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#コラム
健全に自分を支えるということ
ある程度読んでくれる人が増えると意見が合わない人も出てくるのは世の常で、まったく建設的でない悪意を向けられることがたまにある。
Twitterを見ているとよくそれに対して怒っている人を見かけるのだけど、私は『誰かを見下したり批判することでしか自我を保てない精神の貧困性』について毎回考えさせられる。
先日こんなツイートをしたのだけど、批判というのはもっとも思考力を使わずにできる暇つぶしだ。
な
「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ
コミュニティについていろいろ考えています。
拙著「超ソロ社会」にも書いたように、地域・家族・職場といったかつての安心・安定した共同体がどんどん消滅しつつあります。社会学者バウマンやベックが予言した通り、「個人化する社会」が間近に迫りつつあるわけです。
では、そんな「個人化する社会」にはコミュニティというものは存在しなくなるのか?と言えば、そんなことはないのです。
コミュニティがなくなるのでは
「価値観がちがう」の失敗は、大事なものを見つけるチャンスだという話
仕事を辞めるときも、恋人と別れるときにもよく「価値観がちがう」という理由があげられるけど「なんの価値?」と聞くと、答えられないことが多い。
「選ぶものがちがうから不快」という不満のなかには、自分が譲れない大事なものがあるから、解像度を上げてちゃんと知ったほうが後々のためにいいのにな、と思う。
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たとえば仕事で、「成長を求められるのがいやだ」と不満を感じて、自分は毎日毎
「人に期待しない」の正しいやり方
「おれは人に期待していないから」と言いながらめちゃめちゃ期待してるじゃねえか、と思った話。
「人に期待しない」というのは人生を軽やかにする方法としてよく聞く言葉だ。だけど、その使い方や捉え方にもやっと違和感を覚えることもよくある。
「どうせ俺をバカにしているんだろう」「どうせ何を言っても口だけだろう」「どうせ俺が困っても助けないだろう」と、「どうせ」のオンパレード。そして「それが俺にはわかって
自分を知るとは、「原液」を知ること。
「自分を知る」とか「ガマンの蓋を剥がして欲を見つける」などとわたしはよく言うけど、どういうことなのかというと、言い換えると「原液を知ること」だと思っている。
ますますわからなくなった人もいるかもしれないけど、ちょっと書いておこう。
「原液」というのは、子育てをしているときによく感じていたことで、自分の子供と産まれたときからいつも一緒に時間を過ごしながら「自分と深く関係があるけど別の人格であるこ
自己肯定感が低いままで素直さを手に入れようとした話。
「他人の目が気になってしまう」「“自分なんて”と考えてしまう」そう思っている人は大勢いる。わたしもそのひとりだった。
むしろ幼少期から20代までずっと“自信がない人”の見本のような考え方だったので、「他人の目が気になる」という人に「そんなの気にしなければいいじゃん!」とはとても言えない。
自然に“そう思ってしまう”ことをよくないものだと抑えつけてウソのポジティブで身を守るのは危険だし、どんな感
ガマンの鎧を着ている人の話
自分が「ガマンの鎧を着た人」だと気がついたのは30歳だった。
もちろん生きていれば誰もがガマンをした経験はあるし、「わたしは誰よりもガマンをしてきたのよ!」と不幸自慢をしたいわけではない。むしろ他人から見たら「さんざん好き勝手にやってきたじゃないか」と言われるくらいだと思う。
自分では選べないような家庭環境や経済状況でガマンすることは少なからずあったし、生まれ持った見た目や体質で他人を羨ましい
やりたいことがない人とある人は何がちがうのか考えた(夢組と叶え組の話)
ちょうど去年の今頃、こんなnoteを書いた。
やりたいことがある人とない人を「夢組」と「叶え組」として、やりたいことがないのは悪いことではなくて、役割がちがうだけだからチームで組み合わせるととてもいいよ、というようなことを書いた。
わたし自身が「叶え組」で、やりたいことがなくても得意なことやできることがたくさんある。だからやりたいことがなくても大丈夫。それは今でもほんとにそう思うんだけど、
好きを仕事にって言うけど結局どういうことなのか
ハッとする言葉に出会った。
全くその通りだと思ってしまった。
わたしは書店でアルバイトしたことがある。
仕事は本当に楽しかったし、心の底から経験できてよかったと思っている。しかしこれを本業にしていきたいかと言われるとちがう。
なぜならわたしが好きなのは、本のお会計をすることでもなく、在庫を並べることでもなく
『本を読むこと』だから。
もう1つ例をあげたい。
わたしはカフェで正社員とし