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【閑話】寝るまえに阿房列車を運転する

 ここ最近、寝る前に、内田百閒の『第一阿房列車』(新潮社)を読んでいる。町田康さんが紹介していたので手にとってみたら、面白すぎて困っている。

声に出して笑ってしまう。それも数行おきに。

内田百閒。ユーモアの塊みたいな人。言葉のセンス、間のとりかた、ものを見る角度、とぼけた発言、気取らない感じ、すべて面白い。

なにも用事のない汽車の旅、すなわち「阿房列車を運転する」ために、どこへ行こうか、いつ行こうか、誰と行こうかと、ぶつぶつ考えているだけなのに、なぜこんなに笑えるんだろうか。不思議である。

そういえば、福田恆存は『謎の喪失』の中で下のようなことを言っていた。

「ぼくたちのまへには前人未踏の空白が横たはつてゐるのではない。未来はすべて見とほしなのだ。(中略)かごから汽車へのうつりかわりに一度驚いてみれば、あとは汽車から自動車、自動車から航空機といふぐあひに、未来は時間的にではなく空間的に並列されてゐる。」

『謎の喪失』福田恆存全集第二巻

文明の利器、汽車というものを歴史的に分析する福田恆存。それに対して、ただ汽車に飛び乗って思う存分はしゃぐ内田百閒。二人の対比が、最高に笑えてくる。

あれだけ楽しんでいる様子だったので、よかったよかったと感じていると、「貧相な気持ちで家へ帰って来た」と締めてくるので、また腹がよじれそうになる。

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