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【短編】絶望するには小さすぎて

 レイはずっと待っていた。今日という、一年のうちの一日が終わってしまうその前に、彼自身に自由な時間が与えられる瞬間を待っていた。彼はこの時すでに、度重なるアルコール中毒とその回復に、人生の大半を使い果たしてしまったために、もう長編小説を書くことができない体になっていた。“もう”などと言っても、今までだって一つも書いたことがないのだ。それでも彼は作家だった。短編ばかりで、後々には詩ばかりを書く様になっていたけれども、彼は作家として生計を立てていた。それも、ぎりぎりどころか、妻が『デニーズ』で働いているおかげで、それでもやっとの事だった。

 仕事はこれまで無かったというわけではなかった。たとえば大学の創作コースで、教鞭をとることもあった。そういう時に、彼は自身の作品を使って、創作についての講義をした。講義に限らず、彼が読み聞かせをすると、どんな作品であったとしても、みんな同じところで、クスリと笑ってしまうのだった。おかしな言い回しや、物語の展開がそういう類の面白さを醸し出すような、そういう作品ではなかった。むしろ、読んでいるだけでは気分が沈むような作品が多かった。けれども、彼の読み聞かせは大学の講義、州や街のセミナー、あるいは蚤の市なんかでもそういう感じだった。
 けれども、いつの間にか、仕事はどれも続かなくなっていた。原因はお酒だと、周囲の人間は言っていた。そういうことは、間違いなく彼を絶望させるには十分だったし、周りの人もそれは絶望である、と認めることは難しい事ではなかった。
 ある日目が覚めると眩暈がして、立っているのがやっとの状態になる。時計を見ても、それが昼なのか夜なのかわからない。機械的に、建て付けの食器棚の戸を開けに行き、そして酒瓶を取り出して、気がついたら喉が焼ける様に熱くなっている—。こういう事を絶望的だと捉えることが、誰にもできないだなんてことはなかった。そんな馬鹿げた話は、この田舎町—豊かさも暖かさもなく、人がいないわけでも自然が豊かなわけでもなく、ただただ余所者の寄せ集めでできたこの町—でさえもあり得なかった。

 レイはかれこれ、三十分はそこで待っていた。頭の上の豆電球は、虫や黒い塊になった蜘蛛の糸で本来の半分の明るさも出せていなかった上に明滅していた。目の前の洗濯機は、ものすごい音に震えながら、ぐるぐると衣服を回していた。コインランドリーの扉辺りまで数人の大人が、レイと同じように待っていた。一番後ろにいる黒人の女が、今ちょうどしているように、三十分前の彼も、開きっぱなしの扉に背を預けて、虚空を見つめて爪を噛んでいた。そして、ようやく今、彼は今、その列の先頭に来ていた。頭の上の豆電球は、扉が開きっぱなしになっているせいで、たくさんの虫が飛び回り、そのうちいくつかは焦げてこびりついた。

 目の前の洗濯機は、乾燥モードで動いていた。あと数分で、乾燥が終わるという時、彼は今日という一日について考えていた。人生の中の、一年の中の、今日という一日についてである。彼はなけなしの金のために、朝は新聞配達をしていた。一回の人生において、あまりにも長く、そして多過ぎたアルコールとの戦いのせいで、この仕事は彼の執筆のための体力を必要以上に奪っていた。そして、明日明後日の食費と、その日中に支払われるべき家賃のために、配達をしたその足で、出版社の事務室へと行き原稿料—今日はたったの連載作品の三話分だった—を、本来の期日より六日ほど早めに受け取った。おかげで彼は、朝のうちに5キロは歩く羽目になった。けれどもそれは、今日だけに限る話ではなかったし、これまでだってずっとそうだった。

 目の前で、最後の音を吹き出してから洗濯機が止まった。彼は周りを見た。右を見てから、左を見た。もう一度右を見て、それから今度は体ごと左を向いて、左の方を見た。ポケットから覆いの外れた懐中時計を取り出して、おそらく数十分はずれてそうなその時計版を見た。秒針があと四周したら、洗濯機を開けようと決めた。洗濯が終わって、数分しても持ち主が現れない場合、次の人が勝手に中身を取り出して、自分の洗濯物を同じ洗濯機に入れてもいいのだ。それが、コインランドリーの掟、おそらくは、世界共通の掟なのだから。
 秒針が三周ほどしたかな、という時、赤い服を着た黒人の太った中年の女が、左手に小銭を握りしめながら、例の扉から入ってきた。彼女は、飛び出したお腹をレイの肘に当てながら、彼の横を通り過ぎた。そして、洗濯機の蓋を右手で開けて、中の洗濯物にその手を伸ばした。茶色の下着をいくつか右手で掴んだあと、洗濯機の口のあたりまで持ち上げた。それから少し黙って静止したかと思うと、右手をそのまま開いて、同じ手で洗濯機の蓋を閉めた。さっきまで何もしていなかった左手が使われて、コインの落ちた音が聞こえた時、レイは愕然とした。三分前に—もう四分前になっていたかもしれない—最後の音を出した洗濯機は、また数十分後にその音を鳴らす羽目になったのだ。女はまたコインランドリーを出ていった。

 一体どういうことだろう、とレイは考えた。アルコール中毒者によく見られる体の震えがまるで蘇ってきたように、彼の体を震えが襲った。アルコール中毒は、その時すでに克服していたが、身に染みついた震えはこういう時に自動的に彼を襲うのだった。ちょうど、目の前の洗濯機にコインを落とすと、機械的にガタガタと揺れてしまうように、彼の震えは機械的な発作であった。彼はおそらく死ぬ時もこういう感じなのだろう。今でさえも、夜に眠る時には、何度か痰で喉が詰まり、呻き声をあげているのだ。死ぬ時くらいは安らかに息を引き取りたいが、それも痰が詰まってうまく引き取れないだろう。緊張のほどけた肺が、蓄えていられるだけの空気を残して、あとの全てをうめき声と共に吐き出し、彼は病院のベットの上で—おそらく自宅ではない—最期を迎えるのだ。

 レイは、もう一度、さっきの続きについて考えていた。家に帰ってから、彼はお金の計算をして、手元に何ドルと何セントほどが残るのかを数えていた。それは、そこまで時間のかかる作業ではなかったが、彼と、彼の妻と、彼の子供達の一週間の過ごし方を決める作業だった。彼は数え忘れがないか、九回ほど数えようとした。けれども四回目で彼は諦めて、金額を紙切れに書いておいた。
 それからその日は、子供の友達が誕生日ということで、子供がよその家に遊びに行くことになっていた。レイは、子供に2ドルを渡して、「『セイフウェイ』か、『Kマート』で何かお土産を買って行きなさい」と言った。すると子供は「車で送ってくれなきゃスーパーにも、友達の家にも行けないよ」と言った。そして、車を走らせている間、彼はガソリンのメーターを巻き戻す方法をあれこれ考えた。子供を下ろしてからは、今度はガソリンの量が足りなくならないかについて、神経を尖らせなくてはならなかった。
 そして今、目の前で、自分の番がくるはずだった洗濯機が、もう一度復活して動き出し、彼はそれを、さっきよりも一歩前で、待っていた。

 彼は思った。普通、作家はこんなふうに時間を無為には過ごさない。作家は、子供達を車で送り迎えして走行距離を気にしたり、彼らの下着を大量に持ったまま三十分も過ごさない。作家はそういう時間に筆をとり、言葉を綴るのに、私はまるでデクノボウの様になっているのだ。作家はこんな人生を送るもんじゃない。それに、こういう事が起こった後で、自分に一体どれほどの人生が残されているのか、時間と体力を掛け算したものが、どれほど削られてしまったのか、そういうことを考えるだけで絶望する他ないのだ、と。
 そして彼は思った。一生こうやって生きていくのだろう、と。コインランドリーの扉に背をもたれ、爪を噛んで、目の前で自分の順番が先延ばしにされる、そういうふうにこれから先もずっと、ずーっと生きていくのだろう、と。そして、アルコールとコインランドリーに削られて、残された人生あれは、これから先、これまで以上の速さであっという間に底をつくのだろう、と。
 けれどもそれを、その場にいる誰一人理解できる者はいなかっただろう。彼の友人であってさえも、あるいは妻でも、彼が実際に50歳という年齢で死んでしまうまでは、共感できると感じる者はいなかった。この世界でただ一人、世界共通の掟を持つコインランドリーの真ん中で、レイ本人だけが、これは絶望と呼ぶのに相応しいはずだと考えていた。しかし、彼以外にそれを感じ取れる者はおそらくいなかった—この静かな絶望に満ちた町でさえも。なぜならそれは、絶望するにはあまりにも小さかったトゥー・スモール・トゥ・ディスペア

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