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【短編】レベッカ・フリーフォール

 「なぁ、レベッカを覚えてるだろ?」とバーの店主は俺に話し始めた。
 「レベッカだって?」と俺は返した。レベッカと最後にあったのはもう5年も前だった。とにかく人目を引く美人で、赤みがかった長髪と、対照的に青々とした瞳を持っていた。レベッカ・フリーフォールという名前で、自由奔放な性格だった。

 5年前、彼女は俺の家の隣に住んでいた。そこはボロアパートだったし、彼女の家も築50年は経っていた。家主を言いくるめて、間借りをしていた。家主と体の関係は持っていないと思われたが、家主がそれを期待していたのはいうまでもなかった。
 「君はなにをしている人なの?」というのが初めての会話だった。「小説書いてる。」と俺は言った。
 「売れてるの?」と聞かれた。「まったくだね。」と素直に俺は認めた。

 とにかく、近所付き合いにしては唐突に、けれども俺の人生の中では唯一無二の友達付き合いが始まった。
 ある日のこと、屈強な黒人男性が俺の家を訪ねてきた。その人はレベッカの恋人で、彼女を探してここまで来たと言った。俺は怪しい奴が来たと思いしらばっくれようとしていた。
 「なにしてるのー?誰かいるの?」と、家の中で聞こえた。正確にはそこについている窓を勝手に開けて外から声をかけていた。この黒人は勝手に家に入り(しかも土足で)その弾みでコップが一つ落ちて割れた。小さい部屋なので、探すまでもなく彼女を見つけて、黒人は言った。
 「ひどいじゃないか!いきなりいなくなるなんて!俺たちなにがうまくいってなかったんだよ…!それにあの男は?あのヒョロヒョロの軟弱野郎。こんな家にいるだなんて、君には似合わないぞ!」と男は叫んだ。「じゃあ、割ったコップの代わりにマイセンのティーカップでも買ってもらおうか」と俺は言いかけたが、その前にレベッカ・フリーフォールが口を開いた。「ごめんなさいね。でもあたし、あなたが思っているよりまずって自由なの。愛してるわダミィ。でもね、そこまでよ。」
 「なんだって!これをみてくれよ、指輪だ!それに、トパーズのブローチだってあんなに喜んでくれたじゃないか!」と男は叫んでいた。しかしいつの間にかレベッカはいなくなっていた。男は叫びながら、その体にはあまりにも窮屈な窓枠から体を乗り出して追いかけようとした。どうやってここまで来たのか、という事を考えれば、この男のおつむが悪くないことはすぐにわかった。明らかにこの辺りの人間じゃない。しかし、この時ばかりは馬鹿だった。なんてったって、この部屋の窓の向かいには交番があったのだ。

 とにかくこんなことがたくさんあった。例の男は結局、窓枠から抜けられなくなって、逆さずりのところを逮捕された。その後に来た白人は、なんと二階の階段から落ちた。そいつもあえなくお縄になった。
 それから、何度か例のバーに彼女を連れて行ったり、呼び出されては買い物に付き合ったりした。しかし、あまりにも美人だったからか、浮いた話が飛び交うことはなかった。
 「どうせあいつも…。」という声が聞こえていた。

 ある晩のこと、レベッカは夜中の二時に例の如く窓に現れた。ちょうど月が出ていた。ベットに横になりながら、まるで窓枠が名画を飾る額縁に見えた。しかし、その風景を突き破り、彼女は俺の家に踏み込んできた。
 「あなたの隣で寝てもいいかしら。少し、寂しいのよ。いいでしょ、自由なあたしを許して?」と彼女は言った。俺は面倒ごとはごめんだったし、彼女にそういう気がないことも、俺にも(なぜか)なかったのもわかっていた。
 「話し相手、ならいいか?」
 「ええもちろん!」
 「じゃあ、このベッドの上だ。荷物置きに使ってるが、こいつは二段ベットなんでね。」
 「ふーん、隣じゃないんだ。でも、ええ、いいわ。」
 俺は荷物を簡単に脇によけた。とはいえ全部は片付けられかった。彼女はそこで横になった。しばらく俺はソファに寝転んで彼女を斜めに見上げながら話をしていた。彼女には弟がいた。溺愛している弟だという。彼女はとにかく自由にいろいろな場所を旅していたが、常に弟には会いたいと思っていた。
 「自由って言っても、心だけはどこかに置いてあるのよ。弟が持ってくれているの。だから私はいつでも帰ってこれる。だから、鳥が気ままに飛んで、宿木に降りるように、私は旅をするの。」
 しばらくして、彼女は寝てしまった。俺は、彼女のことについて考えていた。彼女はまるでなにも持っていないようで、縛られていないようで、自由に見える。でも、実際は何かに常に追い回されているし、それを振り解きながら、彼女自身も何かを落としている。弟に会いたいという気持ちだけを持ち続けるために。それでも自由に生きるために。だから、それでも走り続けているだけなのだ。
 すると荷物が落ちてきた。二段ベットから、カバンや服、なにかしらの荷物が音を立てて崩れて、下に落ちてきた。俺はそれをじっと見ていた。
 「ロビン…会いたいなぁ」と寝言が聞こえた。俺は落ちた荷物を下のベットマットレスの上に詰めて置き、そのまま寝てしまった。

 程なくして、彼女は飛び出すようにしてこの街を出て行った。弟が倒れた、らしかった。彼女はその時も追いかけられていた。しかも追いかけてきた男が薬をやっていたために、その関係で容疑者として手配されていた。警察に追われながら、俺は人生で初めて車を運転した。そのあと俺だけが無免許運転で逮捕され、その後釈放された。

 「わしは忘れられないんだ。お前が連れてきたあのレベッカを。実はこの間、アフリカの男性がこのバーにやってきた。その男は、本当にたまたまこの街に来たというのだ。しかし話し始めてみると、ある女を探しているという。写真を持っていた。レベッカだった!生きてたんだ!」とマスターは叫んだ。
 確かにあのあと、レベッカは死んだという噂が流れていた。弟は感染症だったらしく、レベッカはおそらく感染してしまったらしい、という話だった。マスターが、レベッカに思いを寄せていたということは知らなかった。彼女と18歳差と離れた男なのだ。

 「生きているんだ、きっとな。お前ならなにかしらないか?」とマスターは俺を見て言った。俺は財布を逆さまにして、コインを全部落としてから、その店を無言で出た。

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