見出し画像

あのまま成功して大金を掴んでいたら間違いなく勘違いをした挙げ句調子に乗って567で死んでいた

こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。

早いもので人間として47年も生きていると、『人生って重荷を背負って歩む旅路か?』と思うことが時折あります。

この世に生を受けた瞬間から確実に死に向かう存在が人間であり、若い頃に思い描いていた夢や希望を “ひとつ、またひとつ” と諦めて手放していく歩みが人生だからです。

人生に成功しての歓喜は脆く儚く、人生に失敗しての後悔は先に立ちません。

『何事も経験、やらない後悔よりもやった後悔』とは良く聞きますが、後悔して済むような話ならまだしも、苦悩や苦悶が続くような経験をするくらいなら、山奥で瞑想でもして人生をやり過ごしたいところです。

人の一生とは、意図しない経験が次々と重荷となって積み重なっていき、やがて死によって開放される、と考えてもあながち間違いではないでしょう。

ここを読まれている皆さんも、なぜか心の奥底でずっと引っかかっている経験がひとつやふたつくらいはあるかと思います。

例えば「しちゃおじ」の場合は、こんな経験がいつまでも引っかかっていて消えません。

あれは確かテキトーに生活していた22~23歳の頃で、軽い気持ちで付き合っていた年下の女性がいたのですが、ある日を堺にぷっつりと連絡が途切れてしまいました。

『呆れて連絡を絶ったのか? それとも新しい彼氏でも出来たのか?』は不明ですが、いきなり連絡が途絶えるのはよくあることだったので「去る者は追わず」でそれっきりになっていたのですが、すっかりと忘れていた数ヶ月後に突然に電話がかかって来たのです。

よそよそしい感じで『元気?』みたいな普通の内容だったので、急に電話をしてきた理由はわからなかったのですが、何かを言いたそうな、言って欲しそうな印象を受けました。

で、軽い会話をして目的のわからない電話を切ったのですが、その直後に今度はオラオラ系の野郎から『おまえさぁ、このオンナの何なの?』的な電話がかかってきたのです。

当時の「しちゃおじ」の心境としては、「勝手に音信不通になって、こんなヤバい奴と関わって、俺を巻き込むな』だったので、『知らねーよ』『あっそ』で電話が切れたのですが、後から振り返ってみると何かしらの助けを求めて電話をしてきたことがわかります。

「後から振り返ってみると」と書きましたが、このときの経験がなぜかフラッシュバックしてきたのが、この電話があってから何年も後のことだったので今更どうにもならないのですが、「(おそらく)藁をもすがる気持ちで助けを求めてきた女性を門前払いにしてしまった」といった残酷な事実が、心の奥底でずっと引っかかってしまっていて消えません。

このような例は日常の何気ない経験の一コマに過ぎず、人生に深みが増したと言えば聞こえが良いですが、死によって開放されるまでの重荷をひとつ背負った気もするのです。

・・・

後悔というより苦悩・苦悶

人間として47年も生きていると、「やってしまった後悔」も「やらなかった後悔」も星の数ほどにあるものです。

こういった後悔レベルの話であれば、日々の慌ただしい生活に追われてやり過ごすことができますが、これが苦悩・苦悶レベルになると話が違ってきます。

例えば「しちゃおじ」の場合は、{しちゃうおじさんの{無一文~成り上がり~人生転落~ひきこもり}のプロフィールです}の記事で書きました「投資詐欺」「事業ドメイン略奪」「プロジェクト崩壊」は、後悔で済むような話ではなく苦悩・苦悶に至っています。

実際に「燃え尽き症候群」となり、一時期は慢性疲労で寝床から起き上がって近所のコンビニに行くのが精一杯の日々でしたし、あれから5年近く経った現在でも、少し仕事をがんばり過ぎてしまうと翌日は(場合によっては翌々日まで)ほぼ寝たきり状態で1日が終わってしまうような状態が続いていますので、苦悩というか苦悶と表現しても良いかと思います。

今でもちょっとしたことからフラッシュバックしてきて、苦悩としか言えない感情に飲み込まれてしまうことが普通にあるので、こんな経験は人生の重荷でしかないのですが背負っていくしかありません。

とは言っても心境の変化もあって、一時期は人間社会から距離を置いて悟ったかのように静かに暮らしていくことも本気で考えましたが、最近ではやっぱりどうしても納得がいかない気持ちが日に日に強くなってきており、大逆転をしないことには気が済みません。

死によって重荷から開放されるのではなく、生のうちに大逆転して歓喜したいのです。

そう思えるようになるまで心身が復活してきた証拠なのかも知れませんが、まだまだ体調が万全ではないので無理は効きませんが、それでも精一杯もがき続けるしかありません。

そもそも心底から納得のいかないことに対して無理に反省や自戒をして『貴重な経験だった』にすることはできないので、「あのまま成功して大金を掴んでいたら間違いなく勘違いをした挙げ句調子に乗って567で死んでいた」ことにしました。

つまり、(体調はともかくとして)生きて朝日を浴び、大逆転に挑める人生時間が残っています。

苦しんでいるのは自我ですので、こういったnoteの記事を書くなどで我を忘れて集中する時間を増やすことで、苦悩から開放されるための歓喜に近づいているのかも知れません。

以上 – あのまま成功して大金を掴んでいたら間違いなく勘違いをした挙げ句調子に乗って567で死んでいた – でした。

・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?