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私と祖父の天気の思い出

みなさん、こんにちは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


昨日に引き続き、今日も晴れてくれているおかげか、トマトが赤色に変わろうと頑張ってくれています。

あんなに雨が続いて、日照時間も十分でないのに、それでも赤くなろうとする姿に、なんだか励まされます。

愛しのトマト、今年はキミの成長を共に見届けることができて、嬉しいよ。


みなさんは「明日は晴れて欲しい!」もしくは「明日の体育の授業始まる前には、絶対に雨に降って貰いたい!!」といった、天気の願掛けはしますか?

「天気なんて、予報見とけばいいんじゃん。」

「そういう時はね、てるてる坊主を作ってお願いするんだ~。」

「天気は自然そのものだから、どうなるかなんて分からない。でもとりあえず、折りたたみ傘はいつも持参してます。」

いろいろな方法で、その日の天候とお付き合いされていると思います。

私は天気予報も見ますし、場合によっては、てるてる坊主も作りますが、やっぱり「空に向かって声をかける」派なのです。



🌞

前の発言で「ちょっ、何を言われているのかが、分かりません。」と、なっていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

私は願掛けとは思っていなくて、直接空に向かって訴えるようにしています。

「空に向かって、声に出して、なって欲しい天気の状態を言う」ことをしています。

見る人によっては願掛けになるのかもしれませんが、自分の感覚は「天気と会話」しているような感覚です。

人間同士がする会話と、同じ感覚で話しています。


「元気だった?」

「今日は何だかじりじりしているね、たまには光を弱くしてくれてもいいかなぁー・・・」

「どんよりしてるいるね、あなたも気分が重い?」

「雨はしばらくいらないよ、もうたくさん降ったじゃん!!」

これを空に向かって叫んでいます。

ちなみに家が道沿いなので、下手したら叫んでいるところを凝視されますが、今では気にならなくなりました。


私がこうして空に話かけることを始めたのは、祖父にあることを教わったからです。



🌞

幼き日の私は、当時、大好きな東京ディズニーランドへ行くのに、天気予報の、特に週間天気予報を食い入るように見つめていました。

というのも、旅行はもう1週間後なのに、千葉県の表示は雨だったからです。

この時を楽しみにしているのに、あの場所で太陽を浴びながら歩くのが好きなのに、自分が滞在している期間に限って、雨だなんてあんまりです。

テレビ相手に怒ったところでどうしようもないのに、私は「こんなテレビ嫌い!!」と怒りをぶつけ、泣き出しそうになっていました。

その一部始終を聞いていた祖父が、笑いながら、ですが優しく言ってくれたのです。

「じゃあ綺羅ちゃん、おじいちゃんが『絶対に晴れにしてください』って、空に向かってお願いしておいてあげるよ。」

私はその言葉で、どこかで期待を持ちつつも、「そんなことできるわけない」という気持ちもあったので、「晴れさせて欲しい」という希望の裏返しで、一層駄々をこねてしまったのです。

「でも天気予報が雨っていった!!雨のままで全然変わらないもん!!」

「大丈夫。おじいちゃんが『晴れて』って言ったら、晴れてくれるから。」

興奮した私をなだめるわけでもなく、「お願いしてみないと分からないでしょ!」と説得されることもなく、「ただ、そうなるものだ」と、はっきりと言いました。

「・・・・・・そうかな。」

私は私で予想と違った返答が帰ってきて、戸惑ってはいたのですが、なぜか、もう「天気予報が・・・!」とは言わず、祖父の言葉に耳を傾けていたのです。

「じゃあ、お祈りしてくれる?」

「あい、わかった。綺羅ちゃんは、天気の心配は何も心配しなくていいからね。ディズニーへ行ってどんなことをして遊ぶかだけを考えていなさい。」

「・・・うん、わかった。」

それから何度か、天気を晴れさせる儀式をするのではないだろうかと、祖父を見張るようにして見ていたのですが、そんな雰囲気はなく、ただ普通に生活しているだけでした。

「本当にお願いしてくれているー?」

「うん、毎日ちゃんと祈っているよ。綺羅ちゃんが、晴れの日のディズニーランドで楽しめますようにって。」

テレビの週間予報は、相変わらず雨のままです。

それでも祖父は「おかしいなぁ・・・」の一言も言わず、ひたすら「晴れる晴れる」というだけです。

最初は疑っていた私も、いつの間にかすっかり祖父と一緒になって「晴れて!」と言っていました。

その時に、空に向かって叫び始めたのです。

それを見ていた祖父は「きっと天気は、綺羅ちゃんのお願いを聞いてくれるよ」と微笑んでくれていました。

そして、当日を迎えたのですが、結果は

ディズニーへ行く道中で雨に遭遇しただけで、滞在中は雨に遭わなかった

のです。

私は嬉しくて、祖父に「どうやって晴れにしたの?」と何度も聞いたのですが、こう言うだけでした。

「いつも、”綺羅ちゃんが行くときは晴れる”って思っていただけだよ。」


祖父は亡くなる数ヶ月前にも、私がいとことディズニーランドへ行くと聞いて、病院のベッドからも晴れる事を祈ってくれていたと、祖母から聞きました。


私は、祖父が教えてくれた方法の通り、空に向かってお願いしています。

それに加えて、自己流にアレンジしたところがあり、

望みの天気になったらお礼・感謝をいう

日頃から空に話しかける

ことをしているのです。



🌞

今から思えば、合理的な大人が聞けば、馬鹿っぽいと思われる話とやりとりを、さも本当にあるようにしてくれていた祖父が、かっこいいと思います。

「子どもに大きな口を叩いてしまった、さぁどうしたものか・・・」という素振りは全くなく、むしろ「本当に天気を操っている人なんじゃないか?」と本気で考えることもありました。


祖父は自分が望む「そうある」ことを、強く思ってイメージしたのだと思います。

言葉には魂が宿るといいますが、言葉だけでなく、想像して思い描いたことにまで、魂を宿らせていたのかもしれません。

そのことを「だまし」だとか「嘘っぽい」とも思わず、ただ一途に「そうある」と、思っていたとも考えられます。

祖父がいない今、その真実はわかりません。

ですが私は、祖父が教えてくれた、自分がときめいた天気との関わり方を大切にして、生きたいです。



🌞

みなさんからの、スキやコメントやフォローは、私に多くの「嬉しさ」を授けてくださいます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、お天気とのいいお付き合いを🌞






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