愛国心という奴さ。聖人の遺体なんてモノがあれば、我々は更なる繁栄を手に出来る」
 周囲を見渡すが、人間が多すぎて誰が誰だかわかりはしない。どうする、考えろ、攻撃方法が分からないままではあっという間にやられる。
 肉が弾けるような音がしたが、それは私ではなく、とりあえず盾にしたその辺の人間だった。
「お前、今通行人を盾にしたな?」
 もしかして、何処か遠くにいるのか?
 しかし、遠距離からそんなことが可能なのだろうか・・・・・・例え最新式のプラズマ銃だって、私のサムライとしての能力があれば、反応できそうなものだが・・・・・・。
「それと同じだ。国からすれば全体に救いがあるかのように演出することが大切だ。遺体に力があるのか知らないが、私は国にあの女の死体を持ち帰り、栄光を手にする。それだけが全てだ」
 言って、銃弾のようなモノが飛んできた。前時代の鉄の銃と思ったが、そうではないらしい。
 飛んでいるはずの銃弾が見えないからだ。
 私はとりあえず逃げることにした。とはいえ、相手の能力を解明できなければ未来はない。何かしゃべっていたようだが、私を始末しにくる人間の素性など、考えたところで金にはならない。
 転がり込むように路地裏へと移動したが、しかし私の直ぐとなりにあった鉄パイプが破裂し、破片が刺さるのだった。
「ぐあああっ!」
 痛い、くそ、なんてことだ。慌てるな、おちつくのだ。落ち着いてなどいられるか、いやしかしこのままでは私が始末されてしまう。 
 私はとっさに幽霊の刀を構えた。敵がどこにいるのか分からない現状では、ただの頑丈な棒でしかないが、無いよりは精神的にマシだった。
「何のようだ、誰だお前」
「言ったはずだ。国家の意思のようなものだと考えてくれて構わない。いいかね、聖人の遺体だろうがなんであろうが、我が母国以外が手にするなどあってはならないのだ」
 我々は宇宙の支配者だからな、と傲慢な台詞を襲撃者が吐いてくれたおかげで、大体どこの惑星かは想像がついた。
 プライドだけは高い連中だ。
「いいか? 3秒数える。お祈りでもしていろ」 最悪で覚悟は必要だが、しかし、これで決まったぞ。
 私に逆らう奴は皆殺しだ。それがいけすかない国家の犬なら尚更な。
 私は身体を打ち抜かれる瞬間、身体をひねって傷を表面にとどめた。こんな避け方は一度しか通じないだろうが、これで理解した。
「空気銃」
「なんだと」
「貴様、何者か知らないが、形のない弾丸を撃つことが出来るらしいな」
「それが何だというのだ。分かったところで、私の技術の前には無意味なことだ」
 技術か。
 恐らくは科学で解明できなさそうな、私の刀と同じたぐいのモノかもしれない。人間は人間でそう言うモノを作っていたということか。
 言ってることからして、あの少女を始末して国に持ち帰るため、私が邪魔だと感じ、殺しに来たということだろう。
 やれやれ、だから聖人の遺体なんてロクなものではないのだ。聖人がいくら凄かろうが、扱うのはこういう人間なのだからな。
「いいかね? 私が言いたいのは」
「いや、言い、ここでお前の台詞は終わりだ」
「何だと?」
「いいか、私は戦闘が嫌いだ・・・・・・疲れるからな・・・・・・だから貴様の出番はここまでだ。瓦礫の底で考えていろ。お前みたいなモブキャラについて正体を暴く必要すらない。ここで消えろ」
「私の居場所も分からないのに・・・・・・おい、それは何だ?」
「気づいたか? でももう遅いぞ・・・・・・路地裏であれば狙撃に有効なポイントは二カ所しかないからな。両隣の建物の中。無論私はお前がその辺にいるであろうというおおざっぱな情報しか掴んでいない。しかしだ。私のこの幽霊の日本刀は、魂を切り刻み、腐敗させることが出来る」
 両隣の建物の基盤を、それぞれここに来た時点で叩き斬った。どこにいるのかはしらないが、建物が崩壊するのは時間の問題だ。
 私は急いで路地裏から出て、だめ押しにさらに建物の柱部分を叩ききった。当然支柱が崩れた建物は音を立てて崩れ落ち、どこにいたのかはしらないが、まぁ生きてはいないだろう。
「作家に肉体労働をさせやがって」
 私は疲れることが嫌いだ。
 戦闘のような命をかけて得られるモノの少ない行為は、大嫌いだ。
 だが、嫌いかどうかと、出来るかどうかは別物と言うことか。
 私は警察がくる前に教会へと逃げた。何よりこれで、あの女を説得する材料も整ったわけだ。
 命の危機でも逃げないだろうが、周囲に迷惑がかかるとあれば、あの女の考えを「曲げる」ことは出来なくても「曇らせる」ことは可能だ。
 やれやれ参った。
 私は少年少女の恋愛の為に、こんな割に合わないことも作品のためだと言い聞かせつつ、神の家に向かうのだった。

この記事が参加している募集

例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!