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【短編小説】セピアのメンバー

 ふたりが君の親友になるのに、時間はそうかからなかった。きっかけはドラマサークルでの作業だった。
 ふたりは個性的で、魅力的だった。
 拓太は派手な見た目とは裏腹に、他人の懐にすぐに入り込めるやつだった。入学1ヶ月にして、キャンパス内を真っ直ぐ歩けないくらい友人がいた。彼に話しかける人間は、みんなタイプが違って、色々なグループに属しているように見えた。とにかく彼を嫌う人間はひとりもいないように思えた。よく、後輩たちと蚤の市に行ったり、逆に彼らとフリーマーケットをして物を売ったりもしていた。彼がいる場所は、いつも賑やかだった。「玲って名前ずるいよな。かっけえもん。」と、知り合ったばかりの頃、彼に言われたのを君は覚えていた。
 真凛は、いつだって男子の話題に上がる美人だった。女たちの目もひいたと思う。君は彼女を、トルーマン・カポーティの小説に登場するホリデー・ゴー・ライトリーに重ねたくなるほどだった。美人で、綺麗な瞳。そして、いつの間にか、どこかへ行ってしまいそうだ。ある日、君の鞄の中にあった小説を見つけて、彼女が言ったことを、君はよく覚えていた。「『ティファニーで朝食を』ってタイトル素敵ね。わたしも好きよ。」君はタイトルが好きだなんて、一度も言ったことはなかったけれど、それ以来、君はそのタイトルが好きになった。

 君はそのふたりのどちらかと、あるいはふたりともと、いつも行動を共にしていた。レポートやら、英語の課題やら、よくふたりに教えた。カフェや飲み会、カラオケにも、よく一緒に行った。

 とにかく、それは初めてのことだった。そして、そこで君は、人生で初めて、友人の前から忽然と姿を消した。君も、一体何が起こったのか、わっていなかった。それは何の前触れもなかった。
 「え?なんて言ったの?」と、ハイボールを飲みかけていた彼女は、グラスを置きながら君の方に顔を近づけた。

 しばらくしてから、真凛がトイレにいった。君は拓太に、一言つぶやいた。拓太は「うーん…」と、頷いた。

 君が酔っていたことだけが確かだった。真凛と拓太、ふたりのことが好きだったから、君はそのそばから離れたかった。時々、そういう発作に君は悩まされるのだ。それは、肩を並べて川辺を歩いている時、後輩を一緒に慰めている時、あるいは、ワインやハイボールを乾杯している時に起こる。君は、財布の中から無造作にお札を何枚か取り出して机に置いて、そして、逃げるように店を飛び出した。

 事は、ただそれだけで、あっさりと終わってしまった。君はその翌日、ふたりの家に直接行って、ごめんと謝った。ふたりは、特に怒るわけでも、呆れるわけでもなく、君のことを許してくれた。ふたりは、まるでしめしあわせたかのように、君のことが特別だから、と言って、もう二度とこんなことはしないで欲しい、と約束を取り付けてくれた。そんなふうにして、事は終わった。

 あるとき君は、ふたりと写真を撮ったりした。卒業式には、それはもうたくさん撮った。それから、誰かの提案で、プリクラも一緒に撮った。それは、あの日以来、初めて3人で遊んだ日のことだった。あの事件のことは笑い話になっていた。少なくとも、ふたりはそう言ってくれた。その頃すでに、君は一つ隣の県に引っ越しをしていた。アメリカ文学論を専攻して、大学院に進学したためだった。そして、修論単位を互換する制度のおかげで、演劇クラブへの所属も決まっていた。研究とレッスンに追われる日々が君には待ち構えていた。「今後はふたりも仕事があるし、次いつ会えるかわからんよね。」と、君はふたりと別れ際に言った。「まあ、そうやな。でも、どうせ会えるっしょ。」と拓太は言った。真凛は、「そんなこと言わないでよ」と言って、君の顔を見ていた。ごめんごめん、またね、と言って、君は改札を通った。
 以前よりも、長い時間電車に揺られて帰った後、君は撮ったプリクラと写真を部屋の壁に貼り付けた。この街は、まだ自分の街って感じがしないし、この部屋は、まだクリーニング直後の匂いがした。けれども、その壁を見ると安心できた。今後も、こうやって写真を飾りたいと思う。

 11月も半ばを過ぎた頃のことだった。演劇クラブの発表会が間近に迫っていた。『BRUTUS』という題の演目で、第4部の主演をつとめることになっていた。その日はリハーサルがあった。自宅に帰る途中、真凛から電話がかかってきた。「近くに来てるんだけどさ。玲、今、どこにいるの?」
 そんなわけで、君はいつも降りる駅とは別の駅で降り、教えられた居酒屋に足を運んだ。奥の方には中年のおじさんが2、3人座っていた。カウンターにひとりで座っている彼女は、その空間の雰囲気を作っていた。誰かを待っている、ということが周囲にも伝わっていたからなのか、誰も彼女に声をかけようとはしていなかった。
 君はその店に入る。彼女と目が合う。席の方に向かって歩きながら、君は目を瞑り、俯き気味にして、それからゆっくりと顔を上げて、目をあけた。相変わらず、彼女の視線は、まっすぐ君の瞳孔を突き刺していた。
 君は彼女の隣に座る。見渡す限り、それがカウンターで余っていた最後の席だった。
 「思ったより、早かったわね?」
 「電車を急がせたからね。」
 そんな冗談を、笑いもせずに言った。それが精一杯のカッコつけだった。「何にしますか、お兄さん?」と彼女は聞いてきた。「同じやつがいいな」と言いながら、君はグラスに視線を落とした。ふちについたグロスの色が視界に映った。

 「そういえば、この前、拓太と遊びに行ったんよ。」と君は言った。
 「ん!結構久しぶりだったんじゃない?」
 「そう。後輩たちも一緒だった。拓太のやつ、卒業したばっかりなのに、新入生の後輩に絡まれまくっててさ。俺も紹介されたけど、あいつとは違って少ししか話せなかったよ。」
 「それは、拓太が普通じゃないんだよ。」真凛は、はにかみながら言った。「ほんとすごいわよね。ほんと、いい男って感じ。」
 「そうだね。」と言って、君はグラスを空にした。

 「あいつも呼ぶか?」と、君は聞く。それが始まりだった。そして、君は自分のスマホでテレビ通話をかけた。拓太はすぐに出た。
 「おまえら、まぁーた、ふたりで行ってんのかよ〜。ずりーって!」と拓太が言った。画面はやけに暗くて、時々街灯の光が差し込んできた。すると、その後ろで、だれかが叫んでいるのが聞こえた。「ちょ、誰か航を黙らせろ〜!」拓太が後ろを向いて叫んだ。
 「ったく、警察に注意されんのはごめんだぜ。ってなわけでな、俺も今、後輩たちと、池近くの公園で飲んでんだ。こっちもこっちでな、わりい。」
 「本当に後輩たちと飲んでる…。」と、真凛はクスッと笑いながら言った。
 「ありゃ、そうなのか。まぁ、また3人で行こうぜ。」と、君が言った。
 「玲、また逃げ出したりしないでよ?」真凛が、君の隣で、拓太にも聞こえるように言った。「もう、目の前から人がいなくなるのはごめんだぜ。」と拓太も言った。

 あの時の電話が、アクシデントの直前であっただなんて、いったい誰が予想できただろう。二日後の夜中4時だった。拓太が電話をかけてきた。君は驚きながら電話に出た。こんな時間に、彼が電話をかけてくることなんて初めてだった。「おそくにすまん。いや、実はな…」と彼は言った。「航が、死んだんだ。新入生の後輩だ。少し前に紹介しただろ?覚えてるか?」
 その事故は、まさに二日前、3人でテレビ通話をした翌朝に起こった。大学時代の君の家から歩いて10分と近い、十字路交差点が現場だった。一台の軽自動車の側面に、大型バイクが激突。軽自動車が横転するほどの大事故が起こった。いわゆる右直事故というやつだった。
 翌日君は、そのことを演劇クラブの友人に話さなくてはならなかった。「あの、事故って、お前の後輩だったの?」とバイク好きの友達は、君に言った。どうやら、バイク乗りの界隈では、すでに大きな話題になっているらしかった。
 「うん。だから、すまない。通夜に行くとか、そういうわけではないんだけどさ…。今日の打ち上げにはいけない。」と言った。「いいよ、気にすんな。今日の発表、頑張ろうな。」と言って、友人は俺の肩を叩いてくれた。

 拓太の朝4時の電話に出られたのは、その日が発表前日で、緊張のためにずっとセリフ練習を部屋でしていたからだった。けれども、そんなことしていなくても、君は電話に出られただろうな、と思う。というのも、拓太は電話に出た直後、君にこう言った。「お前なら、出てくれると思ったわ。」拓太は君のことを、いつも言い当てられた。「今、後輩たちを一人一人、家まで送った帰りでよ…。つい昨日まで、航とみんなで、飲んでたからさ。夜中に悪いなぁ。さすがに、伝えておきたかったし、何より、俺が、なんか話したくてな。」珍しくか細い声で拓太が言った。「いや、そうか。かけてきてくれてありがとう。」と言って、君は通話をスピーカーに切り替えた。

 その電話から数時間後の午後、君が演劇クラブの発表会で主役を演じている時、拓太は後輩たちと一緒に、親族の許可を得て、航の通夜に行っていたそうだ。君は、航が死ぬ一週間ほど前に、拓太の紹介で、彼と知り合ったばかりだった。
 「先輩、羨ましいや。真凛さんと飲みに行けるだなんて。」と彼はその時言っていた。「俺、まだ彼女もできたことなくて…。経験も無いんすよ。」そして、最後にこんなことも聞かれた。「女の子の体って、柔らかいんですかね?」

 君は発表が終わった後、急いで帰宅して、シャワーと着替えを済ませた。少し長めに電車に揺られて、今暮らしている街よりも馴染み深い街に行った。以前住んでいた家の前を通り、川沿いを歩いた。十字路の電柱の下に、たくさんの飲み物が置いてあった。そして奥の方に隠れるように、タバコとお酒も置いてあった。「ダメなんだけどな。」君は呟きながら、買ったばかりの温かいお茶を手前に置いた。「死んだら、関係ないか。年齢なんて…。」君は手を合わせた。
 電柱の前、しゃがみながら、君は考える。今日のことを。君は、君じゃない誰かを演じていた。多くの人が君じゃない君を、舞台の向こうから見ていた。その瞬間、親友の拓太は、この世で、この世からいなくなった人の顔を見ていたんだ。
 それって、どういうことなんだろうか。なんの関係性もないことなのに、君は、君がしていたことに罪悪感を覚えそうになる。実際、君は一つ、気に入らないセリフを思いだした。
「死もまたひとつの恩恵というわけか」
それはまさに、数時間前に君が吐いたセリフだ。
 あぁ、とため息をしてから、もう二度と、あの演目はしまいと思った。
 君は、帰り際、その電柱の写真を撮った。よくないかな、と思いながら。でも、きっと来年は、こんなに多くの飲み物は置いてないだろう。花もないかもしれない。この景色だけでも、このまま残り続けたらいいけど、そんなふうにはならないだろう。だから、写真くらい許されると思った。

 途端に電話が鳴った。「玲、大丈夫?」真凛の声だった。「…もしかして、玲だったら、こっちに来てるかなって思って。事情を拓太から聞いたの。帰りで駅までくるでしょ?よかったら、話そ。ホットワインか、あるいは、カプチーノなんてどう?眠れないなら、ピッタリじゃないかしら?」

 数日後、衝撃的な事故現場からは想像がつかないくらい、傷のない綺麗な顔をしていたと、拓太が君に教えてくれた。想像もできないその顔を、君は後の人生で何度か想像してみることになる。その度に、最初で最後の会話のことを思い出す。今考えれば、航は何か、君のことを勘違いしていたような気がする。


 あれから一年後。君は、居酒屋にいた。綺麗な女性の先輩が、君の隣に座っていた。
 「彼女ではありませんよ」と言うと、店の主人は「お前は何してんだ」と怒鳴ってきた。
 「こんな、綺麗な人の隣には立てませんよ、そんな自信はなくて。」と、君は言った。

 しばらく、そうして飲んでいる。そして、あるとき、なにかの会話のはずみで、店の主人は君にこう言う。そういうことじゃないんだ。どうせひとりだぞ。この歳になってみろ…。その時まで友達と呼べる人が何人いるか。数えるまでもないさ。そりゃ、ゼロではないだろうがな。でも、そういう友達がいる方が、人生生きづらいかもしれん。この歳だ、みんな。明日には、もう…、なんてこともある。でもお前さんらは、大丈夫だ。自信を持てぇ、わけぇの。君たちは若ぇ。自信持ちな。

 君は先輩とその店を出た。また来たいね、と話しながら。

 家に着いて、すっかり馴染んだ部屋の明かりをつけた。
 結局、先輩は今日、うちには来なかったな、と思った。元々、そのつもりもなかったけれど、と言い訳してみながら。
 君はため息まじりに、壁に貼ってある写真を見た。拓太と真凛、それから君。これからも、友人と写真を撮ったら、ここに貼るんだ。その写真は、必ずしもこのメンバーではないだろう。例えば君は、いつかさっきの先輩とツーショットを撮るかもしれない。それは、君が最近知り合った友人の元カノだ。あるいは、先月に入社することが決まった会社の同期との写真も撮るかもしれない。君は同期よりもふたつくらいは年上になるはずだ。君は、同い年、あるいは年下の先輩を持つことになる。そこでもうまくやっていくんだ。そして、何かのはずみで写真を撮る。君はそれをいちいちプリントアウトして、壁に貼りたいと思う。ふとした時、君の過去が君の心を救ってくれることがあるだろうと、期待して。そうやって貼り続けていくことを想像してみる。一面を覆い尽くす写真。そのほとんど全てに、君は映っているはずだ。そういう景色を想像してみる。だんだんと増えていく写真。君の手によって無造作に、あるときには、何かしらの意図によって並べ替えられながら、一面に貼られ続けていく様々な写真たち。君は確かにそれを喜ばしいことのように感じている。貼った写真は、当時の記憶と感情を、君の記憶の奥底から掘り出して見せてくれる。けれども同時に、君は事件の匂いに気がつく。それはなにかしらの予感だ。良い思い出だけで済むはずがない、という確実な不安だ。
 君は実際、その不安の正体を、後になって確かめることになる。数ヶ月後、君は真凛とワインを飲み、そこでもう一度、彼女の前から忽然と姿を消してしまう。それは店を出た直後に起こったのだ。真凛は君を引き止めなかった。朝、目が覚めると、君はすぐに彼女に電話をする。彼女は君を許してくれる。そして「もし次があったら、その時は捕まえてほしい」と君は彼女にお願いをする。彼女はそれを了解してくれる。君は自分を情けないと思う。またある時、君は拓太の職場に行く。リサイクルショップだ。誰かに使われ、誰にも使われなくなったものが、誰かに使ってもらうために、大量にそこに置いてある場所だ。拓太はもちろん、そこでも楽しそうにやっている。サークルの時によく開催したフリーマーケット。そこで友達に自分の服や手作りのアクセサリーを売るのと同じ姿の彼が、そこにはある。でもそこは、君が彼と一緒に過ごし、慣れ親しんだ土地ではない。東京だ。しかも、郊外の、ひときわ閑散とした地域だ。拓太がいるのに、どこかで誰かが咳き込む音が、聞こえそうな町だ。
 壁に貼られた写真は、やがて、君にそういうことも思い出させるようになる。楽しかったこと、幸せだった日々を、後景に押しやって。一面の写真を眺める自分自身、そんな光景を想像してはっとする。君は、ずっと、何かの事件を追っている刑事みたいだ。その部屋はまるで、捜査本部みたいになっている。
 君はずっと、彼らとの出会いを良いものだと信じたがっている。確かに、そこには良いものが含まれている。でも、それは、“良いもの”というひとことだけで説明できるものではない。なぜならそれは、なにかの事件の始まりかもしれないのだ。あるいは過程かもしれない。いつか見たアニメーション映画で、こんなセリフがあった。「本当の犯人は、すべてのシーンに登場している。」君はそれを、口ずさんでみる。

 写真に手をかける。そして、結局そのままにしておく。ベッドに突っ伏して寝てみようと試みる。でもできない。シーツに埋もれながら、窒息してしまう手前で、安定した呼吸を保つ。視界は暗い。ゆっくり目を開いてみる。景色、そう呼べるものは何もない。手探りで枕を探す。見つけると、それをしっかりと掴み、後頭部にのせる。視界は再び暗転する。目を瞑った時よりも、視界はより暗くなっている。けれども、目は開いたままだ。次の瞬間、なにかが自分の身に起きてしまうのではないだろうか、と思う。その想像は、生暖かい恐怖を抱かせる。自分の体が小さくなっていくのを感じる。そのまま消えてしまいそうだ、と思う。そこで、両手でしっかりと枕を頭に押し付ける。頭は重くなっている。けれども、呼吸は相変わらず安定している。
 部屋でひとり、そのまま息をし続けている。目をそのまま閉じてみる。それからもう一度息を吸い込むと、生温かさの中に、よく知っている匂いを感じて、ここは自分の部屋なんだという、安堵を覚えることができた。
 「まだ何も起きていないじゃないか。」頭の中で、繰り返し繰り返し、つぶやいていた。


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