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#対話
SDGs史#17 Goals 1が「貧困をなくそう」なわけ
『ボヘミアン・ラプソディー(2018)』をご覧になりましたでしょうか?
ライブエイド(1985)でのQueenのパフォーマンス、そして、そこに至るまでのフレディ・マーキュリーのナイーブな軌跡を描いた名作ですよね。
映画を前振りに話をすすめますライブエイドは、20世紀最大のチャリティ・イベントと称されます。「1億人の飢餓を救う」をスローガンとし、「アフリカ難民救済」を目的としたものです。
当時、
科学はSDGsと脱炭素に貢献できるか?
noteの5つの記事をひとつのメッセージとして、まとめなおしました。これは、真鍋淑郎さんが「コンピューターを使った地球温暖化などを予測する手法を確立したこと」を理由にノーベル物理学賞を受賞したことへの、お祝いを込めていることが一番にあります。本当に、おめでとうございます。
吉報をうけて環境問題において、科学が社会にどう貢献しうるのか?を自分なりに再整理しようとしました。
結論を書くと、
SDGs史#14 『成長の限界』とテック企業が宇宙を目指すわけ 3/3
久々のSDGs史です。テーマは「今いる地球とフロンティア、どちらも大切」です。SDGsでは、プラネットバウンダリー・地球の境界線を科学的に設定し、その範囲内で社会を変革しましょう、という取り組みです。宇宙がフロンティアとなる世界で、今いる地球の変革がなおざりにならないことを願って記事を書きます。ようやく1970年代が終わります。
*決して宇宙開発にネガティブなメッセージを発したいのではないです
SDGs史 #3 立場の違いを表明する 「人間環境宣言」への大切な土台
うっかりと下書きに置き去りだったSDGs#3を発信します。
「Sustainable Development・持続可能な開発」の「開発」が意味するところを少し掘り下げていきたいので、その布石です。
1972年のストックホルム人間環境会議の成果は何だったのか?
元上司が、会議の参加前後の日本の環境行政を振り返った書籍でまとめてくれています。それを足掛かりに自分の言葉で書き留めます。
SDGs史#8 70年代 エネルギーの選択 日本とデンマーク 2/2
なぜ、デンマークが世界SDGsランキング1位になったのか??
なぜ、日本が「化石賞」を受賞したのか??
SDGs史#7にて、日本とデンマークのエネルギーの構成の違いを記事にしました。この記事では、70年代から今に至った歴史の種明かしを試みます。ザクっとですが、物語り的に書きます。
日本とデンマークの違いは、現在を考えるうえで、すごくよい事例だと思います。少し長めですが、太字のキーワードだけ
SDGs史 #4 「人間環境宣言」6ページから始まる世界の指南書
1972年ストックホルム人間環境会議の最大の成果物「人間環境宣言」を解説します。
会議では、11日間にわたるタフな対話を経て、「北」側と「南」側は、歩み寄りを見せました。妥協はあったものの合意宣言を出せたのです。
両者の「人間」と「環境」に関する危機感が可能にしたと思います。
会議開始の時の雰囲気は、先日、記事にしました。
会議では、次の6つの主要テーマに絞り、議論を重ねたようです。
SDGsの科学的裏付け#2 対話する科学 SBT(科学に基づく目標)
科学者は「対話」と「協働」の道を模索しつつあります。もともとアカデミックの世界はその中ではオープンな世界です。ただ、外から見ると閉鎖的かもしれません。科学者の相互理解への努力の一端を伝えたいです。
1.プラネットバウンダリーをめぐる科学的な対話
プラネットバウンダリー・地球の境界線の指標をめぐり、科学者たちは、科学者間のみならず、政策担当者、ジャーナリスト、市民、企業等々と、繰り返し繰り返