私とHSPの4つの性質 ~side."E"~
みなさん、こんばんは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
今日は久しぶりに、夏らしい天気になってくれたので、ゴスロリのジャンパースカートを、何着か日陰干しして眺めていました。
ジャンパースカートをグラデーションのように並べて、一人で納得してました。
今回、HSPの4つの性質についてのお話、第3回目です。
自分では分からなかった気質の正体が分かり、説明がつくのはとても心強いのですが、分かった上で、その気質と「どうお付き合いしていくか」は、自分にしか調整できません。
「ただでさえ、今までも試行錯誤してきたのに、まだ試行錯誤をやれっていうの?!」という気持ちでいた時もありましたが、私が「日々成長したい」と願う気持ちと「試行錯誤」は、切っても切れない関係があるようです。
こうなったら、この気質を、私を魅せる一部にする!
そうした考えからも、これからも続くお付き合いですので、
「仲良く付き合いたい」
というのが、私の思う所です。
ですので、
この気質を生かす・生かしていく
という立場で、進めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
このシリーズを始めたきっかけは、下の記事からご覧ください。
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はじめに
最初にお断りさせていただきます。
この記事に書く、症状や状態、思考・考え方、感じる事は、すべて、一個人の体験や価値観、考え方に基づいています。
そのため、あくまで「一例」として、お話させていただきますので、「読んで必ず心がラクになれる」という保証はできません。
「あるHSP当事者の状態」「参考」として、ご覧ください。
「自分に合う」具体的なカウンセリングやストレス解消方法を知りたい方は、精神科医・心療内科医、あるいはHSPを専門とされているカウンセラーさんといった、プロにご相談ください。
また、この記事は、
自分の身近な人(家族、友人、恋人、上司、後輩、先輩、同級生、担任の先生、その他お世話になっている人etc・・・)に知ってもらう、理解してもらう
という目線・状態をめざして書いたものです。
なので、
自分自身がこの気質について深く学術的なことを知りたい
専門的な意見を知りたい
心理学や医学ではどういった見解が示されているかを知りたい
etc・・・
という方は、申し訳ないですが、他のクリエイター様でお探しください。
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HSPの性質”E” Empathy & Emotional
HSPの4つの性質のうち3つめ、"Empathy & Emotional"についてです。
「共感力が高く、感情の反応が強い」と、よばれている気質です。
自分の身に直接降りかかっている出来事ではありませんが、その当事者が嬉しくなったり、悲しくなったりする「感情の動き」に共感し、自分自身も同じように嬉しくなったり、悲しくなったりすることです。
この当事者(物)がこの出来事を受けて、どのように感じているか、どのような気持ちでいるかということを、当事者(物)に感情移入して、その感情を味わう能力のことをいいます。
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共感力が働く対象は、人だけではありません。
・犬や猫といったペットをはじめとした動物
・草花、枯れた葉っぱや木、実った果実や切り株等を含む植物
・山、川、海、空などの自然
・コップやタオルといった生活用品
・アクセサリーや衣服等の装飾品
・ペンや鉛筆、消しゴム、定規などの文房具
・椅子、タンス、テーブル、キャビネットなどの家具
・ドラマや映画、小説にでてくるキャラクター
etc・・・
ここには書ききれないですが、物体として「存在しているものすべて」に働くことがあります。
また、人によって共感力の程度が違うので、一概に「みんな”これ”には共感します」とは言えませんが、物言わぬモノや全然会ったことのない人に対しても、無意識に深く感情を読み取ろうとします。
ある出来事に関わる当事者(物)の感情や気持ちを汲み取ることができ、場合によっては、当人(物)よりも、感情の反応を強く受けることがあるので、喜怒哀楽がはっきりしていたり、涙もろい所があったり、情に厚い方が多いと、感じています。
○
この気質が、日常生活のどんな場面で表れるかというと、
例えばですが・・・
・自国のオリンピック選手が、金メダルを獲って感涙している様子を見て、一緒に嬉しさから号泣する
・友人が、接客態度の悪い店員に怒っている様子をそばから見て、一緒に怒る
・犬のドキュメンタリードラマを見ていて、子どもを守るために身を挺した母犬が死んだ場面で、悲痛に鳴く仔犬を見て、胸が詰まってくる(こうした例を書いている私にも、精神的に”くる”ものがあります)
・お祭りで、みんなが楽しんで踊ったり歌ったりする様子を見て、自分も気分が楽しくなり、同じように歌ったり踊ったりしたくなる
・クラスメイトが、先生から叱責されている場面を見て、自分が叱責されているわけではないのに、一緒に萎縮してしまう
・テレビで吹雪の場面を見ていて、その場にいるわけではないのに、寒さを感じる
etc・・・
ある場面とその関係者(物)を見るだけで、自分自身の感情が人や物に寄せられ、反応が強く出ます。
「見る」だけでも、「聞く」だけでも、細かく感情を捉えてしまうことがあるので、意識的に、その場面や出来事と自分の間に「境界線を引く」ことをしたり、「無視をする」といった対策を取られている方もいます。
「境界線を引く」というのは、その出来事と自分とを分けて考えることで、必要以上に共感しないようにします。
「共感すること」をある程度、意識的に制御しないと、目で見るもの、耳に聞こえるもの、全てに共感してしまい、感覚的な疲労が、肉体的疲労に出て来ることがあるのです。
特に、喜怒哀楽が感じられる場面で、分かりやすく感じられるかもしれないですが、この気質は、本当に自分が安心できる居場所で、信頼できる人に囲まれた状態で発揮されると
その「場」に溶け込み、「馴染んで寄り添う」ことができるもの
と、考えています。
絵を描く・文章を書くための創作活動、ものづくり、人を相手にした商売、家族や友人との親交を深めることにおいても、
無から有を生み出す「手助け」をしてくれる、とても親しみのある気質
だと思っています。
この気質を生かせているおかげで、note上でも、みなさんの書かれる文章を感情として楽しみ、学ぶことができているのです。
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共感力が高く、感情の反応が強い「から」できること
見るもの、聞くもの、全てに共感してしまう部分は、課題となる所ですが、人間関係においても、創作活動においても、「共感力が高いこと」と「感情の反応が強い」ことは、
「何かを創ること」を手助けしてくれます。
○
例えば、友人と好きな俳優さんについて話している時に、俳優さんの推しポイントが一致した際に
「あ、それ分かる~!」
「やっぱり、そう思うよな!」
という会話を、耳にされたことがあるかと思います。
こういうやりとりについて、ただ単に「話を合わせているだけ」と捉えられることもありますが、自分も相手も、同じポイントで何か感じる部分がないと、この会話が成立しないと思うのです。
HSPの人は「人と暖かい交流をしたい」と願う方がほとんどですので、好きな人・親しい人と、同じものに対して共に感じる体験で、「嬉しい」「楽しい」「素敵だ」といった感情の反応が強く働き、相手の喜ぶことをしたいと思えたり、相手とよりよい関係を築いていきたいと考え、自分の中にある他の気質を、他者に生かしたいと思える「きっかけ」にもなります。
HSPの人間関係に限った話ではありませんが、人間は共感してくれた相手、または共感できる相手に「親しみ」を感じることがあります。
ただの「共通点」だったものが「共感」という感情の動きが加わることによって、相手との関係に、他の人とは違う「深み」と「色」が出てきます。
共感することを重ねていくたびに、相手との関係が深まり、ある時点から「理解したい」という気持ちが湧いて、自分から動き出すことができることもあると考えています。
「共感する」ことは、相手を知りたいと思う「第一歩」です。
誰かとの会話で、関係を発展させていくのも、遠ざけていくのも、「共感力の高さ」は重要な要素の一つです。
ですので、人間関係を創りたいと思った時に、
「高い共感力」は自分と相手の潤滑油になります。
この気質を応用して、
自分を仲介として友人同士を紹介することができたり、
知らない人との会話を弾ませることができます。
私自身、どちらも経験したことがありますが、友人にも、その場限りで仲良くなった穏やかなマダムにも、とても喜んで貰えました。
○
またこの気質は、創作活動に置いても「重要な役割」を担ってくれています。
私は、文章を書くのが好きなのですが、物事に対する「共感力が高い」と、
自分の感性で表現することが楽しくなり、より細かい雰囲気を伝えることができる
のです。
例えば、文章で「赤」と書くのは簡単ですが、この「赤」を
「朱色」「紅蓮」「ルビー」「灼熱」「サルビア」「真紅」「血」etc・・・
と、表現を変えるだけで、かなり伝わり方が変わってきます。
同じ「赤」でも、「ルビー」の「赤」と「血」の「赤」では、実際に「色」も「質感」も全く違います。
無駄のない、洗練された文章を見ると爽やかな気持ちになれますし、逆に、いくつもの修飾語がある、言い回しの難しい文章を見ると、自分の感性を豊かになる心地がします。
個人的に、言葉に関する「共感力」は、自分の感性を豊かにしてくれる印象が強いです。
絵を描く時でも、例えば、髪の色を「青」にするとして、どのような「青」にするのかは、「青」に対する共感力を使います。
「大海原を思わせる深い青」なのか「風を思わせる軽い青」なのか・・・
というふうに、考えます。
こうして想像した時に、自分の「好き」の感情が強く反応したものを採用するようにしています。
無いところから何かを創り出す時の「共感力」と「感情の反応が強く出ること」は、
「何か」を始める「きっかけ」となり、また、その「何か」を育てるサポーターのような「親しさ」ある役割を、果してくれるのです。
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共感力が高く、感情の反応が強い「ゆえに」苦しいこと
共感力と、感情の反応が強く働くのは、自分が意図していないものにも、働くことがあります。
自分が実際に経験したことですが、他者に共感しすぎたことで、
自分が「実際にできていること」と、「自分の理想」に「差」ができてしまい、その「差」の感情的疲労が、肉体的疲労となって強く出た
ことです。
大学生の時に、ある英語のクラスで2人1組で取り組む課題が出されました。
その時の組み合わせを、先生が決められたこともあり、知り合い程度であまり気の合わない子とグループになりました。
課題について相談する時間を授業時間内に取られたのですが、その子はスマホを見てばかりで、課題には興味がないといった状態でした。
私は、何とかしてこの息の詰まるような空気を脱したくて、様々な提案をしてみました。
ある程度、どんなことをするか方向性が見えてきたところで、調べるものの役割分担をしたのですが、
「私忙しいから、調べる量をちょっと少なめにしてもらえると嬉しい。」
と、言われました。
この時、私は、その言葉に共感し、
「わかった。じゃあそれでやろっか。」
と、返してしまいました。
課題を進めていく中で、相手の忙しいには共感したものの、どこか「ズレ」を感じていました。
理想はお互い、数としては半分ずつ調べるのが理想でした。
「忙しい」という言葉に、共感はしたものの、「忙しい」という言葉に「面倒くささ」が含まれていた事を直感として分かったのですが、無視していました。
「忙しい」と、相手が言っていることに共感したのに、それを、後になって「やっぱり五分五分で課題を調べて欲しい」と提案し直すことは、自分勝手なわがままに当たると、思い込んでしまっていたのです。
それでいて、同時に「あの様子だと、もしかしたらやって来ないんじゃないか?」という胸騒ぎもしたので、念のため、決めた課題を全て自分で調べました。
翌週、課題発表する時になって、
「ごめん、やってくんの忘れちゃった。」
と、悪気も無く笑いながら言われたのを覚えています。
結局、その場では私が調べてきた分でカバーできたのですが、
無差別に無条件で、共感力を発揮するものではない
と、思いました。
その後、課題が無事に終わったことの安心感と疲労から、しばらく体調が優れない日々を送ることになったのでした。
無差別に無条件で、共感力を使うと、色々な人が周りに寄ってきます。
その中には、私の共感力が高いことをいいことに、「めちゃくちゃ忙しいアピールをしておけば、課題は全部任せられる」と考える人や、「自分に共感させておいて、手足のように使ってやる」と考える人もいます。
共感はするけれど、相手に与えられた作業量に関しては、共感しないこと
もし、それができそうにないのなら、意識してその相手に「共感しない」こと
を、学びました。
「共感力」と「感情の反応が強いこと」は、その気質を働かせる時と場所を間違えると、
自分自身を追い込んでしまう道具になってしまうので、気質を働かせる「場面の見極め」が重要
なのではないだろうかと、考えています。
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「共感力が高く、感情の反応が強い」ことに、向き合う
何かを創ったり、育てていくには、とても魅力的な気質ですが、使い方を間違えると、エナジーバンパイアの餌になったり、自分で自分を自滅させてしまう方向にも働きます。
ぜひとも使いこなしたい気質ですが、扱い方の難しさに、とても悩みました。
私は、実生活で周りの人からは「優しい」で通っていました。
ただ、それと同時に「何も言わないし、逆らわない」と言われていることも知っていました。
私が「共感力」を働かせていた想いには、「あなたを知りたいし、仲良くなりたい」という想いだけでした。
「これ」と言って、突出しているような能力はありませんでしたし、自分に自信もありませんでした。
ただ、そういう時に周りから「優しい」と言われて、
「何もできないけれど、自分には”優しさ”がある」と思えて、相手の何かしらの力になりたい
と思って共感していたのは、確かです。
共感力を使って、”その時”の自分ができる、最大限の自己肯定にも、取り組めていました。
「優しさ」を人に渡すことで、お礼を言ってもらえたり、必要とされることが嬉しかったのです。
「何も言わないし、逆らわない」と言われても、自分の「優しさ」につけ込まれても、必要とされる嬉しさの方が、私には、重要だったのです。
ですが、無差別に無条件に共感することは、言い換えると、
「あなたから、どんなに酷い仕打ちを受けて心が傷付いても、どんな酷い扱いを受けて尊厳を傷付けられようとも、私は嫌だと言いません」
ということと同じになるのではないかと、思い始めたのです。
「共感すること」や「感情が強く反応すること」と、「自分の好き嫌い」は別のものです。
自分の好き嫌いを押さえ込むために「共感力」や「感情の反応が強い」わけではなく、
自分の「好き」「楽しい」「嬉しい」を心身で味わい、その感情でうまれた反応を、「自分の明日を生きる力」に変換できるようにするためにある
と、考えています。
自分が好きな人でも、好きな人の「好きなもの」に、自分も必ず共感できるとは、言えないからです。
例えば、自分の好きな人は「スマホゲーム」が好きだけど、私は「スマホゲーム」はそんなに好きではない。
でも、「スマホゲームが好きなんだ」という「理解」はできる。
共感力は「共感」を主にできないこともありますが、「理解したい」という気持ちを手助けしてくれることもあります。
「理解しようとすること」「分かろうとすること」も「共感力」と同じくらいに、人と関わる時には大切な要素だと思います。
なので、
何かを共に創りたい・育てたいと思う相手には、大いに「共感力」を使い、
普通に「共感力」を使いたい時には、相手の考えや思いに”理解を示す”程度に「共感力」を使う
と、自分でルールを作りました。
自分が自分自身に、共感し、感情を示し、向き合うことができることで、初めて他者にも、上手く「共感力」が使えるようになってくるのではないか
と、考えているところです。
本当に扱いに難しいですが、この気質を持てたことに、少しばかり誇りを感じています。
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「共感力が高く、感情の反応が強い」ことに、生かされる
創ること、育てることが、すぐにできるものもあれば、長い時間をかけてでないとできないものがあります。
現在は、情報社会がどんどん発展してきて、5Gによって、今よりも更に多くの情報を取り扱うことができ、その情報の行き交いにタイムラグがなくなり、インターネットに繋げることができるようになり、その場にいながら、一人ひとりが、世界規模の交流ができるようになってきます。
たくさんの、まだ知らないことを知る機会が増えるのは、嬉しいですし、とても楽しみです。
ですが、人間同士の交流や感情のやり取りは「速さ」と「量」では片付かない部分があります。
「時間がかかることは、効率的ではない」ことも言われますが、「時間がかからなかったから、効率的になった」とは、言えません。
時間をかけないためのマニュアルを作っているのに、AIが対応してくれる窓口だってあるのに、作業精度としては人間よりもはるかに効率的なのに、それでも、効率的でない「人間が対応している」マニュアルや窓口に、人が流れていくのは、なぜでしょうか?
「共感」は「共に感じる」ことです。
共に感情を味わい、その感情を味わう時間を共有することです。
「共に感じる」ことは、一人ひとりが違う人間で感情をもっている以上、本当の意味で「共に感じること」は、あることが難しいと考えています。
それでも、相手に共感を示し、感情移入したり、「嬉しい」「楽しい」「素敵」という気持ちを伝えることは、相手を励ますことになり、自分の感情も癒されていくのです。
何かを創り、何かを育てていくことは、技術も必要ですが、
共感して共に馴染んでいくことで、仲間と夢や信念を抱くだけでなく、自分の夢や目的も色濃くなります。
共感の「親しさ」は、自分の成長を後押ししてくれます。
急がないで、あなたの感情を十分に味わって進んで・・・という、優しさなのだと、思います。
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トップ画像は 模様デザイナーmaya様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからの、スキやコメントやフォローは、私の行動の後押しを手伝ってくれます!
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、いい週末を!
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。