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福田恆存を読む

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『福田恆存全集』全八巻(文藝春秋社)を熟読して、私注を記録していきます。
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#小説

『藝術の転落』いはば小説家とは人間完成の専門家であつた

『藝術の転落』いはば小説家とは人間完成の専門家であつた

 この論文は昭和二十三年に発表された。前年に桑原武夫が書いた『第二藝術』に関して、福田は述べる。

桑原武夫は俳句を「第二藝術」とし、「第一藝術」たる小説と対照せしめた。しかし、桑原氏の頭にある小説の概念は、十九世紀の小説に基づいたものではないだろうか。福田の感じた違和感はここにある。

もはや二十世紀において、小説は、ひいては芸術そのものは、もはや十九世紀における優位から転落し始めているのではな

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【閑話】寝るまえに阿房列車を運転する

【閑話】寝るまえに阿房列車を運転する

 ここ最近、寝る前に、内田百閒の『第一阿房列車』(新潮社)を読んでいる。町田康さんが紹介していたので手にとってみたら、面白すぎて困っている。

声に出して笑ってしまう。それも数行おきに。

内田百閒。ユーモアの塊みたいな人。言葉のセンス、間のとりかた、ものを見る角度、とぼけた発言、気取らない感じ、すべて面白い。

なにも用事のない汽車の旅、すなわち「阿房列車を運転する」ために、どこへ行こうか、いつ

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『謎の喪失』驚かうとする心のないところに謎は存在する余地をもたない

『謎の喪失』驚かうとする心のないところに謎は存在する余地をもたない

 この論文は昭和二十二年に発表された。
冒頭の引用から始める。

福田の問いは、小説における謎の喪失の理由である。

十九世紀以降、認識優位の時代になった。それと歩調を合わせて、科学が社会の中で力を増していく。力を増していくとは、人々の間で信頼を勝ち得ていったということだが、正確には、科学の可能性に人々は信頼していたのである。

たとえば、天気予報というものがある。天気予報への人々の信頼は何によっ

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『作品のリアリティについて』真実を知ることではなく、真実にゐようとする素朴な要求

『作品のリアリティについて』真実を知ることではなく、真実にゐようとする素朴な要求

 この論文は昭和二十二年に発表された。福田は文学におけるリアリティとは何かを問う。

福田の考察は、ヨーロッパ十九世紀文学に始まり、ヨーロッパ二十世紀文学、日本の近代演劇、日本の私小説へと移っていく。が、この場では、ヨーロッパ十九世紀文学におけるリアリティの問題に話を絞りたい。

冒頭の引用。

文学におけるリアリズムという手法は十九世紀に興隆した。それは実証主義という科学の方法に基づいて誕生した

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『小説の運命 Ⅱ』すなわち批評の運命

『小説の運命 Ⅱ』すなわち批評の運命

 『小説の運命 Ⅱ』は昭和二十三年に発表された。まず冒頭の引用から始めたい。

明治以来、近代日本の作家たちがそれぞれの方法でもって一途に探求してきたのもこの「精神が明確にみづからの存在を確証しうる様式」であったといえよう。

二葉亭四迷をはじめ、近代日本文学の発想と系譜は、大方、十九世紀ヨーロッパ文学の文学概念にその様式の模範を求めてきた。

しかしその後に誕生した日本的私小説という文学形式はつ

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【閑話】巨大な峰々と案内人F

【閑話】巨大な峰々と案内人F

遠くに巨大な峰々が立ち並んでいる。

「あの右前方に聳えている山の名前はなんですか」
わたしは隣に並んで歩いている案内人に尋ねる。

「はい、あれはソポクレスと言います」
「ではその横に連なる山の名前はなんですか」
「はい、あれは手前から順にソクラテス、プラトン、アリストテレスです」

わたしはそれを聞きながら、顔を左の峰々に向ける。
「ではあちら側に見える、ひときわ大きな山は?」
案内人が答える

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『小説の運命 Ⅰ』すなわち近代の運命

『小説の運命 Ⅰ』すなわち近代の運命

 『小説の運命 Ⅰ』は昭和二十二年に発表された。小説の運命 —— それは小説家であると批評家であるとに関わらず、およそ文学に関わるすべての者がよそに見ては避けられない問題であると福田は言う。

なぜなら小説の運命を考えるとは、散文の運命を考えることに他ならず、散文の運命を考えるとは、そのはじまりとしてのルネサンスを、すなわち近代について考えることに他ならないからである。自分の生きる時代について考え

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『私小説的現実について』理想人間像の欠如、すなわち社会に迷惑をかけなければそれでよい国

『私小説的現実について』理想人間像の欠如、すなわち社会に迷惑をかけなければそれでよい国

  この論文において福田は、理想人間像を持たない日本において「真実」とはなにを意味するかを問う。

初めに福田は、私小説を擁護する立場を表明する。だがそれは我々の歴史的必然性を強調するためであると付け加える。

福田がここで話しかけている相手は、日本の私小説とヨーロッパの文学とを比較して、日本の文学を二流の文学だと主張する文学者たちである。

彼らに対して福田は、日本の私小説を二流だと安易に切り捨

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『文藝批評の態度』作品を育て、作家の意思を継ぐこと

『文藝批評の態度』作品を育て、作家の意思を継ぐこと

 福田恆存は、あえて「理想」を遥か遠く手の届かない場所に置き、そうすることで「現実」の相対性に処することを教えてくれる人間である。だからわたしは福田の文章を読むと不思議な心持ちになる。落ち着き、同時に高揚するのである。おそらく、その現実的な生きかたに安心を感じ、高邁な理想に気分が溌剌とするのであろう。

そういう意味では『文藝批評の態度』は、福田恆存の文藝批評家としての理想表明であると読める。福田

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