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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-39- あわや、開幕連敗記録に王手(2002年)】

(写真 開幕投手のネイサン・ミンチー、骨折で離脱した小坂誠、連敗を止めた清水直行)


(39)あわや、開幕連敗記録に王手(2002年)

 年間、140試合以上の試合を行うプロ野球にとって、連勝と連敗はつきものだ。大きな連勝を記録すれば優勝に近づくし、大きな連敗を喫すれば下位に近づく。
 NPB記録の連勝は18連勝、連敗は18連敗だが、ともに記録しているのは千葉ロッテマリーンズだ。18連勝は1960年に記録した。2度、南海時代に記録したソフトバンクの記録とともにタイ記録である。18連敗は1998年に記録したことは記憶に新しいところ。そのプロセスは『(20)なぜ18連敗を喫したのか?』にも記した。

 そして、それが「開幕から」と限定されるとグッと狭まる。開幕からの連勝は西鉄と中日の11連勝、開幕からの連敗はトンボと西武の12連敗。2002年、マリーンズはこの開幕連敗の記録にも並ぶ直前まで黒星を重ねた。

 【札幌→福岡、移動日なし日程】

 「何となく、嫌だな」。日程を見て、山本功児監督は顔をしかめたという。
 2002年の開幕は特別な事情があった。2001年までの開幕権は前年のAクラスチームに与えられ、前年の順位に従い1位対4位、2位対5位、3位対6位が開幕戦の基本だった。しかし、各球団から「現状では全て決まるのが10月末。それから翌年の移動手配は時期によって厳しいことがある。もう少し早く日程が決められないか」と要望が出ていた。そこで、NPBは2003年の開幕から前々年(2001年)の順位に従って決めることにした。そのため、2002年の開幕は特例で迎えることになった。
 サッカーのJリーグが発足し、2002年は日韓ワールドカップも開始される。野球人気維持の一策として、NPBはこの年の開幕戦を全国主要都市で分散開催することを決めた。ドーム球場がある全国主要5都市と広島での分散開催だった。札幌(西武主催)、東京(巨人主催)、名古屋(中日主催)、大阪(近鉄主催)、広島(広島主催)、福岡(ダイエー主催)で開幕戦を開催することになった。札幌はこの年にW杯開催合わせて札幌ドームが開場した。札幌ドームは2003年から西武が準本拠地として使用する事が予定されており、西武が開幕戦を行うことになり、ロッテが対戦相手と決まった。

 3月30日の土曜日に札幌で開幕戦、31日の日曜日に第2戦、そして、移動日なしで4月1日の月曜日から福岡D、北九州、福岡Dでのダイエー3連戦が組まれた。そして、本拠地の開幕は6日の土曜日。ダイエー3連戦の後、木曜日と金曜日の2日間が空くという特殊日程となった。
 当時は、まだ札幌と福岡の直行便が少なく、日曜日はデーゲームだが試合後に直行便はない。月曜日の便では福岡入りに間に合わない。そこで、日曜日のデーゲーム終了後に飛行機で羽田に戻り自宅に帰り、翌月曜日の午前便で福岡入りすることになった。
 これにはパ・リーグの事情もあった。現在でもそうだが、基本的に火曜日から木曜日、金曜日から日曜日と連戦が組まれ、月曜日は移動日となっている。ただ、日曜日はデーゲームが多いため、試合後に移動し帰宅、月曜日を完全休養日に充てている球団がほとんどだ。ただ、当時のパ・リーグは人気回復策の一つとして、前年の2001年から「マンデーパ・リーグ」として月曜日に試合を開催していた。セ・リーグの試合のない日に試合開催して、マスコミの注目を集めようという作戦だったが、前年はそれなりに結果が出ていた。その影響だった。まだ、平日のパ・リーグの球場には「閑古鳥」が鳴いていた時代だった。

 【高かった前評判】

 前年2001年は5位に終わったが、2002年の前評判は高かった。投手陣は最優秀防御率ミンチー、小野、加藤の3本柱が中心。それに後半ローテを守った小林宏、薮田に2年目の渡辺俊、助っ人シコースキーが先発。中継ぎに清水直、藤田、川井、山崎健、吉田、抑えに小林雅が控える。
 打撃陣はともに31本塁打を放ったボーリックとメイ、首位打者を獲得した福浦がクリーンアップを組む。この3人に初芝と堀のベテラン、俊足コンビの諸積、小坂も健在。9年目の大塚、立川、8年目のサブローも頭角を現して来た。捕手陣は4年目の里崎、8年目の橋本将、ベテラン吉鶴が投手陣を引っ張る。評論家の予想でもAクラスに推す評論家も多かった。

 3月30日、開幕マウンドにはミンチーが上がった。4回までは西武・松坂との投げ合いだったが、5回裏に2点を失うと7回裏にも1失点、0-3とリードを許す。9回表に代打・橋本将の2点適時二塁打で1点差に迫るも、松坂にかわされ黒星発進となった。翌31日の2回戦は先発・加藤が立ち上がりから捕まる。5回までに5点を失いKO、打線は三井の前に初芝のヒット1本に封じ込まれ、北の地で連敗スタートとなった。

 【福岡で小坂骨折離脱】

 4月1日、ダイエー1回戦(福岡D)でトラブルが発生する。5番・レフトでスタメン出場したメイは2回表の第1打席で見逃し三振に倒れる。メイは足で砂を蹴ったが、これが球審の足にかかり、これが侮辱行為と判定され退場処分を受ける。山本監督は球審に向けたものではないと抗議するも受け入れられず、不穏な空気が流れる。
 3回裏、ショートを守っていた小坂は二塁のカバーに入った際、走者と接触して倒れる。右足を引きずりながら自力でベンチに戻るも交代。病院で診察を受け「右足腓骨骨折」と診断されて離脱する事態に陥った(6月8日に復帰)。試合は先発・渡辺俊が4回までに6失点、打線もダイエールーキー杉内の前に沈黙、2-6で開幕3連敗を喫する。
 翌2日は北九州に移動して2回戦。先発・小林宏は初回に1点を失うも、2回以降は立ち直り封じる。しかし5回裏、3本の本塁打を浴びて5失点、打線もシーズン2度目の完封負け、0-10と大敗。
 翌3日は福岡Dに戻り3回戦。先発・薮田が初回3失点、2回にも失点してKO、打線も里崎にシーズンチーム1号となる一発が飛び出すものの、追い上げならず3-7で敗れ、開幕5連敗となった。

 【球団新の開幕連敗】

 マリーンズの開幕連敗記録は、東京オリオンズ時代の1967年に記録した6連敗だった。
 2日の空きを経て、6日は本拠地・千葉マリンで近鉄を迎えての開幕戦。スタンドは26,000人の観客で埋まる。初回、ボーリックの犠飛でシーズン5試合目にして初めて先制する。しかし直後の2回表、ショートに入った堀のエラーと死球から先発・ミンチーがリズムを崩して4失点。その後もミンチーは4回途中までに7点を失いマウンドを降りる。結局、そのままゲームセット、1-7と敗れ開幕6連敗と球団記録に並んだ。
 翌7日の2回戦は2回裏に待望のメイに一発が飛び出し3点を先行する。しかし、先発・加藤は3回表に2失点、4回表には逆転を許し5点を失い、4回7失点で降板。打線も3回以降は沈黙し3-7で敗れ、球団新記録となる開幕7連敗を喫する。
 当時、開幕7連敗以上喫した球団は7球団目。ロッテ以前の6球団は最終的にAクラスはなく最高は4位の1球団、5位が2球団、6位が3球団。140試合のうちの7試合が終わっただけだが、暗たんたる雰囲気が漂った。

 【ラッキーボーイ出現?も…】

 翌8日からは、引き続き千葉マリンで日本ハム3連戦。練習前、一塁側のベンチ前に盛り塩がされた。今回のような悪い流れの時は、思わぬ「ラッキーボーイ」が現れ、連敗を止めることは多い。8日の日本ハム3回戦で待望のラッキーボーイが現れる。前日の7日に一軍登録され、途中から守備固めで初出場を果たした3年目の塀内が、9番・ショートでスタメン出場。先発の渡辺俊が3回表に1点先行を許した3回裏、プロ初打席に立った塀内はライトスタンドへ運んだ。初打席初本塁打はNPB史上43人目、パ・リーグでは23人目、日本人選手としてはリーグ12人目、マリーンズでは1950年の戸倉、1990年の林に次いで3人目の記録だ。
 この塀内の一発に続き、さらに一死二塁とチャンスを広げる。打線も勢いに乗るかと思われたが、チャンスに1本が出ない。4、5回もチャンスを作るがホームが遠い。こうなると流れは相手に行く。6回表に渡辺俊が3失点、リリーフ陣が8回表に3失点。8回裏にはチャンスで塀内が投手ゴロを放つがエラーを誘って2打点目と自身はラッキーボーイぶりを見せたが、3-7と勝利にはつながらず、開幕連敗は8連敗に伸びた。

 【恵みの雨とならず、あわや…】

 翌9日は雨で試合が流れた。雨天中止で流れが一変することは多い。「恵みの雨」となることが期待されたが、翌10日は「あわや」という試合となった。
 先発はシコースキーと日本ハム・ミラバルの外国人対決。シコースキーは初回に1点を失うものの2回以降は踏ん張る。一方ミラバルに対する打線はヒットどころかランナーも出せない。シコースキーは6回に2点目を失い6回で降板する。一方、打線は終盤に入っても沈黙。スタンドもざわつき出す。日本ハムは8回にも1点を追加、打線はミラバルの前に8回裏までパーフェクトに封じ込まれる。そして9回裏、塀内に代わって吉鶴が代打として先頭打者の打席に立つ。吉鶴はセンター前にはじき返し、パーフェクトを阻止する。後続も3人で倒れ、あわや完全試合という1安打に封じ込まれ、開幕連敗は9連敗となった。

 【開幕11連敗、NPB記録にあと1】

 12日からは神戸に移動してオリックス3連戦が控えていた。3連敗を喫すると開幕日本記録に並ぶ。否が応でも、あの18連敗の悪夢が甦って来る。
 12日のオリックス1回戦はミンチーが先発マウンドに上がる。ところが、この試合も打線が空回り。1回表無死1、2塁から三振と併殺打、3回表は一死2塁から二死満塁も三振、4回表は先頭四球も併殺打、その後ヒットとかみ合わない。4回裏にはミンチーが2点を失う。打線は5回表に一死1、2塁、6回表も一死2塁とチャンスを作るもホームが遠い、ミンチーは6回裏に2点を失いマウンドを降りる。8回表に諸積にタイムリーが出て1点を返すもそこまでだった。ついに開幕連敗は2ケタ10連敗に達した。
 翌13日も打線がつながらない。.065のボーリックと.125のメイをスタメンから外す。1回表3四球で二死満塁、2回表は二死1、3塁も点が入らない。先発・加藤は2回を6人で斬る立ち上がりも3回裏にヒット2本と犠飛で先制を許す。打線は4回表も一死1、2塁から二死満塁とするも無得点。すると、その裏加藤が3点を失う。こうなると流れは引き寄せられない。結局、そのまま完封負け。ついに開幕連敗は11連敗となり、NPB記録に1と迫った。

 【粘りに粘った、清水直行】

 そしてタイ記録がかかった14日だったが、練習中の選手たちに気負いはなく、表情も柔らかかった。逆に8連敗の頃の雰囲気が重かった。福浦は「負けることを怖がっていても委縮するだけ。自分のバッティングの状態はようやく上がって来た。ヒットも出ている。やれることをやるだけ」と良い意味で開き直りを口にしていた。
 山本監督は賭けに出た。昨シーズン、今シーズンと中継ぎで小林雅につなぐ役割だった清水直に先発を任せた。清水直が先発マウンドに上がるのは、2000年の10月5日以来となる。清水直は「どこまで持つかわかりませんし、3回しか持たないかもしれませんけどいいですか?」と監督に話してマウンドに上がったという。
 1回表、打線がつながる。二死無走者からだった。死球、四球、ヒットで二死満塁。ここで、酒井がレフト前に運び2点を先行する。先発・清水直は毎回走者を許す。3回裏には三塁打で一死3塁とピンチを招くも後続を断つ。すると4回表、一死から二塁打の酒井を置いて初芝が2ランを叩き込んだ。一方、毎回走者を背負う清水直は5回裏に3本のヒットで1点を失うものの、さらに続くピンチを断つ。6回裏はこの試合初めて三者凡退に仕留める。7回裏、先頭をヒットで出し、犠打で二進させた一死2塁で藤田にスイッチ。藤田が後続を断つ。8回裏はベテラン吉田がヒットと四球で走者を許すも封じると、9回裏は小林雅が12試合目にして初登板。ヒットを許しながらも最後は併殺で締め、開幕連敗を止め、今シーズン初勝利を挙げた。

 【開幕11連敗を振り返る】

 11連敗の敗戦投手は全て先発投手だった。先発が早々に崩れ、試合を作れなかったこともあるが、とにかく打線が打てなかったことが大きかった。チャンスを作っても点が取れない。当然、試合のリズムが悪くなる。この繰り返しだった。7連敗を過ぎた頃からは、チャンスで「1本」が出ないことが顕著となった。打者によっては、明らかにリズムが違っていた打者もいた。普段ならば外野フライなど簡単に出る場面なのに、と感じるほど不思議な状況だった。
 加えて、主軸のボーリックとメイが揃って不振だったことも痛かった。11連敗中の得点は2→0→2→0→3→1→3→3→0→1→0だった。連敗を止めた試合の4得点は今シーズン最多だった。ホームランも初芝がチーム3本目だった。
 ただ、18連敗を喫した時と同じようなチーム状況に陥っていたのだが、現場の雰囲気はそれ以上だったという。初芝は「18連敗はシーズン中。開幕から勝てないことの方がつらかった。そんなことは有り得ないんだけど、このまま今シーズンは勝てないんじゃないかと本気で思った」と語った。

 とにかく、清水直の粘りのピッチングで日本タイ記録は逃れた。清水直はこの試合以降先発の柱となった。ボーリックは低調から脱せず、このシーズン限りで退団した。最終的に5位に終わったものの借金は5、3位には4.5ゲーム差まで迫ったシーズンだった。

(次回)⇒『(40)7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)』


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 【年度別出来事編】

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(1)《全文無料》『千葉移転前夜』
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1995(平成7)年
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
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 【選手編/投 手】

(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
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(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(43)《有料・冒頭試読》先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)
(44)《有料・冒頭試読》中継ぎ切り札から先発の柱へ・小林宏之(1997年~2010年在籍)
(47)《有料・冒頭試読》絶対的エースの信頼・清水直行 (2000年~2009年在籍)
(50)《有料・冒頭試読》球団創設年以来55年ぶりの快挙・久保康友(2005年~2008年在籍)

 【選手編/打 者】

(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清(1989年~2005年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)
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(51)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後のタイトル・平井光親 (1989年~2002年在籍)

 【選手編/助っ人】

(53)《有料・冒頭試読》中4日のタフネスエース・ネイサン ミンチー(2001年~2004年在籍)
(54)《有料・冒頭試読》「神話」と「ナイト」の勝負強さ・フランク ボーリック(1999年~2002年在籍)
(56)《有料・冒頭試読》安定感抜群の助っ投・エリック ヒルマン(1995年~1996年在籍)
(58)《有料・冒頭試読》 窮地を救ったストッパー ブライアン・ウォーレン(1998年~2000年在籍)
(59)《有料・冒頭試読》「いつか必ずロッテに帰ってくる」の約束果たした フリオ・フランコ(1995年、1998年在籍)

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