マガジンのカバー画像

小説・「塔とパイン」

27
作:よわ🔎 概要:45歳、片田舎の洋菓子店のパティシエが、紆余曲折、海を渡ってドイツでバームクーヘンを焼き始めた。 ※毎週日曜日更新(予定) ※作品は全てフィクションです。著…
運営しているクリエイター

記事一覧

小説・「塔とパイン」 #27

小説・「塔とパイン」 #27

「どうしたの?元気?」 

ある日、ひどく落ち込んで元気がなかった時に声をかけられた。自分で言うことではないけれど、あの時は何をやるのも楽しくないし、日々やらなければいけないことも、億劫だった。

製菓学校の休憩室に、上質とは言えない長椅子がある。ベンチと言ったらいいだろうか。病院の待合室などによく設置してあるあの椅子だ。

実習と実習の合間に、思い思いに休息を楽しむ場所。一息つくことも出来るし、

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #26

小説・「塔とパイン」 #26

製菓学校での日々はとても新鮮で、しかし厳しくもあり。とても充実していた。僕は実家が製菓店でもあったから、多少の知識はあったつもりだった。いや、本当にあると思ってた。

・・・あれ、違う。

自分が今まで知っていたこと、親の手伝いをしていたこともあったから、よくわかっている。どこか自信めいたところがあったんだと思う。父親が積極的に教えてくれたわけでもない。それなのに「自分はできる、できている」と思い

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #25

小説・「塔とパイン」 #25

最寄駅から徒歩15分、下町感の残るアパートについた。今日から僕はココで生活することになる。母親が「引越しの手伝いをしに行く?」申し出もあったけれども、その時の僕は変な使命感に燃えていたもので、丁重に断った。

若かったということもあるし、世間知らずだったこともある。

「いや、大丈夫。ひとりでやるよ」「店番、あるでしょ?」

ひとりで生活するんだから、一人で何でもできるようにならなきゃ。最初から誰

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #24

小説・「塔とパイン」 #24

18歳で製菓学校に通うため上京した僕。当時は20世紀末。なんとなく閉塞感がありながらも、周囲の雰囲気を噛みしめながら過ごしていたころだ。

上京して、やっぱりというかなんというか「東京」に圧倒された。見るものすべて、今まで自分が経験したことのない世界がそこに広がっていた。

「うわぁ~」「すげー」

喜びとも、驚きともつかない一言が、口の端から漏れた。東京って言ったら、テレビの中の世界がそうなのか

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #23

小説・「塔とパイン」 #23

18歳になるころ、僕は進路として「製菓」の道に進むことを決めた。実家が「製菓店である」という一点で、興味があったし、手伝いもしてたから、すんなり決めた。

学校生活はどうだったかというとあまり覚えていない。勉強はそれほどできたほうでもなかったし、興味も持てなかった。スポーツはと言えばこれも大したことはなく、クラスの中では「苦手もなければ、得意もない」微妙な位置にいた。

18歳までの学校生活、振り

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #22

小説・「塔とパイン」 #22

毎日、毎日、異国の地で、菓子を焼く。飽きないのか?と問われれば、そりゃふと「飽きる」瞬間もある。だけど僕にはもう、これしかない。好きか嫌いかと問われれば「好きな」ほうなのだろう。

嫌いだったらこの業界で働いているのは考えにくい。いや、ほんとうにそうだろうか?

ーーー泡だて器を使って、生地をブレンドする。

お菓子作りに目覚めたのはいつだっただろうか?いや、目覚めたというのは聞こえがいいけれど、

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #21

小説・「塔とパイン」 #21

「おはよう」

スマホに届いたメッセージで、まどろみから抜け出した。そうだった。昨日の夜、ベッドの上でスマホ片手に彼女ととりとめのないメッセージのやり取りをいくつか交わしてしていたはずだった。

いつの間にか、眠りについていたらしい。

スマホの電池表示が62%を示している。使い切ったわけでもなく、かといってこの残量では、一日を乗り切ることもできない。一喜一憂せず、快適に過ごすのなら、補給が必要だ

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #20

小説・「塔とパイン」 #20

バベッタと初めて出会ったのは、そう、市役所だ。右も左もわからない中、渡欧してドイツに来た。来ただけではダメで、住民となるには役所に届け出をしなけりゃならない。

前情報では「英語が読めれば何とかなる。」はずだったけれど、期待外れだった。英語での案内などなく、文字はほぼドイツ語だ。特段ドイツ語ができるわけでもなかった僕。

「全く、わからない・・・」

どこにいって、なにをすればいいのか、なにがどこ

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #19

小説・「塔とパイン」 #19

帰宅すると夕餉の時間が始まる。とはいえ1人で住んでいるから、仕度は自分でやることになる。自炊はできないので、スーパーで買ってきた、パンやサラダを食べ、チーズをかじる。

ドイツだからビールを飲めばいいだろうけれど、あいにくお酒に弱いし、ビールの味も好きじゃないから、ほとんど飲まない。ワインなら味はまだマシと感じる。

部屋の照明が弱いので、IKEAで購入したデスクライトで手元を照らしながら、ぼーっ

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #18

小説・「塔とパイン」 #18

僕の住んでいるアパートは、7階建て。外壁の配色は薄いグリーン。周りのアパートの外壁も、ピンクやブルー、ホワイトと色とりどりだから、僕の住むアパートは目立たない感じもある。

東欧に見られるような画一的なアパートの並びと違って、西欧の国々のカラーリングだけじゃなく、装飾や意匠も様々だ。細かくみて見ると細部にこだわっているのがよくわかる。

こういうところが、中世から続く造形物の繊細さが形作られてきた

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #17

小説・「塔とパイン」 #17

街のシンボルの教会と教会の前にたたずむ簡易的なストロベリーハウスの間を抜けて、住宅街を歩く。ここら辺一帯は、比較的新しい建物が多い。伝え聞くところによると、戦争のあとに建てられたものが多いからだそうだ。

それでも、十数年は経っている。ヨーロッパの建物は、百年前に建てられた家にそのまま住んでいるというのもあるそうだ。

夕闇が近づく時間帯に差し掛かり、街灯にも火がともった。この街灯も電気が使われる

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #16

小説・「塔とパイン」 #16

「Konditorei Weise」から自宅までは、路面電車を使っている。店がある旧市街には駐車場がほとんどない。中世の面影残る石畳が毛細管のように入り組んだ街に、近代化の象徴物が入り込む余地は少ない。

でも、その方がいい。

街の景観や雰囲気、そのまま残っている方が、情緒を育んでくれる。

路面電車は旧市街の一画、南の外れと、北西部にある。僕はいつも使うのは、店から近いという事もあって北西の駅

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #15

小説・「塔とパイン」 #15

そろそろ陽が傾いてきた。「Konditorei Weise」への客足も時間が経つにつれて少なくなっていく。店内の喧騒も小さくなってきた。夜遅くまで店を開いていることはなく、ディナータイムにはもう店は閉まっている。それがこの店のスタイルだ。

だから、閉店時間も決まっているようで、決まっていない。売り切れたら早めに終わることもある。とはいえ、延長して長く店を開けるということもない。

時間で縛るんじ

もっとみる
小説・「塔とパイン」 #14

小説・「塔とパイン」 #14

昼休憩のささやかなひとときを終えてまた仕事場に戻る。「Konditorei Weise」は焼き菓子もさることながらケーキも焼いている。

工場で一貫生産することもできるようになっているが、この店のこだわりで、職人がひとつひとつ丁寧に作ることを心がけている。伝統を重んじてここまで来た自負もあるのだろう。

店舗を増やしてもいいし、多角的な経営をしても良かったはずだけど、この店はそういうのに興味はない

もっとみる