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【新書が好き】ジャンケン文明論


1.前書き

「学び」とは、あくなき探究のプロセスです。

単なる知識の習得でなく、新しい知識を生み出す「発見と創造」こそ、本質なのだと考えられます。

そこで、2024年6月から100日間連続で、生きた知識の学びについて考えるために、古い知識観(知識のドネルケバブ・モデル)を脱却し、自ら学ぶ力を呼び起こすために、新書を学びの玄関ホールと位置づけて、活用してみたいと思います。

2.新書はこんな本です

新書とは、新書判の本のことであり、縦約17cm・横約11cmです。

大きさに、厳密な決まりはなくて、新書のレーベル毎に、サイズが少し違っています。

なお、広い意味でとらえると、

「新書判の本はすべて新書」

なのですが、一般的に、

「新書」

という場合は、教養書や実用書を含めたノンフィクションのものを指しており、 新書判の小説は、

「ノベルズ」

と呼んで区別されていますので、今回は、ノンフィクションの新書を対象にしています。

また、新書は、専門書に比べて、入門的な内容だということです。

そのため、ある分野について学びたいときに、

「ネット記事の次に読む」

くらいのポジションとして、うってつけな本です。

3.新書を活用するメリット

「何を使って学びを始めるか」という部分から自分で考え、学びを組み立てないといけない場面が出てきた場合、自分で学ぶ力を身につける上で、新書は、手がかりの1つになります。

現代であれば、多くの人は、取り合えず、SNSを含めたインターネットで、軽く検索してみることでしょう。

よほどマイナーな内容でない限り、ニュースやブログの記事など、何かしらの情報は手に入るはずです。

その情報が質・量共に、十分なのであれば、そこでストップしても、特に、問題はありません。

しかし、もしそれらの情報では、物足りない場合、次のステージとして、新書を手がかりにするのは、理にかなっています。

内容が難しすぎず、その上で、一定の纏まった知識を得られるからです。

ネット記事が、あるトピックや分野への

「扉」

だとすると、新書は、

「玄関ホール」

に当たります。

建物の中の雰囲気を、ざっとつかむことができるイメージです。

つまり、そのトピックや分野では、

どんな内容を扱っているのか?

どんなことが課題になっているのか?

という基本知識を、大まかに把握することができます。

新書で土台固めをしたら、更なるレベルアップを目指して、専門書や論文を読む等して、建物の奥や上の階に進んでみてください。

4.何かを学ぶときには新書から入らないとダメなのか

結論をいうと、新書じゃなくても問題ありません。

むしろ、新書だけに拘るのは、選択肢や視野を狭め、かえってマイナスになる可能性があります。

新書は、前述の通り、

「学びの玄関ホール」

として、心強い味方になってくれます、万能ではありません。

例えば、様々な出版社が新書のレーベルを持っており、毎月のように、バラエティ豊かなラインナップが出ていますが、それでも、

「自分が学びたい内容をちょうどよく扱った新書がない」

という場合が殆どだと思われます。

そのため、新書は、あくまでも、

「入門的な学習材料」

の1つであり、ほかのアイテムとの組み合わせが必要です。

他のアイテムの例としては、新書ではない本の中にも、初学者向けに、優しい説明で書かれたものがあります。

マンガでも構いません。

5.新書選びで大切なこと

読書というのは、本を選ぶところから始まっています。

新書についても同様です。

これは重要なので、強調しておきます。

もちろん、使える時間が限られている以上、全ての本をチェックするわけにはいきませんが、それでも、最低限、次の2つの点をクリアする本を選んでみて下さい。

①興味を持てること

②内容がわかること

6.温故知新の考え方が学びに深みを与えてくれる

「温故知新」の意味を、広辞苑で改めて調べてみると、次のように書かれています。

「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること」

「温故知新」は、もともとは、孔子の言葉であり、

「過去の歴史をしっかりと勉強して、物事の本質を知ることができるようになれば、師としてやっていける人物になる」

という意味で、孔子は、この言葉を使ったようです。

但し、ここでの「温故知新」は、そんなに大袈裟なものではなくて、

「自分が昔読んだ本や書いた文章をもう一回読み直すと、新しい発見がありますよ。」

というぐらいの意味で、この言葉を使いたいと思います。

人間は、どんどん成長や変化をしていますから、時間が経つと、同じものに対してでも、以前とは、違う見方や、印象を抱くことがあるのです。

また、過去の本やnote(またはノート)を読み返すことを習慣化しておくことで、新しい「アイデア」や「気づき」が生まれることが、すごく多いんですね。

過去に考えていたこと(過去の情報)と、今考えていること(今の情報)が結びついて、化学反応を起こし、新たな発想が湧きあがってくる。

そんな感じになるのです。

昔読んだ本や書いた文章が、本棚や机の中で眠っているのは、とてももったいないことだと思います。

みなさんも、ぜひ「温故知新」を実践されてみてはいかがでしょうか。

7.小説を読むことと新書などの啓蒙書を読むことには違いはあるのか

以下に、示唆的な言葉を、2つ引用してみます。

◆「クールヘッドとウォームハート」

マクロ経済学の理論と実践、および各国政府の経済政策を根本的に変え、最も影響力のある経済学者の1人であったケインズを育てた英国ケンブリッジ大学の経済学者アルフレッド・マーシャルの言葉です。

彼は、こう言っていたそうです。

「ケンブリッジが、世界に送り出す人物は、冷静な頭脳(Cool Head)と温かい心(Warm Heart)をもって、自分の周りの社会的苦悩に立ち向かうために、その全力の少なくとも一部を喜んで捧げよう」

クールヘッドが「知性・知識」に、ウォームハートが「情緒」に相当すると考えられ、また、新書も小説も、どちらも大切なものですが、新書は、主に前者に、小説は、主に後者に作用するように推定できます。

◆「焦ってはならない。情が育まれれば、意は生まれ、知は集まる」

執行草舟氏著作の「生くる」という本にある言葉です。

「生くる」執行草舟(著)

まず、情緒を育てることが大切で、それを基礎として、意志や知性が育つ、ということを言っており、おそらく、その通りではないかと考えます。

以上のことから、例えば、読書が、新書に偏ってしまうと、情緒面の育成が不足するかもしれないと推定でき、クールヘッドは、磨かれるかもしれないけども、ウォームハートが、疎かになってしまうのではないかと考えられます。

もちろん、ウォームハート(情緒)の育成は、当然、読書だけの問題ではなく、各種の人間関係によって大きな影響を受けるのも事実だと思われます。

しかし、年齢に左右されずに、情緒を養うためにも、ぜひとも文芸作品(小説、詩歌や随筆等の名作)を、たっぷり味わって欲しいなって思います。

これらは、様々に心を揺さぶるという感情体験を通じて、豊かな情緒を、何時からでも育む糧になるのではないかと考えられると共に、文学の必要性を強調したロングセラーの新書である桑原武夫氏著作の「文学入門」には、

「文学入門」(岩波新書)桑原武夫(著)

「文学以上に人生に必要なものはない」

と主張し、何故そう言えるのか、第1章で、その根拠がいくつか述べられておりますので、興味が有れば確認してみて下さい。

また、巻末に「名作50選」のリストも有って、参考になるのではないかと考えます。

8.【乱読No.91】「ジャンケン文明論」(新潮新書)李御寧(著)

[ 内容 ]
誰も勝たない、誰も負けない、東洋独自の循環型の文明―著者はそれを「ジャンケン文明」と呼ぶ。
西洋型の近代文明は、二項対立の「コイン投げ文明」であった。
だが、そこからはもう「衝突」しか生まれてこない。
今こそ東アジアが、日本、韓国、中国の新しい関係を携えて、その独自の文明の豊かさを世界に発するべきではないか…。
「拳の文化」をたどり、時代を読み解きながら考える、「共存」のための文明論。

[ 目次 ]
1 なぜいまジャンケンか(切符売り場で考えたこと 冷たい汽車 ほか)
2 手とジャンケンの誕生(隠れたヒゲ 拳の文化史 ほか)
3 ジャンケンの構造(お地蔵さまとのジャンケン 拳と酒の関係論 ほか)
4 コイン投げ型とジャンケン型の文明(ダ・ヴィンチのジャンケン なぜ石が紙に負けるのか ほか)
5 「三国拳」の新しいアジア文明(東北か北東か アジアということば ほか)

[ 発見(気づき) ]
日中韓の関係悪化が懸念されていた中、韓国の初代文化相をつとめた李御寧氏の本である。
李氏は、この中で、世界の人々が共存するためには「西洋的な二者択一・二項対立」のコードから脱皮すべきことを説いている。
未だに世界各地で戦闘状態が続いているが、その背景には1神教的価値観に基づいた絶対善同士の衝突がある。
私見によれば、一神教は普通、一元論だとされやすいが、実際には「己が正しい。相手が間違っている」と決めつけるため、即2元論となる。
そこに二者択一・二項対立の世界が生まれ、自らを絶対善とする価値観に基づいて相手を否定し排除する論理がまかり通ることとなる。
李氏は、この二者択一・二項対立の西洋近代文明を象徴するものとして、裏表で勝負を決する「コイン投げ」を取り上げている。
そして、それを乗り越える象徴として「ジャンケン」を取り上げ、「アジア的三つ巴の思考」への移行を強く促している。
日本では「ジャンケンポン」、韓国では「カウイバイボ」、中国では「ツァイツァイツァイ」というように掛け声は違っても、日中韓には「ジャンケン」が根づいている。
この「ジャンケン」においては、グーもパーもチョキも絶対ではない。
それぞれが、状況次第で勝つこともあれば負けることもある。
絶対の勝者も絶対の敗者もないこの「ジャンケン・コード」、つまり「アジア的三つ巴の思考」こそが、共存可能な循環型文明を拓く鍵を握っている。
この「ジャンケン文明」を有する日中韓は、今こそ協力し合ってその先鞭をつけるべきではないか。
李氏のその熱い思いは、(この本を)「ナショナル、ローカル、グローバルの3つの空間を生き抜く未来の人たちに捧げる」という1節に端的に表れている。
李氏の説は、「光の3原色」を連想させる。
「光の3元色」は普通、赤・緑・青紫をさすが、必ずしもこの3色に固定されているわけではない。
他の色でも、互いに独立した関係にあれば、その組み合わせ方によってあらゆるバリエーションを創り出すことが可能となる。
世界の人々が、お互いに3原色の1つであることを認識して、その組み合わせ方を自由に楽しむことができたら、どんなに素晴らしいことか。
皆が協力し合って、そうした時代を1日も早く創り出していきたいものだ。

[ 問題提起 ]
西洋では、コイン投げで裏が出るか表が出るか、で何かを決める。
西洋にもRPS(Rock Paper Scissors)と呼ばれるジャンケンがあるそうだが、多くの場合、パーがグーに勝つ式の日本のジャンケンとは違うルールで、少ない手を出した人が負けというものであるという。
グーを二人が出してパーが一人なら、パーが負けという多数決原理のジャンケンだ。
日本やアジアのグー、チョキ、パーはそれぞれ石、ハサミ、紙を意味している。
紙は石を包み込めるので勝ちなわけだが、紙対石で石が勝つという結果に、納得できない西洋人が多いらしい。
彼らは垂直的な力関係のヒエラルキーを想定してしまう。
そこで西洋化した上海のジャンケンでは石に勝つのは「爆発(ダイナマイト)」に置き換えられているそうで、ハサミは導火線を切るから、なんとかジャンケンの基本構造である「三すくみ」が成立する。
「だが、こうなると、平面が立体を制し、やわらかいものが固いものに勝つ東洋の逆説的「転」の姿が消えてしまう。
ただ合理的な、形式論理が残るのだ」
東アジアの拳酒という習慣では、勝負に負けたものが酒を飲む。
酒好きな場合、勝って飲もうとするのは先を争うようで格好が悪い。
負けて体裁上、仕方なく飲むのであれば格好がつく。
しかもジャンケンだから均等に酒が回ることになる。
負けるが勝ちには一人勝ちということがない。
ヨーロッパとアジアの文明の差異をそれぞれ「これかあれか、either-or」と「あれもこれも、both-and」の差異だと著者は説明している。
ヨーロッパ式では逆説的な考えを簡単に受け入れず、一見矛盾する力や考え方は同時に追求できない理性的な考え方をする。
これに対してアジア式は対極にあるものを両方手に入れるような考え方が可能になる。
分かりやすかったのはテロリズム解決の三者関係。
テロリズム(アルカイダ)、カウンターテロリズム(米国政府)だけでは対立が激化してしまう。
テロリズムを嫌うと同時に政府の行き過ぎも監視するアンチテロリズム(民間)を加えて3者の三すくみ関係があってこそ、テロリズムを解決できるのだとする。
ジャンケンのような三すくみ(四すくみでもいいが)のジャンケン構造を国際関係に持ち込むことで、2国間のコイン投げ(裏表、勝敗)ではできない問題の解決と全体の調和が成立する。
アジアでは中国のパー、日本のグー、韓国のチョキの三国拳という在り方を著者は提唱している。
アジア文化の融通性、寛容性、開放性といった伝統的価値観をジャンケンの構造として分かりやすく解説した比較文明論である。
少し横道にそれるのだが、世界は名詞の集まりか、それとも動詞の集まりか?
例えば、「いないいないばあ」のエンディングロールがテレビに表示されると幼児は「おわっちゃった」という。
幼児は動詞をよく覚える。
「あった」「終わっちゃった」「ないない(なくなった)」「いっちゃった」。
私の予想は名詞を先に覚えてから動詞の順だと思っていたのだが、リチャード・E・ニスベットの「木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか」によれば普通のことなのだそうだ。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか」ニスベット,リチャード・E.(著)村本由紀子(訳)

西洋人のこどもは名詞から覚え、東洋人のこどもは名詞と動詞を半々くらいずつ学習していく傾向があるという。
それは母親のことばの教え方と深い関係がある。
典型的な東西の母子のおしゃべり例が紹介されていた。
西洋の母親:
「これはクルマ。クルマを見てごらん。
これ好きかな?
かっこいい車輪がついているねえ」
東洋の母親:
「ほら、ブーブーよ。
はい、どうぞ。
今度はお母さんにどうぞして。
はい、ありがとう」
西洋の母親は世界が名詞の集まりだということを教えるが、東洋の母親は世界が関係に満ちていることを教える。
実際に育児を観察してみると、アメリカの母親は対象物の名前を言う回数が日本の母親の2倍も多く、逆に日本の母親は社会的な約束事(あいさつ、共感)を教える回数が2倍も多くなるという。
動詞は関係を表現するものだから、東洋人では登場回数が多くなる。
これは、東洋の社会は個人の能力以上に、関係性が重んじられる社会であることに起因する。
理屈を並べる人よりも、場を和やかにする人、協調性の高い人の方が大切にされる可能性が高い。
東洋人はゲマインシャフト(自然発生的人間関係と、共有されたアイデンティティ意識にもとづく共同社会)的社会に生きる。
西洋人はゲゼルシャフト(道具的な目標を達成するために組織された社会、交渉と契約の社会)的社会に生きる、とも言い換えられる。
ふたつの社会の違いは、集団主義的か個人主義的かの違いだとも言える。
それが母親の教育態度と、こどもの言語学習の違いに現れていると著者は言う。
人間関係を重視する子育ては、西洋の基準ではマザコンのこどもを育てる。
日米の成人が母親と一緒にいることをどの程度望んでいるかを調査する尺度設定の際、一方の極みを「私はいつも母親と一緒にいたい」という基準にしようと東洋人が真面目に提案したら、西洋人研究者はあきれた顔をしたと言う。
独立心を大切にする西洋では赤ちゃんが一人で別の部屋のベッドに寝かされることも珍しくないらしい。
東洋では同じ部屋で家族に見守られるケースが多いだろう。
こどもが少し大きくなってくると、西洋人のこどもは「お母さんの選んだ問題」に興味を失い、自ら選んだ問題の回答に強い意欲を見せる。
逆に東洋人のこどもは「お母さんの選んだ問題」の回答に熱心である。
東洋人は何事も場に依存しているのである。
大人になってからも同じである。
多国籍企業IBMの調査が紹介される。
西洋人の社員は個人の独創性が奨励されそれを発揮できる仕事に強い意欲を感じるが、東洋人は全員で力を合わせる仕事を好んだという。
これには労働市場の流動性も関係がありそうだ。
米国では職業は一時的なものと考える社員が多く(90%)、日本では半永久的なものと考える(40%)社員が多い。
社会環境が異なるので、教育も価値観もまるで異なる内容になってしまう。
世界の見え方が根本的に違ってしまう。
また、世界の経済成長率やがん死亡率のグラフを被験者に見せて、未来を予測させる実験の話も興味深かった。
東洋人と西洋人にはトレンドの上昇、下降と変化の大きさに対して、テーマや予備知識と無関係に、一定の予想傾向が現れた。
中国人は変化が加速しているときには、それが鈍化、逆転することを予想する人が多く、逆にアメリカ人は加速はその方向への変化が続くと考える人が多かった。
中国人は世界は複雑でたくさんの要素が相互につながっていると考えているので、ある程度同じ状態が続いたことは、次の変化がおきる兆しと考えた。
逆にアメリカ人は提示されるグラフの数字だけを見て演繹し、この変化はこれからも同じように続いていくと考えたのだと推測される。
東洋人は中庸を好む。
前進よりも回帰を世界の一般法則と考えやすい。
水戸黄門のテーマ曲「人生楽ありゃ苦もあるさ」である。

人生塞翁が馬である。
めぐりめぐって平衡状態に戻るのが世界の在り方だと感じている。
東洋人は世界は複雑に絡み合っているので、自分の力ではどうにもならないことがあることを知っている。
西洋人は対象物を環境から切り離して考えるので、世界は自分が努力すれば制御できると考える。
これは原因推測の思考の違いにもつながる。
同じ殺人事件を中国の新聞と米国の新聞がどのように報道してきたかの研究では、西洋では犯人の性格に問題があったとするケースが多かった。
東洋では犯人を取り巻く環境が原因だとするケースが多かったという。
映画羊たちの沈黙などで有名になった犯罪捜査のプロファイリング(心理分析)は欧米の産物である。
「アイツはこういう風に異常だから殺人を犯したのだ」というのが西洋の原因推測。
劣悪な家庭環境に育ち孤立していたから殺人犯になったというのが東洋的な原因推測。
確かに、こうした事件報道はありがちではないか。

[ 教訓 ]
西洋人は目立つ幾つかの対象物の属性に注意を向け、抽象化、単純化したうえで、因果関係を言い当てる「分析的思考」が主流である。
これに対して東洋人は対象を取り巻く「場」全体に注意を払い、対象と場の要素との関係を重視する「包括的思考」が主流となる。
東西の医学の考え方の違いと同じだ。
分類は西洋人が得意で東洋人が苦手とする思考の典型であるというデータが示されている。
知能検査のひとつにキャッテル性格検査という、図形を特徴で分類させるテストがある。言語に依存しないのでどの文化に対しても公正であるはずのこのテストは、実際には西洋人が高い成績を修めるという。
しかも非常に得点差が大きいそうだ。
もちろん、現実の世界ではふたつの世界は融合していて、西洋的思考を得意とする東洋人もいれば、逆の人もいる。
同じ東洋時でも程度がある。
純粋な分析的思考、包括的思考の人はほとんどいない。
それでも、社会科学の実験は、背後にふたつの考え方の違いが存在していることを示している。
相互理解を考える上では今後もその事実を知っておくことは相互理解のために重要だと著者は述べている。
近代化と西洋化はイコールではなく、近代化が進むにも関わらず、文化的多様性はむしろ多極化していくという予測がある。
世界中にコーラを飲み、ジーンズをはくが、包括的思考傾向の強い東洋人はいる。
表面が変わってもこころは変わっていない可能性がある。
自然に、皆が西洋的思考に収束するわけではない。
人間だから話せば分かる、ではいけないのだ。
基本認識が違うのだから、客観的な真実もひとつではないことになる。
根源的な認知の違いを知った上でどう調和を取るかが、相互理解、融合の鍵になる。
そして、このメタレベルでは全体と関係性を大切にする、包括的思考が活躍するような気がする。
この本はふたつの考え方の存在を文化論としてではなく、科学として説明した面白い本である。

[ 結論 ]
異なる二つは、共通項を媒介にしてつながる。
人間の脳は同じものがきっと好きなのだろう。
「あれ」と「これ」は似ているとか、比喩とか、相似とか、異なる二つに同じを見つけることは喜び、快感である。
最初は慣れない仕事でも、毎日同じ事を繰り返していると、いつしか簡単にできるようになっていることに気付く。
簡単にできるということは快感である。
物事が「はかどる」ことは快感であり悦楽である。
同じ事を行なうたびに、神経伝達物質を伝達する回路の生体電磁抵抗が減少するらしい。
ちょうど、山林にできるケモノ道に似ている。
同じ道を通れば通るほど、その道が通りやすくなるように、同じ事をすればするほど、それはたやすくできるようになる。
同じ事を考えれば考えるほど、それは考えやすくなる、というわけである。
道具は使えば使うほど使いやすくなる。
キーボードのキーを叩けばたたくほど、文字は早く打てるようになる。
なぜなら、神経伝達物質が通る神経回路の生体電磁抵抗が減るからである。
つまり、異なる二つに同じを見つけた時に覚える快感は、神経伝達物質がお馴染みの回路を使って抵抗なく伝わるからであろう。
物事を理解した時、いわゆる腑に落ちたときの脳の状態は、生体電磁抵抗がゼロになって、一瞬にして神経伝達物質が理解の回路を駆け巡っているのだろう。
その場合、伝達物質は、脳に限らず全身を駆け巡る。
だから、チョー気持ち良いのだ。
などと、妄想してみたが、思っていることが上手く言葉になってない。
自分で読み返してみたが、いまいちしっくり来ない。
だから、また後で見直そう。
まぁ私の頭の中は、いつもこんな具合で、シェリントン卿がいったように、横糸と縦糸が織りなす美しい模様は見えてこない。
さて、本書であるが、なにかを決めるとき、西洋の子供はコインを投げをするが、アジアの子供たちはジャンケンをする。
表か裏かその片面だけで決めるコインは、「実体」であり「モノローグ」である。
だが、相手の手と取り組んで意味を生むジャンケンは、「関係」であり「ダイアローグ」だ。
この本は「アジア三国の物語」である。
ジャンケンは、強さよりも常に弱さのあることが、いかに大切なのかを教えてくれる。
巨大な中国、強力な日本が、強さだけを誇ると、ジャンケンはできない。
同じ「グウ」を出すと「あいこ」だけで、歴史は繰り返される。
ということで、けっこう楽しめる本である。
弱さといえば、「フラジャイル 弱さからの出発」、
「フラジャイル 弱さからの出発」(ちくま学芸文庫)松岡正剛(著)

「fragile」(ELT)、「Not Fragile」(バックマン・ターナー・オーバードライブ)が想起される。
この本は、ナショナル、ローカル、グローバルの三つの空間を生き抜く未来の人たちのための本だそうだ。
では、なぜいまジャンケンか 言語執着系としては本書が、面白いので抜粋しておく。
1.切符売り場で考えたこと
新幹線は速い。
いまでも世界最先端の科学技術を誇っている。
しかし蒸気機関車が走っていた昔とあまり変わっていないものがある。
「新幹線きっぷうりば」と大きく書かれている駅の案内板だ。
「売り場」とは、あくまでも売り手を中心にしたことばである。
切符を買う乗客の立場では「買い場」のはずだ。
何百万というお客さんが毎日切符を買っているのに、だれも「切符買い場」とはいわない。
もっと困ったことは、買う人のほうにあるのかもしれない。
「どこで切符を買えますか」と聞かないで、「どこで切符を売っていますか」というのだ。
主体をすっかり失った自分に、慣れっこになっているからだ。
考えてみるとこれは小学校のころからはじまった習慣である。
学生は学校に行って「教室」に入り、疑いもなく自分が習う本を「教科書」と呼んでいた。
教室は学室であり、教科書は学科書であるからだ。
これ一つだけでも、いかに学校が教える側に傾いているかがわかってくる。
一時期イヴァン・イリッチがあのようにしつこく「脱学校」を唱えたのも無理はない。
「脱学校の社会」(現代社会科学叢書)イヴァン・イリッチ(著)東洋/小澤周三(訳)

教える仕事に関わって暮らしている人が、アメリカだけで二千万人を超えるというのだから、学校は学生よりも、教える人のための制度に変わっていくというのだ。
マーケットは売る人と買う人の間にある。
学校は教える先生と学ぶ学生の関係があってはじめて成り立つ。
当然の話しであるが、立場によって両方の関係は断絶され、その一方だけが一人歩きをする。
巨大化、大量化、官僚化していく近代文明のメカニズムが起こってくるのだ。
2.冷たい汽車
「教室」ということばに学生の姿が見えないように、「切符売り場」には乗客の顔がない。
近代産業文明とともに現れた汽車は、もうのんきな村の乗合馬車ではないのだ。
「鉄馬」と呼ばれていた冷たい列車は、人が乗っていも乗らなくても時刻表どおり出発する。
そして決まった軌道の上を走り、一定の駅に停まる。
乗客一人一人の面倒と事情にこだわってはおられないのだ。
夏目漱石は『草枕』で、
「草枕・二百十日」(角川文庫)夏目漱石(著)

「汽車ほど20世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。
情け容赦はない。
(中略)
人は汽車に乗るという。
余は積み込まれるという。
人は汽車で行くという。
余は運搬されるという。
汽車ほど個性を軽視したものはない」
と書いている。
学校も、学生一人一人の個性と能力にこだわっていない。
あらかじめ設けられた制度に合わせて、小学校から大学の終点まで、学生たちを運んでいく。
小、中、高、大にわたる教育課程は、ベルト・コンベアに合わせて動いている工場の流れ作業とよく似ている。
学校でも、やはり品質管理のような試験を行い、パスしたものだけが卒業証書をもらうのだ。
ただ工場の製品と違うのは、不良品が出ても、アフターサービスやリコールの制度がないということだ。
教科書の内容も、型にはまった工場のマニュアルと区別がつかない。
直線型の綺麗な一本槍だ。
だから「ガッコウ・アタマ」ということばが生まれてくる。
社会に出て、教科書どおりにすると、すぐ愚か者扱いにされてしまう。
今の教育を受けた若者たちは、お見合いのときも一度に四人が目の前に並んでいないと、相手を選ぶことができまい、というジョークもある。
四肢選択の○×式試験問題が見に染みついているからだというのだ。
3.エレベーターと昇降機
近代の高層ビルとともに登場したエレベーターは、そらに向かって垂直に走る列車である。
エレベーターは「上げる」(elevate)という英語の動詞に、行為者をあらわす接尾語(-or)を付けたことばである。
だからそれ以前の教会ラテン語では、地獄に落ちた罪人たちを引き揚げて、救ってくれる救世主を意味することばだった。
アメリカではいまも、背を高く見せるためにつくった上げ底靴を、エレベーター・シューズと言っている。
だがエレベーターは上に昇るだけのものではない。
下にも降るのだ。
これか、あれか二者択一する線形的な思考では、昇ったり降ったりする正反対の動きを同時包むことが苦手だ。
そこで「昇る」ほうをメインコンセプトにして、「降りる」ほうは無視して切り捨てる。その結果「エレベーター(上げるもの)に乗って降りていく」という途方もない言い方になってしまう。
英語に限った話しではない。
エレベーターを意味するフランス語のアサンセール(ascenseur)も、ドイツ語のフェールシュツール(Fahrstuhl)も、みな上に上るという意味しかもっていない。
エスカレーターが現れても、名前のつけ方には時代の区別がない。
エスカレーターとは、感情が「エスカレートする」(高ぶる)といったときのことばと同じ意味だ。
幕末の日本の遣欧使節が、マルセーユではじめてエレベーターに案内されたとき、それを部屋と勘違いして「こんな小さな部屋に閉じ込めるとは何事だ」と憤慨、笑いものになったという。
だが、エレベーターが日本に入ってきて、その片一方の名前がきちんと「昇降機」に変わったことがわかれば、笑うどころではない。
むしろ頭の固いのは西洋人のほうであり、今のアジア人だ。
たしかに昇降機と呼んだ昔の人たちは、エレベーターの感覚とは違った目で見ている。
その名のとおり、昇ったリ降りたりする両方の動きを同時に捉えていたのだ。
中国でもエレベーターを電気の梯子という意味で「」と呼んでいたから、昇降の概念を含んでいる。
このようなネーミングの違いは、けっして偶然なものとはいえない。
昇降機だけではなく、山偏に上と下の文字を合わせて「」という日本独特な国字をつくったのも、みな同じ見方である。
それにたいして山を意味する英語のマウント(mountain)が「登る」「上がる」という動詞のマウント(mount)から来たことばであることを考えてみれば、すぐ納得がいくであろう。
フランス語に由来した英語のマウンテンには、エレベーターのように「登る」という一方的な意味しかない。
前にも触れたように、エレベーターという記号は両面から主な片面だけを切りとったもので、排除的(exclusive)な直線形の思考を示している。
これに対して、昇降機という名は、両面性を同時にあらわす包含的(inclusive)思考だ。
もうエレベータを昇降機と呼んでる人はない。
日本では「和魂洋才」、中国、韓国では「東道西器」という言い方があるが、才と器が変われば、魂も道も一緒に変わるものだ。
アジアの近代化を一口で言えば、昇降機からエレベーターへ記号のシステムが変わっていったことを意味する。
まぁこんな調子で本書は進行していくのである。
ここで、少し本書の内容を要約しておく。
●ジャンケン文明とコイン文明
「能を見たことのない日本人にはたくさん会ったが、ジャンケンを一度も打ったことのない日本人にはまだ出会ったことがない」という著者・李氏は韓国出身で、日本人の生活にすっかりとけ込んでいるジャンケンが、東洋独自の循環型の文明を作り出していると言っている。
李氏はまた、ジャンケン文明をコインの裏表で勝敗を決する西洋独自の二項対立の文明と対比して説明しており、読み進めていくうちに東洋的な発想法の原点について考えさせられてた。
私自身はジャンケンというゲームは日本だけだと思っていたから、この本を読んでジャンケンがアジアで一般的なものだということを初めて知った。
日本では「ジャンケンポン」と声にだしますが、韓国では「カウイバイボ」、中国では「ツァイツァイツァイ(猜猜猜)」と言う。
手の種類も同じで、石(グー)、はさみ(チョキ)、紙(パー)の三種類が使われている。
●絶対的に勝つことが無い
ジャンケンの勝負とコインの勝負を比較すると、ジャンケンの特徴がいろいろ浮かび上がってくる。
(1)ジャンケンには道具がいりません(手を使うだけです)
(2)ジャンケンは2人でもそれ以上でも参加することができます
(3)ジャンケンの手は一斉に出さなければいけません
(4)ジャンケンの手は三竦み(さんすくみ)になっているので、必ず勝つ(負ける)手がありません
(5)ジャンケンには勝ちと負けに加えて「あいこ」の状態があります
三竦み(さんすくみ)というのは、グーがパーに負け、パーがチョキに負け、チョキがグーに負けるという循環型の勝敗になっていることをいう。
さんすくみ【三竦み・三竦】
(ヘビはナメクジを、ナメクジはカエルを、カエルはヘビをと互いに恐れる所から) 三つのものが互いに牽制(ケンセイ)し合って、積極的に行動出来ないこと。
三者の勢力が一線に並び甲乙がつけ難い意にも、また、一種の均衡がとれる意にも用いられる。
【三省堂 新明解国語辞典】
そういえばビジネスの世界にも似たような三すくみの仕組みがある。
PDC(Plan Do Check)サイクルがそうである。
計画(Plan)が無ければ上手に実行(Do)ができない。
実行しければ評価(Check)ができない。
評価しなければ上手に計画を立てることができない。
PDCがジャンケンのように三すくみであると捉え直してみたら、新しい発見があるかもしれない。
冗談みたいであるが、PDCというイニシャルはグー・チョキ・パーのイニシャルと少し似ているのだが、残念ながらDoがグーでは無い。
●後出しはルール違反
ジャンケンでは、コイン投げと違って参加者が皆、手を出すことから「あいこ」がある。参加者が多いとあいこが続いてなかなか勝負が決まらない。
2人だけでやっても手の組合せは3×3=9通りで、そのうち同じ手を出す3通りがあいことなることから、三分の一であいことなる。
人数が多くなるとあいこの確率が上がっていくところは何か社会の縮図のような感じがする。
「おいおいそんなに焦るな、世の中そんなに単純に出来ていないのだから」と諭されているような感じがする。
ジャンケンは一斉に手を出して勝負することから、“後出し”はルール違反となる。
後に手を出した方が有利になるからである。
後出しが有利というのは、私たちがビジネスの世界で「先に始めたほうが強い」とさんざん言われてきたことと全く反対である。
後出しが有利になるのは、三すくみになっていることと深く関係している。
相対的に強い手が決まるので、事前に相手の手が分かっていれば対抗できる手を出せばいいからである。
●ジャンケンが子供を増やす
ジャンケンの世界で後出しはルール違反であるが、後出しが有利になる。
つまり「後から参加してもチャンスがある」という考え方は、先手必勝のルールを覆すパラダイムを提供してくれるような気がする。
現在社会問題になっている少子化の傾向は、後生に不利になっていく社会構造がもたらしているものと思わざるを得ない。
後に生まれるほど社会的に不利だという状況は、後出しジャンケンで勝負をひっくり返してあげれば良いのである。
それにはジャンケンと同じように、三すくみの構造をつくる必要がある。
例えば次のような感じになるのであろうか?
(1)子は親に従う (厳しくしかるのはいつも親)
(2)親は祖父母に従う (いつまでたっても親は親、子は子のまま)
(3)祖父母は子(孫)に従う (爺ちゃん、婆ちゃんは孫の言いなりに…)
こうすれば後から生まれた子供にも“勝てる”チャンスが出てくる。
この三すくみを実現するには、やはり三世代同居の家族形態を奨励するようなしくみ(例えば税金面で有利にするとか。他にも色々あるであろう)が必要である。
他方、二世代だけだとコイン投げと同じように二項対立と同じになってしまう。
多くの場合、親子の上下関係が一生を通して支配的になってしまい、子供はのびのびとできない。
そもそも、日本をはじめとする先進国で子供が生まれてこないのは、今の社会に生まれても豊かになれないと感じる自然の本能かもしれない。
この本能を素直に受けとめ、ジャンケン文明の知恵がもっともっと活かすというのはどうであろうか。
また、冗談のようではあるが、子・親・祖父母のイニシャルもグー・チョキ・パーと感じる。
本書は、アジア、特に日本・中国・韓国の共生への願いと展望を“誰も勝たない・誰も負けない”ジャンケン文明に見る。
モザイク的な記述のせいか気楽に読めて面白かったのだけれど、鴻上尚史のエッセイのほうが実は対比が効いていて興味深い。
『SPA!』2005年5月3/10日号「ドン・キホーテのピアス/“ジャンケン”は東アジアの誇るべき文化である」より、以下、抜粋して紹介しておく。
「ずっと、「ジャンケン」について書きたいと思っていました。
始まりは、イギリスに留学した時です。
授業で、課題発表の順番を巡って、クラスがもめました。
なんとかしようと、騒いでいるイギリス人相手に、「ロック・ペーパー・シザース(石・紙・はさみ)で決めたらどうだ?」と提案しました。
みんなは一瞬、沈黙して、「それはなんだ?」となったので、ルールを説明しました。
すると、説明を聞いたイギリス人達は、「決定をそんな偶然に任したくない」と言い放ちました。
自分が何番目にやりたいかは、明確に主張することであって、「ロック・ペーパー・シザーズ」の偶然に任すべきではない、いや、ショウ(僕のことね)お前はそういう偶然に身をまかせて平気なのか?とまで言われたのです。
僕はこの時、初めて、ジャンケンというものを意識しました。
イギリス人を始めとするヨーロッパ人は、ジャンケンをしないのです。
ジャンケンをしないから、ちょっとのことで議論します。
簡単なゲームをする時も、誰が先にやるかを、必ず議論して決めます。
日本人なら、ほぼ100%、無条件でジャンケンが始まります。
[…]
で、僕は「日本人の精神構造と、ジャンケンは密接なつながりがある」と考えるようになりました。
ヨーロッパ人は(アメリカ人もですが)子供の頃から、遊ぶ順番を議論で決めます。
日本人は、ジャンケンで決めます。
これが、その国民の考え方や感受性と無関係なわけがないのです。
だって、幼児の時、ブランコに誰が最初に乗るかを決める時、議論で決めるということは、3歳から対立を明確にするということです。
弁舌がたつ子、腕力がある子、説得力がある子が勝つという文化を生きるのです。
つまりは子供心に、“競争”と“自己主張”が刷り込まれるのです。
が、ジャンケンでブランコに乗る順番を決める文化には、“競争”も“対立”も“自己主張”も関係ないのです。
ただ、ジャンケンという偶然に身を任せていればいいのです。
根本的に、対立や主張とは無縁の文化の中で、子供は成長するのです。
選択の基本を、偶然性に任せる文化とは、つまりは究極的な根拠を手放した文化です。
論理性より、偶然性を選んだ文化であり、それは、空虚な中心としての天皇制まで通じる文化ではないかと、僕は考えています。
[…]
著者は、名著『「縮み」指向の日本人』を書かれた人で、日本・韓国文化を比較しながら明晰な分析を得意とします。
[…]
著者は、「ジャンケン」を、欧米のコイン投げ(トッシング・コイン)の二項対立の文化に対して、積極的な三すくみの文化であると位置づけます。
勝つか負けるかという白・黒の文化ではなく、相互に勝ち負けが動くジャンケンのシステムは、現代のどんづまりを切り開く21世紀の可能性だと言うのです。
欧米の二項対立は、文化すべてに浸透していると著者は言います。
白か黒かを明確に決めなければいけない文化は、相対立する二つのものを同時に含むことが苦手です。
刺激的で面白い例がたくさんあるのですが、例えば、「エレベーター」。
これは「上げる(elevate)」という英語の動詞から生まれた言葉です。
つまり、「昇る」ほうしか描写していないのです。
フランス語もドイツ語も同じです。
が、日本は「昇降機」と訳したのです。
つまり、「昇り」と「降り」をちゃんとひとつの言葉に入れたのです。
中国語も同じだそうです。
どこを取っても刺激的な本です。
「ジャンケン」にこんな可能性があったのかと、ハッとします。
コインでなくジャンケンを選ぶことは、「物から人へ、実体から関係へ、択一から並存へ、序列性から共時性へ、極端から両端不落の中間のグレイ・ゾーンに視線を換えると、暗い文明の洞穴の迷路から、なにか、かすかな光が見えてくる。
エレベーターの二項対立コードが昇降機の相互、融合のコードに変わっていく兆しだ」と著者は書きます。
ジャンケンという優れた文化を持つ東アジアの国々は、その可能性を追及すべきだと著者は言うのです。」
鴻上氏のイギリスでの経験に驚く。
李氏が指摘するようにモノの形で残っていない文化は考察の対象になりにくいだろうから、これまでなかなか指摘されてこなかったのだろう。
世界中の誰もがジャンケンを活用しているものだと思い込んでいた、というか考えたことがなかった。
“議論して決める”ということで思い出したのは中嶋義道の『ウィーン愛憎』で描かれていたドイツ人の感性だ。
「ウィ-ン愛憎 ヨ-ロッパ精神との格闘」(中公新書)中島義道(著)

「ウィーン愛憎 続 ヨーロッパ、家族、そして私」(中公新書)中島義道(著)

“ことばで主張しないことは決して伝わらない”というその文化を知って、「その中で過ごすのはすごく疲れるだろうな」と感じた。
日本への留学生と日本人学生がトラブルを起こす際には、そのへんのコミュニケーション・コードの違いが元になることが多いと聞いたこともある。
“何ごとも議論”というのと“以心伝心”のどちらがいい、ということではなかろう。
それこそ「白か黒か決着をつける」ような構えだ。
ただ李氏が世界の流れとして「二項対立から共存へ」という様子を見とっていることに、少しほっとすることができた。

[ コメント ]
最後に、李氏は『「縮み」志向の日本人』で有名な碩学であるが、本書で一石を投じた。
「「縮み」志向の日本人」(講談社学術文庫)李御寧(著)

氏の主張は、日本は島国で固く手のひらを握ったグーに当たり、中国は巨大な大陸が広がっているパーであり、韓国は両者の間を媒介するチョキであり、ジャンケンの面白さは、常に勝者と敗者が決まっているものではなく、3者が勝ったり負けたりして、ぐるぐる回ることである。
欧米のように、コインを投げて裏か表かで決める二者択一ではないということである。
確かに面白い指摘ではあるが、私には疑問なきにしもあらずであった。
3国とも引っ越しはできないわけで、日本が半島や大陸にはなりえないと同様、韓国も中国も同じである。
結局、地理的には固定している国土のなかで、別の国がもっている役割や機能を理解し、そうした行動を交代させていくと考えるのが妥当であろう。
また、王女史の『日・韓・中三国の比較文化論』では、インドの仏教、中国の儒教と道教はすべて東へと流れて、終着地日本では神道とも融合して、独特の日本文化がうまれたと考えていた。
「日・韓・中三国の比較文化論」王少鋒(著)

東アジアは常に西風が吹いているので、文化や文明も西風に乗って東遷してきた。
そして日本の東には太平洋という大きな壁があったので、日本から東遷していくことはできず、日本に滞留してしまった。
そこで中国は発信文化、韓国は通路文化、日本は受信文化の要素が強いという。
これに対して、近代技術は逆に日本が発信基地となり、中国は技術移転による受信文化になっている。
韓国・中国・日本の3つの国旗にこめられている価値観の違いも興味深い。
韓国の国旗は「太極旗」ともいわれ、陰陽五行説(道教)と易占いの卦とを組み合わせたものである。
中華人民共和国の国旗は「五星紅旗」といわれ、赤地(共産主義)の左上に五角の光芒を持った星が5つ描かれている。
日本の国旗はいうまでもなく「日章旗」であり「日の丸」である。
「日の丸」は世界一シンプルなデザインであるが、奥深い意味をもっている。
東経180度(ハワイの西)が日付変更線であるが、日本は世界中で一番早く日付が変わり、一番早く太陽の昇る国である。
だから古くから「日出づる国」「日の本」「日本」といわれてきた。
そして太陽も星の一つであるが、日本では大相撲の星取表や封建領主の家紋に明らかなように、星が五角形ではなく、円や丸で表される。
それは日本の気象では湿気が多いので、物事がすべてかすんでしまい、光源もぼーと丸く見えること、また同時に「円満な人格」や「円熟した境地」などが高く評価される価値観があるからであろう。
これはもう一つ、通貨の呼称にもあらわれている。
中国・韓国は元であり、日本は円である。
「元」も物事の大本であり、始めであるから、大きな価値であり、陰陽五行説では陰と陽とが二大元気とされる。
韓国の李朝末期には「元」を「圜(かん)」と称したが、口のなかの●にシンニュウをつければ還となり、還元とすれば、元の状態に戻ることを意味する。
したがって、ぐるぐる回るという意味では円と同義であるが、画が多すぎるので、「元」に戻した。
日本では「元」とは違った独自の円を明治4年に制定した。
東アジア3国は漢字(表意文字)を共有してきたのだから、それをアルファベット(表音文字)文化に対抗する基盤として交流を図れば、新しい世界が開かれてくるのであろう。

9.参考記事

<書評を書く5つのポイント>
1)その本を手にしたことのない人でもわかるように書く。

2)作者の他の作品との比較や、刊行された時代背景(災害や社会的な出来事など)について考えてみる。

3)その本の魅力的な点だけでなく、批判的な点も書いてよい。ただし、かならず客観的で論理的な理由を書く。好き嫌いという感情だけで書かない。

4)ポイントを絞って深く書く。

5)「本の概要→今回の書評で取り上げるポイント→そのポイントを取り上げ、評価する理由→まとめ」という流れがおすすめ。

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