[閲覧注意]22歳無職男、アルバイトに応募してしまうが、しかしもうやめようとしている話|超絶圧倒的絶望的社会不適合人間で死にそう

こんにちは。
現在こんな状況

の22歳です。

※執筆後注
めちゃくちゃ感情そのままに書いていて、ところどころ過激な発言もあるので閲覧には注意されてください。そもそも読む価値すらないかもしれませんけども。でも自分の中では意義があると感じているのでこのまま公開します。


ついに金がなくなってきた

ので、流石に働かないと人生がつまらなくなってきそうだったため働くことにしました。今まで片付けも兼ねてメルカリで物を売って耐え凌いできたのですが、それももういよいよ売るものがなくなってきて貯金が底をつきそうで。

だからついにやってやろうか、と。

……のですが、ただ応募フォームに名前と連絡先を書いたものを送信して、自動返信メールを受け取っただけで恐怖で体が震えてきて吐きそうになっています。

これまでも、

  • Uber Eats、本屋、Amazonの配達、とか色々調べまくったけどやめた

  • カフェのバイトに応募して面接を受ける、しかし翌日辞退の電話をする

  • 家庭教師バイトに申し込んで電話面接を受ける、しかしその後連絡なし

ということをしています。

つまりこれまでの人生で一度もアルバイトをしたことがありません。結局就職活動も諦めて、大学もやめています。
それくらい社会性が全然ない人間なのですが、それでもやってやろうか、と。

でも、本当にダメだ……何もできる気がしない、そこで自分が働いている姿が一切想像できないのです、、。本当にできる気がかけらもしない。

案ずるより産むが易しって知ってるけどさ……!知ってるけども、まじで、ダメだ、自己嫌悪のループがひどい。
ここ最近で一番ひどい状態かもしれないです。

これまで確かに実際飛び込んでみたらできたってことはあった。でも、それらは客としての立場だったり、守られた環境だったりしたからできたのであって、人と一緒に働く、人前で働く、接客業、不特定多数、というのは案ずるより有無が易しとか頑張れとか努力とかそんなクソみたいなことで解決することじゃない気がする。するというかそういう未来しか見えない。

本当に金がなくなったら死んでやろうと思う

割と思ってます。そこまでして生きる価値はこの世にはないと感じる(僕は)。

なんか生命を特別視しすぎなんじゃないのというか、尊いものとして扱いすぎなんじゃないの、みたいなことを思うことがあります。これは人を傷つけていいとかいうことを言いたいのでは一切、完全に、全くありません。

ただ、生きることは美しいだとか、何が何でも絶対死ぬな、自殺はするな、みたいなのって違くない?というか。
人に死ぬなという人は、一体何の権利と権限があって、その人の痛みをどこまで理解することができてそれを言っているの、何様なの?と思うのです。本当に。

自分の気持ちでさえもよくわからないのに、他者の気持ちなんかわかるわけなくね?

だから僕は、誰かが人生をやめようとしたらきっと止めないと思います。いや、家族だったり本当に大切な人だったりするならば止めるだろうけど、でもそれも結局僕のエゴでしかないし、止めたところでその人の人生が今後何か変わるわけでもないし、僕がその人の人生の責任を引き受けることはできないし面倒も見られないので。

なので、本当にお金を使わない生活を極めればいいのだな、という発想になりました。これまでもあまり使わないことは意識していたつもりなのですが、それでもなんだかんだ本や漫画を買いまくったりしていたので、それを抑えればいいのだな、と。ありがたいことに実家暮らしなので。

そして何かを買う代わりに本当にただひたすらに創作だけに打ち込めばいいや、と完全にそう思い切りました。文章を書くことは生命が維持されている限り限りなく低コストでできるし、音楽を作ることもとりあえず今はある程度の機材は揃っているからできる。

交友関係も今はかなり狭いし、外出必須の予定もほとんどないので、限界まで低コストで生きることができるわけです。

だって、そうですよ。散歩は無料だし、大自然も無料。それだけで結構満たされるタイプなので、コスパ抜群です。

死なないなら大丈夫だなんて大嘘にも程がある

擦り傷でも痛いものは痛い。ちょっとした言葉でもつらいものはつらい。
恥ずかしいものは恥ずかしいし、悲しいことは悲しい。
心はすぐに死ぬし、体もすぐに熱を出す。

「死なないなら大丈夫」、「生きてるだけで儲けもの」、心の底から言っている人がいたら全力でぶっ飛ばしてやりたいですね、本当に。きっとそういう人はめちゃくちゃ強い人なのでしょうけど、俺はできないんだよ、そんなことは……。無理なんだ、、。

色々な人のnoteを見て、皆さんそれぞれ挑戦されているからじゃあ自分もやってみるか、と思ったり、友達と話して背中を押されたりした。でも、できない。

目の下には、どこまでも大きく口を開けている、そして底の見えない業火が燃え盛る谷があたり一面に広がっているのです。

もちろん背中にハーネスなんてついてないし、紐なしバンジーにしか思えない。
途中で誰かが受け止めてくれる気もしないし、きっとそのまま焼けこげながらどこまでも落下していって、それでいつしか底にぶつかってグシャッと体がべちゃべちゃになって、意識が消滅するんだろうなぁ、って。

死なないからおっけーとか、戯言をほざくのもいい加減にしろ。ちょっとのストレスの積み重ねは確実に人を殺すんだよ。

「やればできる」なら、じゃあ「できていない人」は何もやっていないということ?

自分を変えるなんて無理なんだ、本当に本当に理解した

なんか新たに大学を受験する、新しい生活が始まるということで、そして勢いよくこんな記事

を書いたりしたので、「できることは全部やってやろう」「とにかくやってやろう」みたいなマインドになっていました。何の根拠もないのに。

僕という人間の中身は何一つとして変わっていないのに。

もしかしたら何か変わっているかもしれなくても、でもスキルや技能が新しく身についたわけでもないし、ましてや対面の対人スキルが向上したわけでは全くない。

接客業とかできる気がしないのにアルバイトは接客業ばかりなのはなぜなんでしょうね。……なぜなのかというかまぁそれは特にスキルがいらないから、つまりは「誰でもできる」ということなのでしょうけど、違うんだ。

俺には、本当に、本当にその能力がないんだ。「誰でもできる」それが、できないんだよ。

知らない不特定多数の人と表面上をそつなくこなすとか何がどう転んでもできる気がしない。絶対に顔に出るし、言葉を変えることが上手くできないし、必ず態度に現れてしまう。

自分が超絶マイノリティであることを理解したつもりになっていたのだけれど、全然わかってなかったみたいですね。

だから結局世の中というのは、大多数に属している人間というのは、本当に少数派のことをほとんど何も考えていないのだな、ということです。

例えば僕は本当にありがいことに体は健康なので、階段をスタスタ登ることができます。なので、バリアフリーがどうといったことを普段生きている中で考えることは全くと言っていいほどありません。ごめんなさい。

あらゆる事象はそういったことなのだろうな、と。

ね、だから結局自分は何もできないのだな、と。

ああああああああああーーーーーー!!!!!もう人は足りてるから君は一生来なくていいよ、って返事が来て欲しい。本当に切実に心からそう思う。

あ、すみません。ここまで書いた割にアルバイトの詳細を何も書いていなかったのですが、バイクでフードデリバリーです。車の運転が好きなのでできるのではないか、と。原付とバイクは一度も乗ったことがないのに。

ね、だから無理ことはやろうとしても無理だし、本当にできないのでもう諦めました。そこを足掻いても仕方がない。できないものはできない。

自分は本当にできないものはとことんでないのだな、ということをずっと受け入れたくなかったのです。なんだかんだやればできるってことを信じていた。でも、そんなものは幻想だった。どこまでいっても蜃気楼だった。

自分だけは騙されるわけない、そんなはずは絶対にあり得ないと思っていたけれど、そんなことをいう人に限って見事に騙されるようですね、世の中というのは。

なんかね、何で自分は音楽と文章だったんだよ、それ以外に何かなかったのかよ、もっとお金につながりやすくて社会的にも多くの人から特になにも思われないことはなかったのかよ、ってのを思います。

だって、作家音楽家って言ったってそれは収益が発生していてある程度の稼ぎがなかったら本当にただのプー太郎というかニートというか無職じゃないですか。それらの状態と状態の人を批判したりするつもりはないですが、僕は嫌なのですよ。

だって結局威勢よく「自分で思えば作家は作家だし音楽家は音楽家なんだ」って言ったのも結局は何もない、何もできない自分を、どこまでもクソほど弱い雑魚野郎を盛り上げて追い込むための手法の一つでもあったわけで、でも結局何にもなっていないなら本当にただの何でもない、社会から見たら今すぐ消えても何にもならないどうでもいい存在なわけだ。

僕が今すぐ消えて困るのは、泣いてくれるのは家族やその周辺でしょう。これを書いて思い出したけど、結局、僕の周りは優秀な人が多すぎるんですよ。家族も親戚も友達も。

なんでみんなそんなにできるの、「普通」に生きることができるの、俺だってそうなりたかったよ、こんなに悩みたくなかったよ。何で俺はあの人じゃないの?あの人のようにできないの?

なんで他の人と上手に付き合うことができないの、当たり前の学校生活を送ることができなかったの、なんでたかがバイトでこんなことを思わないといけないわけ、どうしてなんだよ、勉強だって結局できないし、運動もできないし、なんだんだよ。なんで俺は何もないんだ、「当たり前」のそのことが何でできないの?
誰か教えてくれよ、いや知ってるよ、きっと脳の仕組み的にどうだからっていうんでしょうきっと、そしてそうなんだろうね。というか医者にもそう言われたし。
でも、それを逃げ道には使いたくないし、逃げたくないし、言い訳に使いたくない。
てか医者って本当に信用できるの?

でも、それならこの苦しさは一体なんだっていうのだろう? 誰もが皆アルバイトをすることに、学校でそつなく人間関係をやり過ごしていくことに、勉強をこなしていくことに、部活やサークルを楽しむことに、生きることと向き合うことにこんなにも悩んで心をおかしくしているのだろうか? 人は何で生きてるんだろうとか、なんで戦争はなくならないのだろうとか、地球はこんなにもおかしなことになっているのに何でみんな平然と生きていられるのだろうとか、自分は消えたらどこへいくのだろうとか、そんなことは考えないの? 何も思わないわけ?

本当にそうだってんだならまじで僕は欠陥品なのだと思う。だってそういう「無駄なこと」ばかり考えるし、「当たり前のこと」ができないのだから。

できもしないのに「いや、俺はマルチタスクできる!」とか言い張っていたけど、結局無理だ、本当に本当に無理なのだと思った。

無駄にクソしょうもない雑魚プライドみたいなのをずっと抱えているんですよね、何もできないくせになんかどこかで、俺は人とは違うんだ、みたいなことを思っていてというか。なぜなのだろうか。なぜなんだろう。本当に嫌だ。そんな自分が気持ち悪い。

文章を書くことは金にならないし、音楽を作ることも金にならない。なくなったって人は死なないし、経済が回らないこともない。そんなの初めっからわかり切っている。誰に何を言われる前からよくわかっている。

そして何かを表現するとういことは、それは散々考えてたどり着いた場所、ボロボロになって吐きながら見つけた自分だけの特別なものだったはずなのに、それでも結局そこに違うことを思ってしまっている自分がいる。

それをなくしたら本当に自分は何もないというのがわかっているのに、そこを否定してしまっている。もう、何もないんだ。

「バイトをすることで忙しくなってものを考えないで済むようになるかもしれない」なんて思ったけど、それでもやっぱりどうしてもできる気がしない。

そしてなにより考えることが好きだし、書くことが好きだ。曲を作ることが好きだ。他のどんなことよりもそれが心から大好きだ。

考えていたいし、だからこそ本当に少しでも「考える時間をなくしてしまおうか」、なんて思ってしまった自分が一番嫌で恐ろしいほど自己嫌悪になっている。それは思考と曲に価値がないと自分で言ってしまっているようなものだから。

ここまで上手く章立てして書いてきたつもりでしたが、書いていたら感情が堰を切ったようにこうして溢れ出てきてしまって、自分でもかなり驚いています。どれだけ内に溜め込んでいたんだよって。ちなみに結構前から涙出てます。

何もできない自分が本当に嫌で嫌でずっとそれを覆い隠して誤魔化そうとして生きてきたけど、誤魔化す必要なんてないのかもしれない、なんてもはや開き直ってきました。

ここまで感情を全て吐露してきて、死ぬほどしょうもなくてゴミのように、その辺に落ちてる紙クズよりくだらないこれを世に公開したら、何もできない自分をなんとか覆い隠そうとすることなんてもはや何の価値もないし意味もないのだろうな、と思えて、くだらない自分に後ろめたさなんて感じる必要ないのでは?となんかキレそうになってきたのでここまでぶっ続けでキーボードを叩きまくってきたことには意味があったのかもしれません。

なんか、思った以上に社会不適合すぎるのかもしれないですね。

……

そういえばついこの間音楽ストリーミングの収益17円が振り込まれて、それはなんか結構嬉しかったです。

いつか文章も音楽も更新が途絶えたその時は、ああ、いなくなったんだなぁ、と思ってください。

とりあえず残り4年間は全力で生きようと思っています。

改めて、これを読んで不快になったり、失望されたりした方がいたら申し訳ないです。しかし、これを書くことは何かとても大切なことであると思ったので、人が離れていくことを覚悟で公開することにします。

あ、今ふと思って見てみたら、なんか積立NISAでコツコツやってきたものが52,000円ほどあったので、今ここでやめるのは超絶もったいないですが最悪解約して普通預金に回してもいいかもな、なんてことを思ってしまいました。


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(´・ω・)つ旦