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まんげきょうのせかい
自分を表現できないで悩んでいる人の中にはきっと、万華鏡の世界が広がっているのだと思います。私たちの思いもよらない景色が存在するのですが、内へと覗きこむことで初めてそれを目にすることができる。
悩んでいることすら周りの人に表現できない、理解されないことがとてもつらい。とはいえ、もしも彼らの存在自体がひとつの表現であるとするならば、それは何を意味するのでしょう。
せっかくのキラキラした世界を
いきしにをもういちど
「生きる」ことと「死ぬ」ことを今、もう一度問う時期に来ているなと思うようになりました。生きているから色々な体験ができますし、働くこともできる。学校にも行けるし、行かずにもいられる。そうしていつしかこの世とのお別れが訪れる。生きていることは当たり前ではないけれども、死は必ず訪れる。
新しい知識を詰めこむのではなく、不変の事実をじっくり味わってみる。肩肘張らず、大人から子どもまで。「わ
とうしんだいのひびを
「てんかんと共に生きている」ことがわたしの主な関心事です。医学的見地や社会的問題にはふれていません。それを耳にし、目にしても本質的には楽にならないからです。一人の人間として見ることが大切なのです。当事者である以前に人間であり、ひとつの生命です。
等身大の心を、拙いながらも書く。それが今のわたしです。ですから何も難しいことも特別なことも、新しいことすらもありません。
すべての
ひととほんのてれぱし
さっきまで読んでいた本の言葉がすぐ後の会話ででてきたり、知りたかった言葉の意味が本にのっていたり…といった体験はありませんか。
言葉への感度が上がり、本と人の周波数が一致したときにビビっとくるのだと思います。
目に見えない世界が、どこまでも現実として存在しているようです。人と本がテレパシーのように通じるというのはあながち否定できないと思います。