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【短編小説】風にピアス
「必ず読むよ、あなたの小説」
そう言って君は結婚した。相手がどんなやつだか、僕は知らなかったけれど。
大した人だと思う。その一言が聞けただけで、僕は死ぬまで書くことをやめられなくなってしまった。
チェーホフも、僕くらいわかりやすい人間ならば、それなりに可笑しく、誠実に、を僕を描写してくれるんじゃないかと思う。もう3年くらい、彼の小説を読んでいないけれど。
4月。
僕は上京した。新宿はまだ寒かっ
【短編】もうひとつだけ
この景色も、もう当たり前の景色じゃなくなるのだ。次見るときは「懐かしい」という感情に襲われる事になるのだ。ミズキはこの日、これまでの人生においては、かなり長い時間を過ごした場所を去る事になっていた。それは、人生においてみれば大した出来事ではなかったかも知れないが、その瞬間に立たされた人は誰でもそう思うように、これは一大事だと思っていた。人生において大きな意味を持ち、これから先の自分の運命を変えて
もっとみる【短編】絶望するには小さすぎて
レイはずっと待っていた。今日という、一年のうちの一日が終わってしまうその前に、彼自身に自由な時間が与えられる瞬間を待っていた。彼はこの時すでに、度重なるアルコール中毒とその回復に、人生の大半を使い果たしてしまったために、もう長編小説を書くことができない体になっていた。“もう”などと言っても、今までだって一つも書いたことがないのだ。それでも彼は作家だった。短編ばかりで、後々には詩ばかりを書く様にな
もっとみる【短編】丘の裏の火事
その日の夜、青年はワイナリーに立ち寄り、テーブル・ワインとして、テンプラリーニョを買った。1000円弱の物の割にはラベルも見応えがあり、キャップではなくコルクで栓がしてあったのが決め手だった。
青年はその日、大学の課題をした後で、彼女に電話をした。二日後の旅行の話をしていた。その話の途中でワインを開けて、電話先の彼女と乾杯をした。栓を開けてすぐの赤ワインはまだ尖った味がした。20分ほど待ってか
【短編】プロポーズの後で
私の夫は頑固で割烹着が似合う男だ。もう結婚して二十年になる。三ヶ月後に二十一年目を迎えるという時に、その一報が入った。息子が結婚する。
かねてよりお付き合いしていた人のことは私たち夫婦も知っていた。
「俺らも、歳をとるよな。この日が来るんだから、当たり前だぁ。」
「そうね、あなた」と、私は涙がこぼれた。
「俺たちは出来なかったが…結婚式できるみたいだな。よかったよかった。」
「そうね、あなた」と