毎日投稿は読者のためではなく投稿者のためだという話

2019年12月22日にnoteに登録して投稿を開始して以来、メインは自分のメモを公開する形式で、また時には自分の言いたいことを一つにまともな(?)記事にして、のらりくらり毎日投稿を続けてきました。

毎日投稿ってものは、立ち寄って記事を読んでくれる人には正直何の意味もなさないと私は思っている。特に私みたいな誰の得にもならないような記事しか書けないもののは余計に。常に意味を成すのはその投稿者にとってだけだと思う。毎日投稿中であることや、連投何日目であることを記事の中やプロフィールでメンションしたところで、それは悪いことでもいい事でも何でもないが、初見の読者からすれば、投稿主が連投何日目かなどくそどうでもいい話だ。もちろん、私みたいな雑魚と違って、多くの読者を抱える人気投稿者様の場合は多く記事をあげれば上げるほど喜ぶ人がいるのはもちろんだが。

しかし、思うに、noteの多くの投稿者や、私みたいな雑魚の場合、やはり毎日投稿というのは、読者ではなく書く主にとってとても大きな意味を成す。継続が苦手な私みたいな人種からすると、何か生理生活以外に毎日続けているものが一つあるというだけで、自己肯定感や自信の向上に繋がるし、毎日何かしらアウトプットする習慣がつくことで、インプットも習慣づけられるようになったり、自分の考えを言語化する練習を積んだおかげでトーク力が上がったりと、毎日投稿は、投稿者のメンタル面やスキルの点でいい効果があると思う。訓練を積んでいい記事が書けるようになれば読者も投稿を楽しめて、さらにみんなにとってはっぴーはっぴーだ。

要するに何が言いたいかって、中断していた毎日投稿を私も再開してみようってこと(笑)。うつで何も考えられない状況が続いて呟くことがなくなったり、好きなことを好きな時にだけしようと思いだし、noteも思いついたときに好きなことを好きなだけ投稿しようという形態に切り替えた。

でもやっぱり、うつだから体調が悪いから無理せずゆるゆる投稿するのではなく、少々しんどくても吐き出すべきものを吐きだした方が自分のためになることに気付いた。イライラが収まらないときは、とにかく書いて、ものにあたることなく、そのイライラを消化しつつネタとして昇華できるし、切りたくなったら自分の今の思いを勢いに任せて言語化することで、自分の気づいていなかった部分もクリアになって、書いている間はちょっとでも切ることを先延ばしにできる。

そして何よりも、常に眠たくて無気力で卒論の進捗がゼロな私にとって、何か一つ一日に生産活動をしたという事実があるだけで、今の私の精神は少し豊かなものになるのだ。毎日投稿中は友達と飲みに行く約束があっても何とか電車の中でスマホからつぶやきを投稿して、やる気が起きない日も23時45分にはパソコンの電源をつけて59分には投稿してと、重い腰があがっていた。習慣になればやらなければすっきりしないなんて気持ちにもなったりした。

あと毎日投稿の良い点は、自分の文章を日々他人に見られてると思うと、また、他投稿者の質のいい文章に触れると、自分もうまく書けるようになりたいとはじめて思うようになる点だ。自分は文章を書くのが下手だという苦手意識も、いちいちそんなことを気にしていたら毎日出せないので、そんなくそな意識はどっかへ吹っ飛んだ。

毎日続けていれば、何もしない日でも、せめてこれだけではと思いを腰を上げてパソコンを開けたり、スマホのnoteのアプリを開ける。その動作からまずははじめてみることが、今の状態の私には必要だ。

きっとnoteのプラットフォームに来ることで、自分の気持ちを少し楽にさせてくれたり、救ってくれるコンテンツに出会えるかもしれない。人の文章を読むことで創作意欲がでてきたりもする。

毎日300文字でもつぶやきでもいいから日記がてらに何かここに書くこと。そんな宣言みたいな報告を今日も誰よりも自分のために書いている。


私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。