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「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
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#毎日更新

❨581❩1973.4.3.火.晴/ヤラレタ!悪人面で人はだませないが、善人面が出来る奴程憎いものはない/バランキージャ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)

❨581❩1973.4.3.火.晴/ヤラレタ!悪人面で人はだませないが、善人面が出来る奴程憎いものはない/バランキージャ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)

ヤラレタ!チクショウ!!
考えた末、昨日ドミニカ行きの飛行機の切符を買い、今日乗る予定だった。

ひょんな事で知り会った男に、今夜ドミニカ行きの船が60ドルであるが、よかったら乗れと言われた。
空の方は、112ドル。キャンセル料を取られても40ドルは浮くと思い、早速キャンセルに 走った。

それからその男と一度、船長だという男の家へ行き、乗船の時間になるまでそこで休んだ。そこで、船賃60ドルとは別

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❨832❩1973.12.9.日.雨/フェズのカスバを歩く・働く子ども達/Fez:モロッコ

❨832❩1973.12.9.日.雨/フェズのカスバを歩く・働く子ども達/Fez:モロッコ

一日雨降り。3.50ディラハムのホテルを出、2.60の所へ移る。

朝からひどい雨降りで、石畳の道の両側は、小川に化していた。
子供が盛んに、勧誘に寄って来る。
雨の中を、シャツ一枚で震えながら飛び回っている。実に丈夫だ。

やっとホテルへ落ち着き、すぐ見物に出る。
メジナは、マラケシュとは少し感じが違い、カスバの中の細い道の両側に並んでいる。
ずっと坂になっている。

石畳(レンがの様な)、薄暗

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❨847❩1973.12.24.月.晴/親切なギリシャ人・ヒッチハイクで200km/ギリシャ

❨847❩1973.12.24.月.晴/親切なギリシャ人・ヒッチハイクで200km/ギリシャ

6時半起床。日記をつける。小寒いが、空は晴れ。ヒッチ出来そうな天気。

朝から4時までで、200kmのヒッチ。4台の車を乗り継いだ。
その間、親指を立てながら、国道をテクテク。ショイコをかついでよく歩いた。

ギリシャの田舎は実にのどか。ミカンが夏盛り。冬というのに緑の多い国だ。
気候もいい。道路脇に畑が続いている。
歩いていて、畑の前で売っているじいさんから一つ大きなのをもらった。

ギリシャ人

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❨854❩1973.12.31.月.晴/アマゾンに始まり、トルコの真中に暮れた年/イスタンブール:トルコ→

❨854❩1973.12.31.月.晴/アマゾンに始まり、トルコの真中に暮れた年/イスタンブール:トルコ→

とうとう大晦日となった。年末も年始もない、今の俺だ。

旅から旅へと、プランのみが頭に浮かぶ。しかし、やはり長子にも、先生にも、姉貴・兄貴・親父に会いたい。
しばらくハガキも出していないが、心配しているだろう。

ここに(イスタンブール)イランのコンスルがあると聞き、ホっとした。もしなかったら、新年4〜5日、どこかで待たなければならないからな。
朝1時間半程、町を歩いた。雨上がりで道路は泥で汚れて

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❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

めまぐるしい旅が続く。九時起床。入国手続きに行く。

パスポート・チェックが厳しい。
パスポート、荷物のチェックの後、再度パスポート、バクシネーション(注射)検査。
天然痘の注射証明がない事で引っかかり、ひとくさりモメたが、懸命に説明し、やっと通れた。
 
満員のミニ・バス(100アフガン)でゴトゴト、タイバドまで140km。途中でラクダをよく見た。
山の遠い、平原の道。雪はグッと少なくなり、寒さ

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❨901❩1974.2.16.土.晴/インド入国の厳しさに驚く/アムリッツァ:インド

❨901❩1974.2.16.土.晴/インド入国の厳しさに驚く/アムリッツァ:インド

入国の厳しさには驚いた。
一人の日本人と、一人のアメリカ人の女の子が、ビザがなかったので、パキスタンへ戻さ れた。可哀そうに、泣いていた。

特にハッシッうシー眩惑物一のチェックが厳しく、俺も、ボディ・チェックからスボンの中、靴の中まで調べられた。
一人の日本人は、200ルピー(インド紙幣・約20ドル)を見つけられ、没収された。
俺は、ウマく腰に100ルピーを隠し通した。

インドのルピーは、パキ

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❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

徒々なる一日。

物を金に替えたり、ブラブラ町を歩いたり。

考えてみれば、あの、町を歩いている牛の様ではないか。

この貧しい生活の中にも
子供達の姿は、活々していた。

美食もなく、着飾られる事もなく、
ブランコも運動場も無くても
「自由」と「素朴」な心がスクスク育っていた。

でもやがて、この子達にも、
文明という波が押し寄せて来る。

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。

けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。

遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?

夕方、サッカー場で40分程、補強する。

<想>

土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?

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❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

朝は、ごく軽い体操で止めた。腹が減る。
朝食 バナナ3本と牛乳1本・お茶一杯。

あと2缶、土産のお茶を買った。
荷を整理したところ、ちょうどバッグ一杯になった。半分以上が土産である。

夕方、レストランでビール一杯を飲み、ホテルを出た。
夜八時に、飛行場行きのバスに乗る。

時間があったので、荷を置いたままチョット外へ出た。

帰ってみると、バスがいないのに驚いた。
あわてた・・・・・

後のバ

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❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本

❨932❩1974.3.18.月.晴→曇/ー後記ービ~~バ ビシクレッタ!!/日本

一後記ー

何を取りあげ、何を省くか思案に明け暮れ乍ら、やっとこの一冊が出来た。
毎日記録した事を、そのまま載せただけで、読みごたえも、面白くもないと思う。
楽しんで読んでもらおうと思って書いた訳ではない。
小生の旅の間、心配をかけ、応援を送ってくれた皆さんに、感謝の意をこめて、どんな旅でどんな所へ行ったのか、少しでも知ってもらえればと思い、四冊の日記からこの一冊にまとめた。

二年半の旅は、長過

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